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12月, 2020の投稿を表示しています

力まず、心を静め、体を緩める

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初対面の剛力の相手と対峙 もうずっと以前、組み合って練習する「推手」の鍛錬のために、とある教室へ通っていたときの出来事。推手の稽古のときは、いつも数名のメンバー、指導してくれる先生が入り交じって、2名ずつでペアで組み合い、技を練りあうような練習を重ねていた。 ある日の稽古で、私は、超がつくほど“剛力”の相手と組む経験をした。その剛力の相手というのは、その日、初めて推手を経験したという正真正銘の「初心者」の方だった。 その人は、なにせ初めてなので、力の抜き加減が全く分からなかったようで、とにかくむやみやたらとグイグイ力技でこちらを押しまくってくる。ひたすら腕力で勝負してくるのだった。ビックリするくらい腕と手にガッチガチに力が入っていた。 正直言うと、推手の経験が浅かった私は、その日まで、凄い剛力で向かってくる相手と組んだ経験がなかった。なぜならベテランの指導者や手慣れた先輩ほど、いわゆる馬鹿力を出さないから。太極拳のベテランの方々は、常に手先、体、すべてが柔らかくて、動作に怪力は使わない。 長い年月指導しているレベルの高い先生になると、涼しい顔で相手と対峙し、冷静に力を加減して、組み合う際の手先は、まるで羽毛にでも触れているかのような柔らかな感じである。だから、いつもヒヨッコの私などは、「もっと肩や手の力を抜いてね」と何度も何度も指摘されていた。 太極拳に過剰な腕力や無駄な指の力は要らない。自分が力んで相手を押しまくってしまうと、相手の力を繊細に読む能力は薄れてしまう。だから馬鹿力は出さず、下半身の重心移動でもって動きながら、胴体部分から湧き出る力を緩やかに手先に伝えながら動く。 でも、あのときの初心者の方、つまり剛力の人みたいに、稽古に慣れていない方は、「力を緩める」という感覚自体が分からないので、思いっきり力任せに動いてしまう。 もちろん私自身も、太極拳、推手の稽古を始めたばかりの頃は、ガッチガチに力んでいた時期があった。つくづく「年数を重ねて稽古を継続すること」って大切なんだと感じる。 その初心者の剛力な方は、決して大柄でもなく筋肉隆々でもなかった。とにかく慣れていなくて要領が分からず、「推せばいいだろう」「相手をやっつける方向へ持って行けばいいだろう」「勝負だから」という意識だったのだと思う。もしかしたら初めての参加で、見た目以上に緊張されていたのかもしれない

めざすは「サグラダファミリア」の安定感

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先週、 UNESCO (ユネスコ)の無形文化遺産に、日本の伝統建築工匠の技、中国の太極拳、フィンランドのサウナ文化等の登録が決定したそうだ。ネット上では賛否あったようだけれど、私のような太極拳愛好家にとっては、単純に喜ばしいニュースである。 太極拳も建築物もアーチの形で安定させる UNESCO の世界遺産繋がりの話題というと強引な気もするが、私は昔、『サグラダファミリア』をどうしても一目見たくて、スペインのバルセロナへ旅行したことがある。そのとき現地でそびえ立つ塔をすぐ目の前にして、首を上へ向けて見上げた。かなり真上を見上げないと、てっぺんが見えないくらい高い。石造りでよくあんな巨大で高くそびえる塔を建てたものだと思う。人間の才知とは本当に凄いものだ。 サグラダファミリアは、とんがりコーンというか、もぎたてのトウモロコシのような形の塔が何塔もある。集まっている石材の重量を考えると、よく平然と(?)あんなふうに建っていられると驚くばかり。テレビなんかで遠くから塔を映した様子をみると、長いのでいつかポキッと折れそうな気がする。あのような縦長の塔を石で造って、折れないように、倒れないようにするのは至難の業だろう。 ガウディは構想段階の実験で、両側から吊るした糸に重りをつけて垂らしてできるアーチ曲線を作り、何度も実験を繰り返し、“アーチ型を上手く利用することで、巨大であっても安定した建築物を建てる”ことに繋げたという。 建築のノウハウは私にはさっぱり分からないけれど、この実験模型のレプリカは、私も過去の旅行の際に見たことがある。実物のサグラダファミリアの巨大な塔群を見たときはさすがに感動したけれど、実験模型のレプリカを見たとき、建築ド素人の私は「何だこれ? よくわからないなぁ~」というのが正直な感想だった。 でも今はとにかく、あれほどの石の重量でも潰れない巨大なものを、現実に形として建てていくのは本当に凄いことだと素人なりに思える。最近は特に、太極拳を長く稽古してきたから、人間であれ、動物であれ、建築物であれ、重力に逆らうことなく安定して立っているもの(建っているもの)をみると、毎度毎度、妙に感心するようになってしまった。 サグラダファミリアの塔は、「上部の重量を、下部で分散して支えるしくみ」となっている。 ・・おや? これは太極拳の「上虚下実」に通じるものがある。 肢

