人の肩書きは多いほうがいいのか

肩書きというのは、社会的な立場を示す為には重要なもの。だけど、肩書きに頼りきってはいけない。もちろん肩書きが無いよりは、あった方が社会的な信用を手っ取り早く得やすいのは事実。

でも、果たしてその人が、肩書き全くナシだったら駄目なのかというと、そうではない。肩書きがなくても、1つだけだったとしても、その人物が、冷静な判断力を持っていて、じっくり論理的に物事を考えられる人なのかが大事で、こういう事は、肩書きの有無だけで推し量ることはできない。

人間関係を上手く構築するには、肩書きの有無を過剰に意識せず、人としての在り方がどうなのかを見極める力が必要だと思う。

私が過去に、仕事その他で出会ってきた人達の中にも、勿論いろんな立場、いろんなタイプの方々がいらっしゃいました。肩書きが沢山あって名刺にそれがズラッと並んでいる人もいました。

逆に肩書きは1つだけ、という人もいらっしゃいました。どっちが良いとか、どっちが立派だという問題ではない。

1つだけの肩書きであっても、その1つの分野を深く掘り下げて熟知しているスペシャリストかもしれない。逆に、肩書きが沢山あっても、どれも広く浅くの知識であり、器用ではあっても、どれも専門家の域に達していない人なのかもしれない。

だから出会った人と会話してみて、自分で見極めて、相手の人としての在り方、どういう生き方をしている人なのかを、自分で肌で感じて判断していくしかない。

肩書きが沢山ある人の中には、色んな経験を積んだ立派な人もいらっしゃる。でも肩書きを沢山持っていても、実際に話をしてみると案外会話に説得力がなかったり、何を言いたいのか信念が読み取れず、非常に曖昧な発言を長々と繰り返す人もいる。

結局は自分が、相手の人物像を表面的にではなく、内面から受け止め読み取る力を持っていなければ、判断はできない。

そして己自身も、肩書きに頼り切ってはいけない。特に、学校現場や習い事の場などで人に何かを指導する立場にある人は、常に謙虚で、自分の弱みを認め、受け入れ、向上心を忘れてはならないと思う。

当ブログテーマの太極拳や中国の気功養生法などは、かなり奥深い世界であり、練功すればするほど深みにはまり、自分の実力はいつまでも追いつか
ない。むしろやればやるほど、自分の足りない部分や、修行が必要な分野が、行けども行けども無くならず見えてくるのである。

だから、ちょっと数年学んで、かりに指導する側に回る事ができたとしても、そこで決して偉そうにはできないのである。本当に自分の実力を知っている人は、年数が経てば経つほど、この世界の権威である先人達がどれほど凄い鍛錬を積んできたのかを理解しているし、自分がほんの一握りの知識を得た初期段階からあまり進んでいないことに気付いているのである。

人は、何かを一所懸命やればやるほど、自分の足りない部分が見えてくる。1つの道を追求すればするほど、自分ができない部分や弱点に気付くもの。

だから肩書きを持っている場合も、肩書きの上にあぐらをかいてはいけないし、肩書きを得たら終わりではなく、肩書きを得た瞬間からやっと最初のスタート地点に立ったようなもので、そこからが本当の意味での修行である。



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