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大事な「股関節」のこと!

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2020年9月、全米オープンテニスで大坂なおみ選手が優勝したという嬉しいニュースが飛び込んできた。そのニュースを知った翌朝テレビをみていたら、元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんが出演されていて、大坂選手の偉業について、動きなどの分析を交えながら解説されていた。 その解説の途中、杉山さんは、「股関節と肩甲骨はパワーの源です」とおっしゃっていた。腕や手先の操作だけではなく、股関節と肩甲骨を上手く柔軟に使いながら、全身の良いバランスを保って動くことがテニスでも大切ということだろう。 股関節と肩甲骨! これは、太極拳を行ううえでも非常に重要なポイントとなる。 太極拳の動作をするとき、股関節と肩甲骨まわりが適度に緩んで伸びやかに動かないと、体全体の動きがぎこちなく固くなり、バランスが取りにくくなる。テニスは勿論のこと、他の異なるジャンルの様々な運動でも、この2つの体の部位は、身体操作の重要なポイントとして共通しているのだと痛感している。 私は約20年前に太極拳を始めるまで、自分の体の各部分を隅々まで意識することはほとんどなかった。 強いていえば、仕事で PC を長時間使いながら肩こりを感じて辛かった時期に、首と肩をほぐすためにアロママッサージに行ったり、ジムで体をほぐす程度だった。そういう理由で、当時は肩関節や首によく意識が向いていた。 人間は目に見える範囲や、自分の頭に近い方にどうしても意識がいく。目や脳から遠い下半身の部位などは、どうしても、何かしら傷みがあるとか特別な理由でもなければ、日常生活において意識をあまり向けることなくスルーしてしまう。 一日の中で、自分の指先、手先が視界に入ることは何度もあるけれど、足先が視界に入ることはほとんどない。お風呂に入って足を洗う時や靴下を履くときくらいだろうか。 だから私は太極拳を始めるまで下半身の関節、特に股関節のことを強く意識下においた経験がなかった。太極拳を始めてから、初めて自分のあらゆる関節に意識を向け、特に股関節まわりの筋肉をいかにして緩めながら姿勢を保つかを意識するようになった。 稽古開始から最初の2~3年くらいは、力を緩めているつもりでも、先生からは、「まだまだ肩や腕や股関節に力が入ってるねぇ~」と言われていた。その時は、自分では“最大限に全身の力を抜いていたつもり”だったけれど、太極拳歴の長いベテランの先生からみれば

太極拳初心者の方は「海底針」でグラつきやすい

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二十四式太極拳のそれぞれの動作(型)には名称がある。その名称は「動きのイメージ」で付けられているものもあれば、「動作そのものを率直に漢字で表現」しているものもある。 例えば、動作そのものを、そのまま表した名称といえば「下勢独立」などがそうである。下に低く沈む姿勢から→独立歩になるという動きそのままの名称。それから、イメージで名称が付けられているものといえば、「白鶴亮翅(バイホーリャンチー)」や「海底針(ハイディーヂェン)」などである。 この「海底針」という名称。「海底に針を刺すような」とか、「海底の針を拾うような」、「海底の針を探すような」、「海底の針をすくうような」など、教室の先生や流派によって若干、説明上の言葉のニュアンスは違うかもしれない。 ちなみに私が所属している流派では、「海底の針を拾う」という表現を主として使っている教室が多く、教材・関連書籍などでもそのように記述されている。 それはそれで良いのであるが、実際に動作をする上では気をつけなければならない。大事なのは、動作中に本当に針を拾ってはいけない、ということ。 なぜなら、針を「拾わなければならない、拾おう、拾うぞ」と思ってしまった場合、稽古歴の浅い初心者の方などは、大抵、必要以上に深く沈み過ぎてしまう。 床(地面)に落ちているものを拾う、あるいは地面に刺しこむイメージそのままで動作をしようとするので、地面スレスレまで手先を落とす感じになってしまう。そうして、頭や胴体が大きく斜めに傾いてしまい、バランスを崩してしまうのである。 太極拳の動作は、あくまでも敵と対峙して攻防戦を繰り広げている設定のものである。だから、実際に海へ繰り出して海底の針を拾って(針を刺して)いるわけではない。 しかし、太極拳を始めて間もない方に顕著にみられる傾向として、動く際に名称のイメージに引っ張られ過ぎて、床に手が付くほどしゃがみ込んで、「拾おう」、「底に針を刺そう」とする人が実際に出てきてしまうのである。 これだと頭部が 下にさがり過ぎて血圧が急激に変化する可能性があるし、胴体のバランスも前方へと崩れてしまう。さらに頭が下を向き過ぎて視界が狭まってしまい、武術的にも相手がみえない状態となり良くない。 だから教室で教える先生方は、初心者の方への海底針の動作の指導については特に要注意ポイントとして、きちんとバランスの取り方を説明した