興味深い「中国の伝統武術家と総合格闘家の戦い」

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アッサリ負けてしまった中国の伝統武術家たち 先月( 11 月)下旬、テレビで面白い番組が放送されていたので、シッカリ録画してから観てみた。 NHK のドキュメンタリー「真実への鉄拳〜中国・伝統武術と闘う男〜」という番組だ。 ある中国の総合格闘家が、伝統的な中国武術の達人たちと実際に技で戦い、彼らをことごとく打ち負かしてしまった。(この番組自体は 2017 年頃の出来事を編集したもの)実際の番組内容は、「伝統武術VS総合格闘技」という単純な図式ではなく、もっと政治色のある内容で、武術うんぬんだけではなく、愛国心のあり方が問われるというテーマだった。 番組内容によると、「伝統的な中国の武術家と、その武術家を応援している国民は愛国心が強い」傾向にあるという。 過去に中国でイップマン(ブルースリーの師匠)の生涯を描いた映画が作られていて、その映画の影響もあって、「伝統武術と愛国心」を絡めて考える人が増えていったらしい。この映画のストーリーの中で、イップマンが日本軍将校と一対一の対戦をしており、そのことが余計に愛国心を高めることに繋がったらしい。 だいたい中国に限らずどこの国でも、海外に誇ることができる文化や芸術や武道、こういったものは愛国心を駆り立てる要素がある。それで近年の中国では、伝統武術家の人達が自分の権威を示すため、敢えて「自分は愛国者だ」と声高にSNS等で発信するケースが多いという。 逆に、この番組に出ていた総合格闘家は、伝統的なものを否定する反逆者のような扱いを不当に受けてしまったらしい。 これは、あくまでもこの番組の中で扱われた中国国内でのエピソードとして描かれた内容であり、実際の中国社会では、おそらく全ての国民が「愛国心を持っている」「持っていない」のどちらか二派に完全にパカッと分かれている訳ではなく、きっとグレーゾーンに考え方を置いている人も結構いるのではないだろうか。 とにかく放送内容をみる限りは、伝統的なものを否定して何らかの抗議行動に出ると、保守的な層や関連団体の上層部から爪はじきにされたり、時には“いちゃもん”を付けられるケースがあるらしいのだ。 政治的な内容はさておき、この番組で、太極拳、推手の名人、詠春拳、里合脚(技)の達人といった名だたる達人たちが、この総合格闘家グループとジムで実際に戦い、あっさりノックアウトさせられる様子が映っていた。

