投稿

ラベル(東洋医学・東洋哲学)が付いた投稿を表示しています

「神」(shen)とは、何なのか

イメージ
前回、「神」について書いた。今の自分の中途半端な解釈でどこまで述べられるか分からないけど、もう少し考えてみたい。 中医学や気功について学ぶとき、また太極拳の理論を学んでいく際、よく「神」という言葉が出てくる。中医学や太極拳、気功などの分野で「神」という言葉が出てくる場合、前回述べた通り、日本人が言う神様の事をさしているのではない。 では、神とは何だろう。この神という文字には複数の意味があり、その中の一部を、かいつまんで言うと以下のようなものがある。 ・自分の体内の生命活動の状態が、外側に表面化した様子。 ・意識下、深層心理にあるものが、体外へ表面化した状態の事。 神は、ちょっとイメージが掴みにくい言葉だけど、とにかく「人間としての活動すべてが体外へ表面化したときの様相」 だと思えばいい。 私にとって、この「様相」という言葉が一番、イメージが伝わりやすいように思うので、あえてこの言葉を使っている。「顕在化した様相」とでも言うべきか。様子、表情、有様という言葉でも説明できる。中国語では、神態とか神色という熟語もある。 それから神は、もう少し意味を狭めて言うと、ヒトの感情や思考そのものをさす事もあるという。そして、その神は、心に由来する。心は、五臓でもあり、そして思想を司るもの。心の在り方が、神の様相を醸成すると考えれば良いだろう。 内面、内側が、外側に表れるケースは、いろいろあると思う。例えば、怒りに満ちている人は、カーッと赤くなって、周囲の人が近寄りがたい気配をまとう。また、 心の中で何かに怯えている人は、オドオドして青ざめ、精神不安定なのが外面に表れる。 風邪で発熱した人は、体の中に病原体が侵入している。本人にも、周囲の人にも、その病原体の実物は見えないけれど、体の外側では明らかな体調不良が表面化する。熱で頬が赤らんだり、涙目になったり、目付きがポーッとして、足元はふらつく。 また、風邪を引いてなくても、内臓が悪くなくても、もし過度のストレスで精神面が不安定になれば、神経伝達物質の影響で目や顔の表情まで変わる。神経伝達物質というものは、決して目に見えるものでは無い。でも表面化してくる症状はある。強いストレスによって不眠気味になったり、見るからに不健康な目付きになってしまう人もいる。 ヒトの体は、内側も、外側も、すべて連携して機能している。骨や筋肉が連携しているのは勿...

顔に現れる様相

イメージ
表情や肌の状態で分かる体調 過去のブログ記事にも書いたエピソードだと思う。かなり前、ある方から聞いた話。ある日、その人の趣味仲間の顔色が、普段より良くなかったそうだ。それで、その趣味仲間の人へ、「なんだか顔色悪いみたい。病院に行ってみたら?」と勧めたそうだ。その趣味仲間の人が病院へに行き、検査をしてみたら、結果、重大な病気が見つかったそうだ。このエピソードを聞かせて下さった方いわく、「やはり顔は、健康状態をうつす鏡なのだ」という事だった。 ところで私の知己の人の中に、去年、体調を崩した人がいて、その人も顔の表情が良くなかった。その人は、ずっと黒まなこの表情が冴えなかった。そして生気が無かった。面と向かって会話しているにも関わらず、何だか、ちゃんと目が合わないというか、その人の目の焦点が微妙に合っていない感じがした(目の疾患ではない)。 その人は、ずっと持病の治療を続けている。今も病気は完治していないけれど、病院に通院し、治療を続けた甲斐あって、徐々に回復してきている。少しずつ、瞳の表情の豊かさを取り戻しつつある。 やはり、目つき、顔つき、肌質に現れる好不調というのは、体調管理の面では注視すべき点かもしれないと、その知人の状態を見て、改めてそう思った。 私には、もう大きくなって成長した子供がいる。昔、子供が幼少期の頃を思い起こすと、当時は分かりやすかったというか、子供の顔色からの健康観察はしやすかった。だいたい冬場になると、子供は保育所などで風邪をもらってくる。そういう場合、特に発熱した時などは、やはり健康な時とは、まるで子供の顔色が違っていたものだった。目の下にクマができ、体調不良だと一発で分かる顔色だった。 小さい子供は皮膚も薄く、もともと血色が良いので、体調の変化が顔に出やすいのかなと思う。大人だと、顔の皮膚には長年のシミがあったり、くすんだりしているし、化粧をしている事もある。 大人の場合、過去の自分の経験から、体調不良の原因や経過について、自己判断で決めつけてしまう事もある。「以前もこんな不調あったな~。その時は、数日したら良くなったから、今回も大丈夫だろう」などと、安易に決めつけてしまう事はある。 具体的にピンポイントで、体のどこか特定の部位が痛むとか、体の一部に明らかな不調が出たとき、ヒトは病院に行き、「○○が痛いです」などと医師に告げ、診察や検査をして...

