投稿

8月, 2021の投稿を表示しています

筋肉は裏切らない

イメージ
忙しいと、つい怠りがちな健康管理 多くの人が、 20 代のときは社会人としてまだ成熟していない。若さゆえ、精神面がドッシリと落ち着いておらず、心の余裕はなく、未熟な面も多い。だから時には失敗しながら、社会人としてのスキルを磨きながら、人生経験を積んでいく。 そして 30 代半ばを過ぎ、 30 代後半くらいからは、社会的な存在として、職場等ではベテランの域に達してきて、重要な仕事を任せてもらえる機会も増える。そうなると精神的プレッシャーがある反面、自分自身の社会的な位置づけを認識したり、組織を動かす自覚も生まれてくるので、仕事が面白くなってくる。人間関係の構築も 20 代の頃より上手くなるため、良い意味で世渡りが上手くなり、判断力もついてくる。 そんなふうに社会人として実力がついて、様々な事柄を上手く運べるようになる時期にこそ、気をつけたいことがある。それは 健康管理 である。 30 ~ 40 代というのは、仕事や人づきあいの忙しさから、つい健康管理を怠りがちになりやすい。中間管理職が多い世代でもあり、気疲れも多い。仕事も忙しく、飲み会などの付き合いが避けられないこともある。 プライベートでは、家を買うなど大きな決断をしたり、子育てと親のケアが重なりやすい世代でもある。とにかく社会的に責任が重くなり、多忙な世代と言える。 そんな事情から、 30 ~ 40 代では、特に個人が意識しなければ運動不足のまま過ごしてしまう人が多い。 10 ~ 20 代の頃、引き締まった体つきだった人も、あっというまに中年太りしたり、お腹まわりがダブついてくる。痩せている人でも、運動しなければ筋力が弱って代謝が悪くなり、疲れやすくなる。 サラリーマンの人の中には、健康診断で血液検査の結果が悪くなり、あわててその直後だけ運動したり、メタボになって初めて慌てる人もいる。健康診断の直前だけ断酒をする人もいる。私は、ある企業で働いていた頃、そんな人を沢山みてきた。 本当はもっと早い時期から健康管理をコツコツとやっていくのがベターだし、たとえ忙しくても、軽い運動なら生活の中に取り入れることができる。 ちょっとした隙間の時間を使って脚を上げてみたり、お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしながら爪先立ちになったり、通勤途中の駅ではなるべく階段を使う。こんなふうにちょっとした工夫で、いくらでも日常生活に運動を取

健康維持と激務のバランス

イメージ
働き方改革の前に立ちはだかるコロナ禍 昨年から続くコロナ禍により、保健・医療関係者や、飲食店、観光業などに携わる皆様は勿論のこと、地方行政を担っておられる方々、その他にもコロナ禍で業績が芳しくない分野の方々の心労はいかばかりだろう。 塾や習い事の講師で生計を立てている人や、エステなど人と密に接する美容業界の人も、コロナ禍で厳しい経営環境に置かれていらっしゃると思う。 土台がしっかりしている大企業であっても、コロナ禍で他社との取引が激減すれば業績は下がり、結果として大勢の社員が生活不安を抱えてしまう。 数年前から、働き方改革という言葉を頻繁に聞く。 厚生労働省のウェブサイト には、「個々の事情に応じ、多様な働き方を選択できる社会を実現し、働く方一人ひとりがより良い将来の展望を持てるようにする」などと、働き方改革について記載してある。 しかし改革を本格化しようという矢先のコロナ禍で、仕事のやり方を容易にコントロールできない状態に陥っている業界が大部分である。生産性を上げようにもコロナ禍で困難な面は多く、また高齢者を積極的に雇用しようにも、パンデミックが終わらないことには難しい。課題満載である。 とにかく今は何が何でも、個人個人が生きる糧をどうにかして繋いでいかなければならない。 パンデミックの世の中では、経営陣は、社員の誰かが体調を崩して SOS を出す場合に備え、サポート人材を次々と育てておく必要がある。人間の仕事をAIがとってかわる時代が来ていても、細やかさが求められる仕事や、適宜、現場での決断を下していくことはヒトにしかできない。 マネージメントする側には、従業員の健康管理への配慮も求められる。利益を追求しなければならない企業にとって、利益を追求することと、従業員の意向や健康問題を第一に考えることは、必ずしも比例して進められないケースも多く、非常にもどかしい問題だと思う。 一般企業、公的機関、そして庶民の生活。コロナ禍で、この先の暮らし方や世の中の価値観はどう変わっていくのか。 我々庶民も、一昨年までとは全く違う生活、これまでにない窮屈な日常が続き、1人1人の心に健康不安や生活上の不安がつきまとい、ストレスが無くなることはない。 去年、コロナウイルスを指して「見えない敵」という言い方をよく耳にしたが、見えない敵が現れたことで、対応しなけばならないことが格段に増えて

呼吸法で健康な体を取り戻した白隠禅師

イメージ
何事も、やり過ぎは疲労を招く 若かりし 10 代の頃の私は、高校でテニス部に所属し、放課後や土日によくテニスコートで過ごした。ボールを打つのは楽しかったけれど、屋外でしかも夏場、炎天下で日焼けしながらのテニスは、本当に疲労が溜まった。 当時は進学校に通っていたので、冬は暗いうちから家を出て朝課外を受け、夕方には塾にも通いながら、部活と学業を両立し、とにかくやることが毎日毎日押し寄せていた。まだ 10 代で若かったから、何とか切り抜けられたのだと思う。 大学時代を経て、その後、就職。今度は夢中になって働いた。新人の頃は、忙しい仕事になかなか慣れず、心労が溜まって一度、胃炎になった。胃炎を治療して乗り越え、数年働いているうちに、だんだん仕事が面白くなり、働くことの醍醐味を味わい、はまり込んで「仕事人間」になった。体がしんどいと思う以上に、担っていた業務の中身の奥深さにはまっていき、大いにやり甲斐を感じ、何年もの間、仕事にかなり没頭した。 私はその仕事を、もう随分前に辞めている。ただ、その当時、がむしゃらに頑張って得た知識と経験は、ときには直接的に、ときには間接的に、今の暮らしの中で役立っている。当時はそれなりに苦労もしたけれど、良い経験を積ませてもらったと思うと同時に、人生に無駄なことはないと感じている。 ただし問題もあった。やり過ぎたのだ。没頭できる仕事に従事していた当時の 10 年間ほど、その渦中にあるときは特に何とも思わなかった。でも仕事を離れてから、やっと自分が、かなり心身を酷使していたことに気づいた。私は、自分が思ってる以上に疲れていた。 仕事に染まっていた生活のリズムが、辞めたあと変化したことで、溜まっていたそれまでの疲れが一気に噴き出し、一時期、心身が思うようにコントロールできない状態に陥った。 張り詰めた状態で何年も頑張ってきた結果、脳が疲弊してしまい、約2~3年ほど調子が悪い状態が続いた。その頃、たまたま他のストレスが加わってしまったこともあり、酷く疲れてしまい、無気力になったり、ある特定の場所に行くとパニック発作も出るようになってしまった。 その辛い状態を、長い時間をかけて乗り越えることができた理由は、まず心療内科に行ってみたこと。それから、心の整理ができるような本を意識して読んだこと。そして何といっても、辞めずに継続していた太極拳、中国古来の気功健
随筆★太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品