太極拳に思想的影響を与えたという道教

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道教には神仙思想という考え方がある 太極拳や、その他の中国の養生法にも思想的影響をもたらしたとされる『道教』は、中国の三大宗教の1つと言われている。中国の三大宗教というのは、儒教、道教、仏教。 道教では、普遍的に不老長寿、不老不死を求めたり、自然を神格化して崇拝する思想が色濃い。 そして道教は一神教ではないので、自然も畏敬しながら、なおかつ中国の歴史上の有名人もたくさん神として祀っている。実際にアジアの道教寺院を訪問してみると、何体もの色んな神々が祀ってある。ちなみに私は台湾の道教寺院へ行ったことがあるが、そこでも何体かの崇める存在が祀ってあった。 道教の背景には『神仙思想』という考え方がある。神仙思想というのは、ザッと大まかに説明すると、不老不死を求め、修行を積み、あらゆる身心の鍛錬を乗り越え、さらには自然界を熟知し自然と調和しながら生きる神格化された存在である仙人を目指すというもの。 この私のたどたどしい説明と語彙力では、仙人像や神仙思想のことが分かりにくいと思うので、いっそのこと、もっと雑な言い方でシンプルに説明した方がイメージが湧くだろうか。雑に言ってしまえば、神仙思想とは、「不老不死の力を得るために懸命に修行して、何事においても超越した存在になるぞ! 並みの人間ではなくなるぞ! 老いないし、死なないんだぞ!」・・という思想である。 私が昔からイメージしていた仙人というのは、白い長い髭をたくわえた老人。そして頭に浮かんでくるのは、グネグネした杖を持っていて、雲間からヒョロロロ~と現れるおじいさんのイメージ。だから西遊記の孫悟空なんかも仙人のような存在だとは、子供の頃は全く知らずにテレビドラマで観ていた。 とにかく仙人は、不老不死を得るための厳しい修行を乗り越えた崇高な存在で、並みの人間の存在をはるかに超越しており、常人では考えられない術を使うという。超常的な力を持ち、不老不死に近づいた貴い存在である。 秦の始皇帝も叶う事がなかった夢=不老不死に向かうには、身体の鍛錬のほか、薬を用いる方法(仙丹)もあったとされる。この仙丹というものが、太極拳を稽古する時に意識する『丹田』というものに繋がっていく。 予備知識や深い知識なく、神仙思想というものを何となく知ると、なんだか“非現実的で滑稽な考え方”に思われるかもしれないが、それは現代に生きる我々が、最新の現代医学

太極拳の背景を学ぶと、また別の世界が広がっていく

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孫悟空は、並みの哺乳類の能力を超越した仙術使い 子供の頃、私はテレビドラマで『西遊記』を観たことがある。私が観た西遊記は、夏目雅子さんが三蔵法師。堺正章さんが孫悟空で、「おっしょさん!」と三蔵法師に呼びかけながら、悪さばかりして三蔵法師にいつも孫悟空が怒られるパターンのもの。登場人物の言葉のやり取りや、毎回繰り広げられる妖術使いの魔物みたいな奴らとの戦いが面白かった記憶がある。 私と同世代の今の中高年くらいの方々は、おそらく当時リアルタイムで観ていらっしゃったり、あるいは再放送を観たという方もきっといらっしゃると思う。西遊記はご存じの通り中国の有名な説話で、中国でも何度も映像化されているようだ。日本でも複数回ドラマ化されたり、漫画のモチーフになったり、児童向けの絵本でも孫悟空のストーリーは出版されている。 大人になってからの私は、仕事や日常生活に忙殺される日々が続いてテレビをあまり観ない時期があった事や、書籍なんかも主に経済関係や啓発本を好んで読んでいた時期が長かったので、ハッキリ言って西遊記の存在は長い間、忘れ去っていた。 過去に複数回、テレビドラマ等でリメイクされていたようだが、私は、宮沢りえさんや深津絵里さんバージョンの三蔵法師は一度も観ていない。大人になってからは西遊記への興味は完全に薄れており、再びストーリーに触れる機会は 20 ~ 30 代の頃は全く無かった。 ところが!太極拳をきっかけに、私は再び西遊記に興味を持った。なぜなら太極拳は、その理論において「中国の道教の思想的影響を受けている」とされており、西遊記に出てくるあの有名な猿『孫悟空』は、太極拳が思想的影響を受けている『道教』の『仙人』であるらしいのだ。いや正確には、仙人ではなく「仙術使いの猿」とでも言ったらいいだろうか。 孫悟空が仙術使いであるというのは、もしかしたら西遊記ファンの方達にとっては周知の事実なのかもれない。だけど私は、なにせ子供の頃、単なる娯楽としてテレビドラマで西遊記を観ただけだったので、安直なファンタジーくらいにしか思っていなかった。 子供時代は、まったく「西遊記とはどんなものか」「孫悟空はいったい何者なのか」を理解してはいなかった。この西遊記という作品の中に、まさか東洋哲学の真義がちりばめられていたとは、当時は知る由もなかったのである。 三蔵法師をなんと 500 年間も待って
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