ゼロになること

イメージ
2024年。年上の親族の病気や死があり、改めて、死とは、老いとは…について考えた。昔、 キューブラーロスの「死ぬ瞬間」 という本を読んだ事がある。 臨死体験を単に紹介するという内容に限ったものではなく、ヒトの自然な死についても触れてあり、深く考えさせられる内容だ。 実際には、死ぬ瞬間の状態は、絶対に生きている人間には分からないはず。 臨死体験という言葉があるけど、本当にその人が死んでしまったわけではないので、やはり死ぬ瞬間がどうなのかを知っているのは、すでに亡くなった人だけだ。亡くなった人に、「死んだ瞬間、どんな感じでしたか?」とは永遠に聞けない。 死ぬ瞬間というのは、誰であっても、いつか自分の寿命が来た時にしか分からない。今年、亡くなった高齢の親族は、1年間、持病で体調が安定せず亡くなった。しかし死因は老衰という診断で、最期の日は安らかで、苦しみや痛みに悶えて最期を迎えたのではない。 今、ガザなどで子供が空爆や飢餓で苦しんだり、乳児が寒さで亡くなったりしている事を思えば、日本に居て、90近くまで生 きて、温かい蒲団で、自然に目を閉じで死を迎えられるのは良い事なのかもしれない、そう思える。 中医学では、先天の気と、後天の気があると考えられている( 過去記事参照 )。 気(气・氣 ・qi) は、気功や太極拳の分野においても、上手く活用すべき重要なも の。 先天の気に関して言うと、生まれたとき潤沢にあったものが、亡くなるときにはゼロになるのだと私は思っている。ゼロになる体…という歌詞の歌があったのを思い出す( https://amzn.asia/d/8wUYZEt / https://amzn.asia/d/brJmUE8 )。 後天の気は、生きて行くうえで、体を維持するために、体外から取り入れて補うもの。呼吸で酸素を取り込んだり、水穀、つまり食べ物や水分から、自分の生きるエネルギーを得る。それが気血となって人間活動のベースとなる。 高齢になって死が近づくと、生きるためのエネルギーの補給は、徐々に必要とされなくなっていく。そうしてゼロの状態へ近づく。 衰弱している人でも、死の前日、または当日まで、少しの食べ物を口にする事が可能な人もいる。それでも、高齢であるほど消化器官の機能は衰えてしまっており、死の直前に、数口でも食物を口から取り込んだとして、その食べた分の栄養を...

