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ラベル(太極拳~事始め)が付いた投稿を表示しています

スタート時点では、誰もが伸びしろのある新人

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人を小馬鹿にするような人は、狭量な人 これまでの人生において、友人関係、親族との関係、職場での人間関係、趣味仲間との関係など、様々な人達と交流してきた。当然ながら、いろいろな個性の方がいらっしゃった。思いやりのある温かい人も、たくさんおられたし、逆に、人をさげすんだり、小馬鹿にする人もいた。 何かに長けている人、1つの分野で成功した人がいたとしても、その人が、他者への優しさと配慮に欠けていたら、やはり尊敬できない。驕り高ぶる人には、冷たい印象を受ける。 人に優しくできて、徳があって、実力も兼ね備えている人は尊敬できる。立派で、徳があって、心に余裕がある人は、他人が必死に頑張っている姿を認める度量があり、他人を責めることに時間を費やしたりしない。 何かに長けている人でも、自分が他人より優位に立っていると強く思い込んで人を小馬鹿にしたり、他人を見下す人は、本当のところ、寂しい人なのではないかと思う。本人が気づいているかどうかは別として、他人を非難する事でしか自分を上げる事ができない、周囲の賞賛を浴びたくてたまらない寂しい人。 自分に自信を持つのは良いとして、「自分はこんなに凄い事をやってるのに(他の人は)レベルが低い」とか、「あいつは全く分かってない」などと、頑張っている他人を素直に応援できない人は、心が狭いように感じる。 幸い、私の太極拳仲間は良い人が多く、皆様と接していると、楽しくて温かな気持ちになる事が多い。ただ過去には、ちょっと意地悪な人に遭遇した事がある( 過去記事 )。その人は、他人と自分を常に比較し、優劣をつけたがる傾向にあった。自分より経験年数が少ない後輩に対し、やたらと非難し、長い目で成長を見守る事ができないようだった。自分の物差しでしか物事を見る事ができていないようだった。 もし自分より稽古年数が短くて、上手く動けない人がいたとしても、自分とは別の人間であり、そこに費やした時間も違うのだから、非難しても仕方がない。人によっては、会社員などをしながら、忙しい合間をぬって稽古を続けている人もいる。介護をしてる人だっている。そういう人と、過去にたっぷり時間をかけて稽古した自分とを比較しても意味はない。 人には人の都合があり、その人の段階がある。その人が、その時できる範囲で取り組んでいる、それで良い。 例えば、高度な技を持つ達人に長期間、指導を受ければ、誰も...

益寿延年不老春

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「益寿延年不老春」という言葉がある。太極拳の理論を学んでいると出会うフレーズだ。 このフレーズが出てくる歌訣。それは、太極拳の源流なる武術の動きや、 姿勢を維持する際の注意点などについて、様々な要領をうたってあるもの。 この歌訣の内容は、冒頭からずっと、延々と、動作上の注意点について散々、あれが大事、これが大事、と、いろんな文言を用いて説いてある。 それが後半になって、唐突に「益寿延年不老春」のフレーズが出てくる。終盤に、ほんとうに唐突に出てくる。この言葉は何を主張しているか。 動作や姿勢の大切な要領を守って習練を重ねれば、「健康長寿に繋がる」と示唆している。真面目に鍛錬を継続すれば、不老春、つまりは長寿に繋がるのだ…、老いない春を謳歌できるのだ…、という事をここでうたっている。 太極拳に関して言うと、長い鍛錬の道を進めば、繊細な感覚が身に付く。体の深部感覚にも良い刺激を与え、心と体の両方に深く働きかける養生法となる。現代のように物事が複雑化したストレス社会においては、特に健康法として重視されやすい。 2020年にユネスコの世界無形文化遺産に太極拳が選ばれた背景には、奥深い哲学的理論を内包した伝統拳として、また華やかな競技種目としても世界で栄えていること、そしてさらに体質強化に繋がる健康養生法としても効能が見込める、といった事情がある。それぞれ、多方面での興隆と効能などが認められたことが大きいだろう。 初心者の段階でも得られやすい効果としては、バランス感覚が磨かれる事や、インナーマッスルの強化がある。さらに稽古を積み、軽やかで緩慢な動きが可能になれば、リンパ流と血流は促され、柔軟に動く筋肉からは健全なホルモン物質が多く放出され、体内の神経伝達もスムーズになっていく。 リラックス効果も高まり、脳への血流もますます増える。太極拳の動きが脳へ働きかける効果、脳機能を活性化する効果は、太極拳歴が長いベテランになるほど高まるという。

