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4月, 2021の投稿を表示しています

目が見る先へ、自分のすべてが導かれていく

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動きに少し慣れたら眼法もしっかり意識 太極拳を習い始めたばかりの人が一連の動き(套路)を行う場合、まずは「見取り稽古」から始めることになる。ただひたすら先生や先輩の動きを真似してみる。とにかく体に動きを染みこませ、スムーズに動けるようになるまでは、長い時間をかけて、動ける人を真似ながら型や套路を繰り返すしかない。 ということは、つまり稽古を始めたばかりで慣れていない初心者の方々は、「眼法(イェンファー)」までは上手く実現できない。太極拳でいう眼法というのは、簡単にいえば目の動きを意識すること。いや、正確には、目の動きが身体を導く意識を持つこと。目の向く先に、自分の心身が導かれる。太極拳を練習するとき、眼法も非常に重要な要素となる。 眼法を意識して稽古するとき、単純に「手元を見ればいいんだよ」とか、そういうことではない。やはり心、つまり意識、意念、精神的なものの保ち方に気をつけて、「いかに目の動きと、心の持ち様と、体の動きが協調しているのか」を自然に意識できるよう、練習を積まなければならない。 こんなことを語っている私も、過去、初心者の頃には、自分の先生から「雲手の動作の時、上の手を見なさい」などと言われれば、単純に「上の手を見ながら動けば良いんだな」というアッサリした感覚だった。いま思えば、意識、意念などには全く考えが及んでおらず、動くこと自体を機械的に「処理」していた。 太極拳の稽古を重ねていくと、動くことを「適当にあしらうように処理する」のは駄目なんだとだんだん分かってくる。そこには「意識と呼吸と動作。この3つを自然に協調させる」ということが必要で、これが実現できて初めて、余裕のある精神状態と柔軟な動きが保たれる。 まず意識が動くことで体内の気血が巡りはじめ、自分が持っているエネルギーを徐々に放とうとする感覚が得られる。その流れで視線が行く先を定め、すぐに次の流れに連なって、胴体から放たれた微細な感覚が最終的に肢体に伝わっていく。 目をどうする、手をどうする、という単独の動きをロボットのように行うのではなく、自分を形づくる全てのものが調和しながら動いていく。1人で套路を行うときは、自分の中でこういった流れを意識して動いてみる。推手のように相手と組み合うときは、相手を自分の目と意識が向かう方へ誘導していく。流れを作って、最終的に自分のペースに相手を巻き込む(これが

気を浪費せず、養うこと

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生きるために自己に宿したエネルギー 気の概念は、中国、春秋戦国時代から既に存在したと言われている。いにしえからの中医学の考え方では、人が生きるためには、大きく分けて3つの分野の「気」を得なければならない。 1つは、先天の気 2つめは、水穀の気・・・生後、後天的に得る「飲食物からの栄養」 3つめは、清気・・・生後、後天的に得る「肺から取り入れる空気(酸素)」 上の3つのうち、「先天の気」について。いにしえからの中医学の考え方では、人間には、生まれたときから自身の体内に持っている気のエネルギー「先天の精気」(先天の精、または先天の気ともいう)がある。この先天の気は、生まれるとき両親から受け継いだもので、体内に内包して生を受ける。 しかし人間は、年を重ねるにしたがって、体、脳、臓器を酷使し、元々持っていた自己エネルギーを消耗していく。 中医学では「何事もやり過ぎは良くない」という考えが根底にある。例えば、江戸時代の学者、貝原益軒の持論「腹八分」に代表されるように、日本の健康養生法も中医学の影響を受けており、過剰に体や心に負担がかかる事を控え、ほどほどにする、つまり「過ぎたるは及ばざるが如し」の考え方が根付いている。過労やストレス、暴飲暴食などが続けば、気の消耗、浪費につながってしまう。 最近、テレビで中国ドラマをみたとき、心身の弱った人を医者が診察して「気が不足しています」なんていうセリフがあった。気が不足する「気虚」の状態になったら、「気を養う」ことが重要になってくる。 気を養うには、食事から栄養分をしっかり取る必要がある(水穀の気)。さらに広義で捉えて健康について考えれば、食事以外にも、適度な運動、質の良い睡眠、森林浴のような心地よい環境に身を置くなどしながら、“新鮮な空気”を吸うこと。 これらを日々実践しながら健康に配慮した生活をすることで、不足した気を補い、体の状態を調整し、健やかに生きるための糧とする。 気は体の内外を巡る 人体の多数のツボ(経穴)は、「重要な気の出入り口」だという考え方がある。中国の気功健康法などでは、天に向けて手をかざした場合、天から良い気を取り入れるイメージを持ち、そのことで心地よさが増して脳波にも良い影響が出る。しっかりと地面に根を下ろした足裏からは、大地のエネルギーを取り込むような意識を持つと、一層気力がみなぎる。 こういった考え方は、

コロナ禍。1年以上が経過して思うこと。

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マスクして稽古するのは慣れたけれど 私は、稽古事を自分が習う立場になる時もあれば、教える立場になるケースもある。昨年の春頃はコロナ禍で、習う方も教える方も長期間、稽古できない自粛期間があった。昨年の夏以降は、みんなで万全の感染対策をしながら稽古を再開し、今に至っている。幸いなことに、身近な関係者に感染者は1人も出ていない。 私が、中国古来の健康法や、太極拳の動作などを指導させていただく場所では、当然ながら感染対策として、休憩時にも距離をあけて座る。マスクは、参加者全員がずっとつけたままで稽古する。マスクを外すのは、水分補給をする一瞬のみ。 運動内容はゆっくりした動きばかりで、大量に汗が噴き出す激しい運動はしない。だからマスクをしたままでも息があがって苦しくなるようなことはない。 ただ、自分が教える側に立つということは、自分も動いてみせながら、同時にしゃべって説明を加え、さらに皆様の動きをしっかり見ていくというように、複数のことを同時進行でやらなければならない。 その場合、マスクをしていることに息苦しさを感じることがある。でもこれは、今のご時世、どんな分野のどんな世界の人も状況は同じで、感染対策が何よりも優先されるので、不満を言っている場合じゃないことは重々承知である。 教室の皆様の表情がわかりにくい 太極拳の稽古をするとき、新しく始めたばかりの初心者の方は当然、慣れない姿勢と動きで戸惑いがちである。もし指導する側が、初心者の方の許容量を超えていっぺんに沢山のことを要求してしまうと、その人は緊張してリラックスできなくなる。そうなると特に御年配の方などは、「自分は向いてないのかな?」とか、「細かい動作の要領できるかな、大丈夫かな。」と不安になり、尻込みしてしまう。 気持ちよく、柔らかく動いていただけるように、稽古時の説明の言い回しや、姿勢を保つことへの指摘の仕方を工夫し、稽古にスムーズに臨んでいただけるよう全てを調整するのも、指導者側の大切な役割である。 私が教室で気をつけているのは、習いに来られる皆様が、過剰に焦ったり、混乱しないよう、理屈を説明する際に、お一人お一人の目や顔の表情を見ながら稽古を進める。 皆様の表情をみれば、「この人は、今ちょっと戸惑っていらっしゃるな」とか、「この人は今、すごくイキイキと集中していて心から稽古を楽しんでいらっしゃるな」というのが肌で
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