久しぶりの狂言の舞台

イメージ
延々と多忙な日が続き、ブログを更新しないまま、軽く二カ月以上が経過してしまった。何だか忙しい一年だった。 でも、そんな忙しい合間をぬって、今年は楽しい事もあった。今年、久しぶりに野村萬斎さんの狂言の舞台をみたのだ。3年前にコロナ禍になってから、あらゆる音楽会や演劇などに出向いていなかったので、実に3年ぶりの舞台鑑賞だった。 やはり狂言の舞台は、舞台装置も簡素で気持ちが良いほどスッキリしていた。演者さん達の無駄をそぎ落としているけど縮こまらない優雅な動き。過剰な演技や装飾はない。ジャンルは違うのに、やはり今回も、太極拳と重ね合わせながら観てしまった。( 過去記事でも萬斎さんのことを書いています ) 萬斎さんの動きは相変わらず整って安定した体幹、足さばき、肩と首あたりのスッキリした感じ、幼い頃からの何十年もの稽古の蓄積が醸し出す独特の立ち姿、特有の存在感。今年 56 歳であるという年齢をまったく感じさせない、スルスルと滑るように動く体。 鑑賞した舞台では、萬斎さんの御父様、人間国宝である野村万作さんも出演されていた。円熟味を増した演技をみせてくださった。 91 歳の現在も舞台に立ち続けるという凄さ。多少かすれ気味だけど声も通る。日々の相当な努力と、厳重な体のケアが必要だろう。並大抵の努力ではないと思う。 一方、萬斎さんの御長男の裕基さんも出演されていた。「親子3代、現役で同じ舞台に立つとは凄いことだな。」と改めて思った。 以前(コロナ禍になる前にも)、親子三代の舞台をみた。そのときの裕基さんは若くて初々しい感じがしたけど、今年の舞台では、軽快な動きの中にも大人の男性の色気のようなものが感じられ、成長を感じた。他の演者さんよりも裕基さんは若いので、やはり体の軽やかさと安定感は凄い。 円熟味が感じられる万作さん、そして大成された感じの萬斎さん。それぞれ素晴らしいのだけど、裕基さんを見ていると、やはり単純に「若さっていいな。」と思う。体の動きに関しては、やはり若い方が動くに決まっているのだから。 新作披露では、萬斎さんと裕基さんの親子共演で、お二人とも、それはそれは軽やかな動きだった。太極拳風に言うとすれば、軽霊が実現した動き…とでも表現したくなる。終盤の裕基さんの足の動きは、特に軽やかだった。 私は素人だから狂言の詳しいことは知らない。過去に萬斎さんの著書を数冊読んで、それ...

大椎のツボ

イメージ
大椎のツボを緩やかに刺激してみよう 首の付け根のところにある経穴(ツボ)が「大椎」です。 首の付け根といっても、ピンポイントでどの辺りにあるのか…、分かりにくいと思いますが、頸椎と胸椎のあいだ、つまり首と胸の骨の境目にあります。 頸椎は7個つらなっており、1番下の第7頸椎(隆椎)の真下に大椎のツボがあります。 第7頸椎は他の骨に比べて大きいことから、その真下のツボということで「大椎」という名前がついたといわれています。 自分でそこを触るには、まず首をゆっくり前へ、俯くようにして傾けます。そのまま手で首の後ろ側を触っていくと、一番ぼっこり!と出ている大きな骨に手が当たります。 その一番大きく、ぼっこり出ている骨が第7頸椎です。よって、そのぼっこりした大きい骨までは頸の骨、その骨から下は胸椎です。 ぼっこりした大きな第7頸椎の、すぐ下の付け根が大椎のツボです。 この大椎のツボを軽く刺激することで、以下のような効能が得られるといわれます。 【咳、喘息、熱痛、感冒、肩・腕の痛み、湿疹、吹き出物、頭痛、背筋痛、鬱など】 <ツボを刺激するときは…> ツボを刺激する際は、大椎に限らず、どんなツボでも、「ゆっくり呼吸しながら優しく押す」、また「さする」様にします。 強く押すと皮膚や毛細血管を痛めてしまいます。 それに、気持ちが良いからといって長時間、むやみに強く押せば、交感神経が優位になり、気がたかぶってリラックスできなくなってしまいます。リラックスできないと、筋肉のどこかが固くなり、血流を阻害してしまいます。 ★★★ ツボを温めたり優しく刺激することで、血流を促し、リラックスしながら大切な身体の免疫機能を調整することは、あらゆる感染症などの病気から自分を守るための防波堤の役割を果たしてくれます。  