硬直した心身を癒す場所

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誰にでも訪れる、人生で大変な時期 少し前に、嬉しく思える出来事があった。稽古に来て下さっている、ある方のエピソード。 この方は、普段ご自宅で、御高齢の家族の介護をしているそう。やはり、その御家族から、なかなか目が離せない為、家庭内で気が休まらず、精神的なストレスが続いているそうだ。その方は、訪問介護の日に、僅かな自分の自由時間ができ、その時間を活かして、可能な日があれば、太極拳の稽古へ来て下さる。 その方曰く、 【稽古に参加して体を動かしている時間帯だけは、日々の大変な現実から気持ちをそらす事ができる。縛られない自分だけの時間を確保して、みんなと運動する事ができる。稽古に参加しているときが、慌ただしい生活の事を忘れられる唯一の時間帯に思える。】 …このようにおっしゃった。 そして、その方は、私に向かって恐縮しながら、こうもおっしゃった。 【稽古に通っているのに、動作の順番がなかなか覚えられない。上達が遅くて申し訳ないです…】 私は、その方に対して、以下のような内容の事をお伝えした。 【家庭の事や仕事などでストレスを抱えている方に、気持ちをリセットする時間を作っていただく為に、私は活動している面があります。介護は本当に大変で、毎日いっぱいいっぱいだと思うので、稽古の日まで気を張って、焦って動作を覚えなくて良いです。参加できた日は、緊張を取り払って、ただ、みんなと一緒に気持ちよく運動して帰る、それで良いと思います。大変な中、通って下さって嬉しく思います。】 綺麗事でも何でも無く、心からそう思えたから、こちらも素直に気持ちをお伝えした。 会話というのは本当に味わい深いもので、相手がこちらへ素敵な言葉を投げかけて下されば、こちらも嬉しくなり、素直に感謝の気持ちを伝えたくなる。 誰にでも大変な時期というのは、人生の中で数回は訪れるもの。私自身も、過去に親族が闘病したり、昨年は親族の死去があり、結構大変だった。そんな折、合間をぬって稽古に行けば、仲間と運動する時間を確保できて精神的に救われた。 家族の病気の事だけを、悶々と考える日々は辛すぎる。だから、ひとときの、皆様との楽しい運動の時間は貴重だ。 みんな、いろいろある。嬉しい事も、苦難も。それが生きるという事だと思う。 苦難に陥ったとき、人によっては、自分の周りの人を恨んでしまい、「自分の苦難はアイツのせいだ。アイツのせいで、...