余計な思いは捨て去る

イメージ
1月にアップした当ブログ記事で 「七情」 について触れた。日本ではよく「喜怒哀楽」という言葉を使い、感情を4つに分けて表現するが、中医学の世界では「喜・怒・憂・思・悲・恐・驚」の7つである。 日常生活において、その日、その時の状況に応じて、ほどよく7つの感情を感じられたら、きっと味わい深くて感情豊かな生き方ができるだろう。 ただし太極拳をするときは七情は不要である。当然、喜怒哀楽も不要。心は捨てていい。 太極拳をあまり知らない人がこれを聞いたら「心を捨てるなんてヒドイ~」と思われそうだけど、これは悪い意味ではなく、動くとき、 雑念を取り払って感覚を研ぎ澄すますため、あえて感情を捨て去る というもの。 完全な無意識になるという意味ではなく、意識は確かにそこにあるが、ヒトの複雑な感情は要らないということ。 太極拳を健康法として行う場合も、動作や感覚を健康面に寄与するものにする為には、力を抜き、あれこれ考えないほうがいい。 感情というのは、それが喜びであろうと嫌悪であろうと、ちょっとした興奮に繋がり、交感神経を刺激して血圧が上がる。 ブレない心を作りたい 繊細で柔らかな動作を行うには、精神面が乱れず、落ち着いている状態が望ましい。余計なことを考えてしまうと感情が乱れ、動きにブレが出てしまったり、緊張による張りが筋肉に出てしまう。だから太極拳をする上で、余計な思考は要らない。 ヒトの脳内の扁桃体は、感情が高ぶる際に大いに活性化し、そのことでちょっとした興奮状態による血圧の上昇や筋収縮を招く。だから感情面は冷静でいられるよう心を静め、自分の周りの細やかな空気の流れを感じられるほどに繊細で穏やかな状態になればいい。 感情の暴走を許さず、呼吸を整え、何かを感じる「感覚」を大切にする。 「心静用意」 (シンジンヨンイ)という言葉がある。 心を静め、意を用いる 。 太極拳を稽古するとき、感情の高ぶりの赴くまま「ヤァヤァ!」と勢いづき、突っ込んでいくような力強い動きはしない。 興奮状態にならず、不必要にアレコレ考えず精神を安定させ、副交感神経優位の状態を保ち、「意識下で体内の気を巡らす感覚」を大事にしながら動く。そうして五感を研ぎ澄ませ、周囲の気配を読み取るように鋭敏な感覚のまま動く。 1つの型をしつこいくらい何度も繰り返し、それを何年も続けて稽古していけば、その型はいつしか完全に...

みなぎる活力に年齢は関係ない

イメージ
90 歳を超えても常に朗らかでいられる人 今年のお正月、実家を訪問した。そのとき私の親が話していた内容が興味深い。 70 代の親が所属する趣味のグループには、 60 代から 90 代まで様々な年齢層の人がいらっしゃるらしい。 その趣味のメンバーのうち、私の親がよく一緒に会食するという2人について聞いた。 1人は 80 代の女性。立派な方で、昔からグループのリーダー格になるような性格の人らしい(この方には、私も過去にお会いしたことがある)。 もうお一方は 90 代の女性。 90 歳を超えているけどお元気で、割とポジティブに生きている人。 お二人とも高齢なので、過去に怪我や病気の経験があり、例えば 80 代の方は膝の調子が良くないとか、 90 代の方は過去に腎臓を1つ取っているそうだ。 年齢的なことを思えば、乗り越えてきたことも多いだろうし、年々老化するのだから体はそれぞれ万全な状態ではないだろう。 私の親が、このお二方と親しく付き合う中で、日々感じていることがあるそうだ。それは、「生きる活力」という点においては、年齢の高い低いは関係ないということ。 より高齢である 90 代の人の方がいつもお元気で、幸福に満ちている雰囲気と笑顔をお持ちだそうだ。 思考や発言には人それぞれのパターンがある 私の親が、 80 代の人よりも 90 代の人から“生きる活力に満ちた印象”を強く受け取っているのはなぜか。 まず「会話の内容」にパターンがあるそうだ。 高齢になると若い頃よりも、自分の健康不安や、友人や家族の病気や死などの心配事が降りかかる。しかし 90 代の方は、普段、会話しているときに前向きな発言が多いという。 そして、自分より年下( 90 代からみた年下、つまり 60 ~ 70 代の仲間)の話題に、いつも違和感なく入ってくる、つまり性格面での柔軟さがあるという。 もし会話の内容に世代間ギャップがあったとしても、決して知ったかぶりをするでもなく、時には聞き上手になったりして、どんな会話にも上手く溶け込める対応力、発想の柔軟さがあるという。そして、他人に愚痴や泣き言の数々を訴え、まき散らすこともない。 一方の 80 代の人は、いつも他人と話す際、自分の苦労や苦痛を相手に理解して欲しくて、“求め過ぎる”傾向にあるという。 常に不安を吐露し、会話相手から「大丈夫ですよ」という言葉を引き出...

荒ぶる心を静める

イメージ
あきらかに血圧が高そうな人 かなり昔、私が大学生の頃の話。身内や友人の話ではないのに、自分の中で強烈な印象に残っている出来事がある。 私は大学時代、第二外国語の選択科目としてドイツ語の講義を受けていた。ドイツ語の教授陣の中に、ある中年男性がいらっしゃって、その教授は普段、いたって普通のテンションで講義を行っていた。 ところが、ある初夏の日の講義で、急に烈火のごとく怒り出したことがあった。受講している学生達に向かって目をひんむいて激怒し、顔を赤くして怒鳴り散らした。そのときの剣幕、怒りの凄まじさは強く印象に残っていて忘れられない。 かなり昔の話なので、教授が怒った原因…、どの学生に対して怒ったのか?、何を怒ったのか?、全く覚えていない。ただ、「些細な事であそこまでキレる?」と思った記憶がある。 この話には続きがある。その後、大学の長い夏休みを終え、後期に入って久しぶりに大学へ行ってみると、その教授は亡くなられていた。 その頃、私はまだ若い学生の身だったので、中高年の体調や血圧のことなど意識したことがなかった。今になって思えば、あの教授はかなり高血圧だったのだろう。あの日、怒鳴ったときは、血圧が急上昇していたに違いない。 それから、これはまた別の昔話。私は中学時代、スパルタとも言える厳しい指導の英語塾に通っていた。そこの塾講師は中年男性で、お酒が大好きで、毎晩たくさん飲んでいたようだ。ひどい肥満ではなかったけど、お腹がボン!と出ていた。 勿論、お酒自体が悪いのではない。ほどほどに楽しく飲みながら過ごす日々は良いと思うし、お酒好きな人も、きちんと運動をして心身を整えればいいと思う。でもこの塾講師は、運動とは無縁の人だった。 講師の目はいつも赤く充血しており、ときには黄疸症状が出ているような黄色がかった目をしていた。かなり飲みすぎの毎日を送っていたのだろう。性格はというと、血気盛んに大きな声でワアワア会話するタイプ、いつも気がたかぶっている様子で、静寂とは無縁の人だった。 私が大人になった今思うのは、きっとこの人もかなり高血圧だったのではないかということ。 私が高校生になったとき、つまり、この中学生向けの塾に通うのを終えてから間もなくして、この塾講師は亡くなられた。塾生仲間で葬儀に行った。葬儀では、私達より年下の講師の娘さんが、シャツのそでを目にあてて涙を拭っていたのを鮮明...

頭頂のツボ【百会】について

イメージ
太極拳を稽古しつつ、中国の伝統医学(中医学)のことも少しずつ、ゆっくりマイペースで学んでいる。ツボのことは、いつかブログ記事で書きたいと思っていた。書くといっても、私の浅はかな学び程度では、体中の何百ものツボについて淀みなく一気に書けるはずもなく、まずは今回、頭部のツボ【百会】について書いてみようと思う。 ちなみに「ツボ」というのは俗称で、中医学で言うところの「経穴」のこと。ツボは、気の通り路である経絡上に多数存在し、気の出入り口であるとか、神経を刺激するポイントと言われる。 ツボに関しては解明されていない部分が多いという。世界保健機関で認証されているツボは 361 カ所あるらしいけど、これはあくまでも国際機関での認証数なので、実際には人体に 800 とか、 1000 ほど存在するという説もある。そんなに沢山あるのならば、体中のどこかしらに触れれば、どこかのツボに当たると思っていい。 ほんの小さな点でも侮れないポイントになっている 百会は“万能のツボ”と言われる。 中国ドラマの時代劇モノをみたとき、瀕死の状態にある人を救う際、医師(道士)が頭の百会のツボに割と太めの鍼を打つシーンが出てきた。放っておいたらすぐに死んでしまうであろう人の、最後の砦となる治療法としてドラマでは描かれる。 頭にそこそこ太めの鍼を打つ、つまり失敗すれば当然、即死という設定だから、ドラマでは視聴者をハラハラさせて場面を盛り上げる要素になっている。一か八かの賭けとして、リスクは大き過ぎるけれど、「死から逃れるには、もうコレしかない!」という治療箇所として描かれるのが、百会のツボである。 鍼といえば、私の古い友人は昔、体調がすぐれない時よく鍼灸に通っていた。その人は、顔面周辺にしょっちゅう鍼を打ってもらっていた。さすがに現実ではドラマのような太い鍼ではなく、顔の周辺には極細の鍼を打つと言う。だから脳天にそこそこ太い鍼を打つなんて事は、時代劇ドラマを盛り上げるための誇張した設定だろう。 私は数年前、日本の獣医師さんが書いたノンフィクションの本を読んだ。その中にこんなエピソードが書かれていた。 その獣医師さんがまだ新米だった頃、勤めている動物病院に、犬猫以外のペットを連れて来られると大いに困惑したという。 犬や猫のように飼育数が多いペットならば、大抵の病気の治療法が獣医師の間で知れ渡っている。しかし犬...