過剰な期待と幻想

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「人生を変えるほどの何かが必ず見つかる! 凄いものを得られるはず!」という期待 これまで私が関わってきた稽古の場へ来られた方々は、ほとんどが中高年以上で、なかには持病のある後期高齢者の方もいらっしゃった。そのような方の第1目標は、何よりも、まずは毎週、稽古の場へ足を運ぶ事。そういった方は大抵、運転免許を持っていらっしゃらないので、悪天候の時などは、出かけるのが億劫になったり、80代以上の方になると雨の中、足元が危ない為、外出自体を躊躇してしまう事もある。だから、まずは安全面に配慮しながら、稽古の場所へ向かうことが第1目標になる。 80歳を超えて太極拳にチャレンジする方々は、上達はゆっくりペースでも良いので、まず仲間と共に過ごす時間を持つ事ができれば、それだけでも素晴らしい人に会う機会になる。高齢で病弱な方であっても、可能な限り外出し、人に会う機会を作る。気の合う仲間と会い、一緒に過ごす喜びを感じる。運動や、その他趣味は、人に会う良い機会となる。 太極拳を始める中高年以上の多くは、当然ながら「心身の衰えを防ぎたい。健康な体を維持する為に運動したい。」と、健康を意識して参加されるケースがほとんど。 ただ、別の目的、きっかけがあって参加する方もいらっしゃる。例えば、たまたま太極拳の動きをテレビや雑誌で見て、憧れていたという方。そういう方が実際に稽古を参加して、動きに心地良さを感じたり、教室の雰囲気が好ましいと思えば、そのまま通い続け、みんなの仲間になってくださる。それから、他の趣味、例えばコーラスなど発声を重視する趣味がある方が「姿勢を良くし、良い声が出せるように」と、太極拳教室に参加されたケースもあった。 そのほかでは、これは稀なケースではあるけど、こんな方もいらっしゃった。あるとき、崇高な理念を持った人が体験にいらした。太極拳の動きを体験する事で、「自分を高める確かなものを得る」という目的を持っていた人だった。 その人は、自分探しの旅の途中…といった感じで、「太極拳を体験すれば、自分の何かが変わる。確かな何かが得られるはず。人生訓を得たい。」という大きな期待をもって体験にいらした。なぜ、その人の中で、太極拳が「自分探し」「自分磨き」に直結したのか、細かい事情までは知らない。とにかく太極拳の動きを1~2度体験すれば、「新たな自分の発見に繋がる。」、「違う自分を見つけられ...

動画サイトで太極拳の動きを学ぶ事(Part.2)

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溢れる動画の中から良質なものを見極められるか 私はヒヨッコだけど、学び始めてから年月だけは経っているので、太極拳理論や、気功などの分野についての関連動画の良し悪しが、多少は理解できる。過去に目にした動画の中には、「動きや解説が素晴らしい!」と、動画投稿者の高い熟練度合いを感じたものもあった。その一方で、「あのような事を断言してしまって大丈夫?」と内容に不安を感じたものもあった。 動画サイトへの投稿は、経験値の程度に関わらず、誰でも思い立ったとき、すぐにできる。 立場や習得レベルが異なる方々の、いろいろな動画があれば、視聴者側が比較して参照できるという利点もある。観る側の立場からすると 、好きな時に観て、学びたい事をいつでも学べる良い媒体だと思う。 その反面、動画というのは、どんな人でも簡単に、時には広告収入目当てで大量の動画を量産できるという点で、無法地帯と化している面も否めない。 溢れる数多くの動画の中には、誇張、ハッタリの内容が紛れ込んでいる可能性もある。 視聴者が、本質を見極められるなら問題はない。しかし、視聴者がその分野の事をよく知らないまま検索する事もある。検索であがってきた太極拳関連の動画を観たとき、不完全な動き、あやうい解説であっても、太極拳のことを有能に語っている動画だと信じてしまう人がいるかもしれない。 また、太極拳は学ぶ目的が人それぞれで( 参考:過去記事 )、流派、ジャンルなどが枝分かれしている。 個々の動画は、どういった層をターゲットにしているのか。初心者向けに簡単な動きを紹介する動画もあれば、武術の使い手として技の功法を解説するような動画もある。観る側が、 自分の求める方向性が定まらないまま検索し、目的にそぐわないものを観てしまう事もあるかもしれない。 事情があって教室に通えない人が「動画で学びたい」と思えば、できれば同じ種の複数のものを見比べて、「より動きが丁寧で、解説が明確で分かりやすい」と判断できた方を参考にするしかない。太極拳経験者の知人がいれば、お勧めの動画を聞いてみるのも良いと思う。 背伸びしない誠実さは安心感を生む 動画投稿者が、指導者の域に達している人であっても、学びの深さ、習得レベルは、人によって様々だ。 ✦歴史や成立過程を含め、そもそも太極拳とはどんなものか。 ✦動きには、どんな特徴があるのか。 ✦自分がやっている習練は...

動画サイトで太極拳の動きを学ぶ事(Part.1)

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肌感覚と空間力を養えるのが「リアル」の良さ 以前、ある施設で、私が受け持つ太極拳講座の参加者の方から、こんな言葉をいただいた。「先生はyoutubeなどに動画をあげないんですか? それをみて家で復習しようかと思って~」と言ってくださった。自宅で復習なんて前向きで嬉しい言葉をいただき、「動画をアップする意味って、やはりあるんだなぁ…」と思った。 ただ、動画サイトへの投稿に関しては、私自身いろいろと思うところあって実行していない。ネット社会の中で暮らしているのだから、この先、状況によって臨機応変に対応する必要がある、とは思う。 限定公開であげても良いわけだし…。または、動画サイトにあげなくても、稽古中に私の動作を携帯で撮っていただく、という方法もある。しかし、その施設の講座は撮影禁止なので実現していない。 私はSNSのアカウントにも、このブログにも、自分の稽古中の動画をあげた事がない。そもそも世間様にお見せするほどの容姿でもないので(苦笑)、積極的に自分の姿を公開する気もしない。 そんな私でも、あるサイトには画像があがっている。講師契約している施設のウェブサイトの、太極拳講座の案内ページだ。そこには私の姿とコメントがアップされている。この発信自体、施設側が行ったもので、私自身は発信者ではない。 実は、コロナ禍になった2020年に、ある教室の皆様に向けて、私の動画を限定公開で送った事がある。2020年は、国や自治体から不要不急の外出禁止令が出ていたため、稽古の休止期間があった。そこで短い動画を撮り、youtubeにあげて、「今は外出できないので、これを見て一緒に運動して下さいね」という意図でURLを皆様へ送信した。それ以来、自分の動画は一切あげていない。 私が指導する側にまわるとき、心がけている事がある。それは、同じ空間で、みんなで一緒にその場の空気を肌で感じ、心の静寂までも全員で共有する事。日々の生活におけるストレス、脳疲労を緩和し、心の落ち着きを取り戻す時間を仲間と一緒に過ごす。 「ゆっくり動く時、その場の静けさ、雰囲気を、どうやって肌感覚で感じるか」は大切な要素で、動画の視聴だけでは得難い感覚だ。視線の流れる様子、肢体の指先まで意識下に置いた独特の動き、雰囲気、息づかいなどは、PCやスマホの画面上では分かりづらい。 動画だけでは、太極拳の繊細な動きを学ぶことは難しい...