気を浪費せず、養うこと

イメージ
生きるために自己に宿したエネルギー 気の概念は、中国、春秋戦国時代から既に存在したと言われている。いにしえからの中医学の考え方では、人が生きるためには、大きく分けて3つの分野の「気」を得なければならない。 1つは、先天の気 2つめは、水穀の気・・・生後、後天的に得る「飲食物からの栄養」 3つめは、清気・・・生後、後天的に得る「肺から取り入れる空気(酸素)」 上の3つのうち、「先天の気」について。いにしえからの中医学の考え方では、人間には、生まれたときから自身の体内に持っている気のエネルギー「先天の精気」(先天の精、または先天の気ともいう)がある。この先天の気は、生まれるとき両親から受け継いだもので、体内に内包して生を受ける。 しかし人間は、年を重ねるにしたがって、体、脳、臓器を酷使し、元々持っていた自己エネルギーを消耗していく。 中医学では「何事もやり過ぎは良くない」という考えが根底にある。例えば、江戸時代の学者、貝原益軒の持論「腹八分」に代表されるように、日本の健康養生法も中医学の影響を受けており、過剰に体や心に負担がかかる事を控え、ほどほどにする、つまり「過ぎたるは及ばざるが如し」の考え方が根付いている。過労やストレス、暴飲暴食などが続けば、気の消耗、浪費につながってしまう。 最近、テレビで中国ドラマをみたとき、心身の弱った人を医者が診察して「気が不足しています」なんていうセリフがあった。気が不足する「気虚」の状態になったら、「気を養う」ことが重要になってくる。 気を養うには、食事から栄養分をしっかり取る必要がある(水穀の気)。さらに広義で捉えて健康について考えれば、食事以外にも、適度な運動、質の良い睡眠、森林浴のような心地よい環境に身を置くなどしながら、“新鮮な空気”を吸うこと。 これらを日々実践しながら健康に配慮した生活をすることで、不足した気を補い、体の状態を調整し、健やかに生きるための糧とする。 気は体の内外を巡る 人体の多数のツボ(経穴)は、「重要な気の出入り口」だという考え方がある。中国の気功健康法などでは、天に向けて手をかざした場合、天から良い気を取り入れるイメージを持ち、そのことで心地よさが増して脳波にも良い影響が出る。しっかりと地面に根を下ろした足裏からは、大地のエネルギーを取り込むような意識を持つと、一層気力がみなぎる。 こういった考え方は、...

太極拳に思想的影響を与えたという道教

イメージ
道教には神仙思想という考え方がある 太極拳や、その他の中国の養生法にも思想的影響をもたらしたとされる『道教』は、中国の三大宗教の1つと言われている。中国の三大宗教というのは、儒教、道教、仏教。 道教では、普遍的に不老長寿、不老不死を求めたり、自然を神格化して崇拝する思想が色濃い。 そして道教は一神教ではないので、自然も畏敬しながら、なおかつ中国の歴史上の有名人もたくさん神として祀っている。実際にアジアの道教寺院を訪問してみると、何体もの色んな神々が祀ってある。ちなみに私は台湾の道教寺院へ行ったことがあるが、そこでも何体かの崇める存在が祀ってあった。 道教の背景には『神仙思想』という考え方がある。神仙思想というのは、ザッと大まかに説明すると、不老不死を求め、修行を積み、あらゆる身心の鍛錬を乗り越え、さらには自然界を熟知し自然と調和しながら生きる神格化された存在である仙人を目指すというもの。 この私のたどたどしい説明と語彙力では、仙人像や神仙思想のことが分かりにくいと思うので、いっそのこと、もっと雑な言い方でシンプルに説明した方がイメージが湧くだろうか。雑に言ってしまえば、神仙思想とは、「不老不死の力を得るために懸命に修行して、何事においても超越した存在になるぞ! 並みの人間ではなくなるぞ! 老いないし、死なないんだぞ!」・・という思想である。 私が昔からイメージしていた仙人というのは、白い長い髭をたくわえた老人。そして頭に浮かんでくるのは、グネグネした杖を持っていて、雲間からヒョロロロ~と現れるおじいさんのイメージ。だから西遊記の孫悟空なんかも仙人のような存在だとは、子供の頃は全く知らずにテレビドラマで観ていた。 とにかく仙人は、不老不死を得るための厳しい修行を乗り越えた崇高な存在で、並みの人間の存在をはるかに超越しており、常人では考えられない術を使うという。超常的な力を持ち、不老不死に近づいた貴い存在である。 秦の始皇帝も叶う事がなかった夢=不老不死に向かうには、身体の鍛錬のほか、薬を用いる方法(仙丹)もあったとされる。この仙丹というものが、太極拳を稽古する時に意識する『丹田』というものに繋がっていく。 予備知識や深い知識なく、神仙思想というものを何となく知ると、なんだか“非現実的で滑稽な考え方”に思われるかもしれないが、それは現代に生きる我々が、最新の現代医学...

太極拳の背景を学ぶと、また別の世界が広がっていく

イメージ
孫悟空は、並みの哺乳類の能力を超越した仙術使い 子供の頃、私はテレビドラマで『西遊記』を観たことがある。私が観た西遊記は、夏目雅子さんが三蔵法師。堺正章さんが孫悟空で、「おっしょさん!」と三蔵法師に呼びかけながら、悪さばかりして三蔵法師にいつも孫悟空が怒られるパターンのもの。登場人物の言葉のやり取りや、毎回繰り広げられる妖術使いの魔物みたいな奴らとの戦いが面白かった記憶がある。 私と同世代の今の中高年くらいの方々は、おそらく当時リアルタイムで観ていらっしゃったり、あるいは再放送を観たという方もきっといらっしゃると思う。西遊記はご存じの通り中国の有名な説話で、中国でも何度も映像化されているようだ。日本でも複数回ドラマ化されたり、漫画のモチーフになったり、児童向けの絵本でも孫悟空のストーリーは出版されている。 大人になってからの私は、仕事や日常生活に忙殺される日々が続いてテレビをあまり観ない時期があった事や、書籍なんかも主に経済関係や啓発本を好んで読んでいた時期が長かったので、ハッキリ言って西遊記の存在は長い間、忘れ去っていた。 過去に複数回、テレビドラマ等でリメイクされていたようだが、私は、宮沢りえさんや深津絵里さんバージョンの三蔵法師は一度も観ていない。大人になってからは西遊記への興味は完全に薄れており、再びストーリーに触れる機会は 20 ~ 30 代の頃は全く無かった。 ところが!太極拳をきっかけに、私は再び西遊記に興味を持った。なぜなら太極拳は、その理論において「中国の道教の思想的影響を受けている」とされており、西遊記に出てくるあの有名な猿『孫悟空』は、太極拳が思想的影響を受けている『道教』の『仙人』であるらしいのだ。いや正確には、仙人ではなく「仙術使いの猿」とでも言ったらいいだろうか。 孫悟空が仙術使いであるというのは、もしかしたら西遊記ファンの方達にとっては周知の事実なのかもれない。だけど私は、なにせ子供の頃、単なる娯楽としてテレビドラマで西遊記を観ただけだったので、安直なファンタジーくらいにしか思っていなかった。 子供時代は、まったく「西遊記とはどんなものか」「孫悟空はいったい何者なのか」を理解してはいなかった。この西遊記という作品の中に、まさか東洋哲学の真義がちりばめられていたとは、当時は知る由もなかったのである。 三蔵法師をなんと 500 年間も待って...
随筆★太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品