「あなたは眠くな~る」

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神経のたかぶりを静める 今までに私が立ち上げた教室へ来て下さった方のうち、数名の方から、「稽古に来たら、眠くなってしまうんです~」とか、「先生の声を聞いていたら、眠くなるんです~」と言われた事がある。私は決して催眠術師ではなく(笑)、そう言われるのは呼吸法をやっているから。 何年もご一緒している人は、深く呼吸しながら、みんなで穏やかな空間に身を置くと、副交感神経が優位になり、「ときには眠くなってしまう事もある」と解っておられる。でも初心者の方の場合、戸惑ってしまう方もいらっしゃるようだ。「みんなと一緒にいる時、不覚にも眠くなってしまった!」とか、「眠くなるなんて、集中力が足りないのでは!?」とか、はたまた「稽古中に眠くなるなんて、講師に対して失礼じゃないかな…」、そんなふうに思ってしまい、習い始めの方の中には、恐縮してしまう方もいらっしゃったようだ。 勿論、稽古中に本当にぐっすり眠り込まれては困るけど、「眠くなった」と言われた時は、少し嬉しかった。皆様の心と体に「興奮」や「過剰防衛」の意識が無くなり、ほどよく筋肉が緩み、精神がリラックス状態にある。そのような状態にあるとき、体内でセロトニンの分泌が促進され、内臓の働きや血流も良くなる。日常生活で疲れた心身を、深い呼吸やゆっくりした動きで癒す事ができれば、稽古終わりには憑き物が落ちたように心身が軽くなる。 みんなで日常生活のモヤモヤを忘れ、呼吸法などを行うと、その場に静けさが漂う。少しばかり眠くなる人がでてくるのは、ヒトの反応として至極まっとうだと思う。心がガチガチに緊張せず、余計なストレスや雑念が抜けている状態は、脳の興奮を静める。 普段、精一杯がんばっている人達の、たかぶった神経を休めたい。呼吸法、気功、太極拳動作などをやっていくうちに、神経過敏な状態が無くなるなら、時間をみんなで共有する意義は大きい。 人間は、仕事や人間関係で、脳疲労を起こすような複雑な悩みを抱えたり、物事を考え過ぎて疲れてしまう事もある。稽古に来たときは、ゆったり動いて、呼吸を楽にして、心身のメンテナンスをする時間を過ごしてもらいたい。 「副腎疲労」という言葉がある。ストレスに晒されると自律神経は乱れ、心身が疲弊し、体内でホルモンバランスは崩れる。そんなときこそ、ゆったりと呼吸しながら、体の内側から整えていくことが大切だ。 よく初心者の方の中に...

先の先。どこまで考えるか?

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長く続いてきた伝統的なもの 私が最初に茶道の稽古をしたのは、はるか昔、中学生の頃だった。当時、感じた事がある。御点前のとき、または客側の作法でも、時折、滑稽と思えた所作がある。 中学生当時、習いたての頃、先生が飲み切る際に「ズズッ!」と音をたてた事に驚き、初めは笑ってしまった。勿論、そのとき先生からは、きちんと説明を受けた。これは飲み切ったことを亭主に知らせてるのだ、ちゃんと意味がある行動なのだと。 でも、なにせ中学生だったから、行動の意味よりも何よりも、表面的な事が気になった。心の中では、「お茶の稽古って上品なものだと思ってたけど、最後にズズッ!は無いよなぁ~」と思った。 中学生だった私は「ズズッ!」と音をたてて飲み切る行為にどうしても抵抗があり、自分が頂く側のときは、極力控えめに「しゅ…」と軽く吸って誤魔化した。 客側が飲み終えて茶碗を拝見するとき、丸めた掌に茶碗をのせ、殊更、深く感心したように拝見する。これも中学生の私には馴染めなかった。ときに先生が演技するかの如く(当時の私にはそう思えた)、まじまじと茶碗の裏側を眺めたりして、何となくわざとらしい感じがして奇妙に思えた。 私はいったん、高校~大学時代に、茶道から離れた。そして20代半ばで、中学の頃と別の先生について、また稽古を再開した。再開後、数年間、稽古を重ねた。 所作に慣れていくと、中学時代には全く理解できなかった良さを少しは感じた。「ズズッ!」は相変わらず苦手だったけど、御道具を拝見する行為には、さほど抵抗が無くなった。 御点前の手順というのは、美しく合理的にできており、無駄なく構成されている。道具を大切に扱う精神も、大人になってから少しは理解できた。 20代の頃の自分は、とにかく仕事が激務だったので、疲れが溜まりがちだった。週末の茶道の稽古のときは、日常の激務をしばし忘れる事ができた。静かな場に身を置き、御点前を繰り返し、先生から手順、所作に関して指導を受けつつ、もちろん茶道具は粗雑に扱わないよう注意した。 次第に御点前に対する見方は変化し、「伝統あるものって良いな」と思えるようになった。「伝統を人が繋いできた事」の素晴らしさが少しずつ理解できた。今現在はもう、茶道から離れて随分長い年月が経ってしまった。今でも、自宅で茶をたてて飲むけれど、作法の手順は無視して簡単にしている。 日常生活では、茶道の経験...
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