とにかく最重要だと最近感じるのは「円襠」

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何年も太極拳の稽古をしてきて、色んな動作の要領を自分なりに学んできた 。 とにかく体のいろんな部位について、頭頂はどう保つのかとか、顎は引き気味にとか、目線は~、手足の緩みは~、はたまた腰は~、胸は~、臀部は~、とまあ、こんなふうに、姿勢を保つ要領を学び、すべての部位に神経を行き届かせつつ、体全体を調和させて動けるよう、そこそこ地道に稽古してきた。 当然のことながら、初心者の頃は全く上手くできなかったが、何年もかけて、ひたすら地味に稽古を繰り返し、最近はやっと(たまには!)思い通りの動作に近づいていると実感できる瞬間も出てきた。 それでもヒヨッコの私としては、いくら稽古しても完璧に身体のすべての部分が調和しているとは言い切れないし、おそらく一生、100%納得のいく状態にはならないかもしれない。 そんななかで最近、強く思うことがある。それは、最も重要で、最も意識すべき要領とは「円襠」ではないかということ。 勿論、円襠のほかにも、虚領頂勁、気沈丹田など、動作の要領として、身体操作の要として、意識すべきことは山ほどある。円襠だけを意識し、他はどうでもいいという事では決して無い。 しかし根本として下半身の関節の緩みや柔軟さが無ければ、上半身の緩みや手足の柔らかさも実現しない気がする。 体中の関節という関節は、筋肉等で覆われながら車両のように連結し、互いに影響し合いながら運動をする。人が静止している時は、体の一部分だけ(お腹など)をキュッと引き締めることが容易にできるが、太極拳の套路の時のように、ずっと連続して動いていく場合に、下半身だけを固く硬直させながら、同時に上半身だけは柔らかくリラックスさせるという「チグハグな構え」は非常に難しくてできない。 逆に上半身だけ力んで、下半身は緩めてリラックスというのも実現しにくいだろう。太極拳の初心者の方々にありがちな「力み」が入ってしまう状況も、「上半身だけ」とか「下半身だけ」ではなく、力んでいる人というのは、おおかた全身のあらゆる部位が緊張して動いている。上半身だけ固くて下半身は妙にリラックスできている初心者の人を今まで見たことはない。 そこで、まずは太極拳の動作を滑らかに行うための最重要課題は「円襠」である、と個人的に最近強く感じている。 両足をピーンと伸ばさず、下肢の関節を全て緩めアーチ型の下肢を作るだけでも、随分リラックスして

経験して無駄なことは無かった!!

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私は、この十数年、運動といえば太極拳など、中国由来の健康法を中心に行ってきた。 それ以前、つまり太極拳の世界に足を踏み入れる前のもっと若かりし頃は、他の運動もいろいろやっていた時期があった。ジムに通ってエアロビクスのクラスに参加したり、マシーンを使ってランニングしたり。 それから、私が太極拳以外で、もっとも長くやっていた運動はテニスである。学生の頃と社会人サークル時代を合わせると、テニス歴はだいたいトータル7~8年程度だったと思う。 太極拳を熱心に稽古するようになってからは、もう長い年月テニスはしていない。もちろんテニス自体は今でも好きなので、たまにはプロの試合をテレビ観戦する事くらいはある。でも、自分では全くしなくなってしまった。 太極拳は身一つで、狭い空間でもできるけれど、テニスはコートを予約し、打ち合うには複数のメンバーで集まらなければならない。おまけに屋外の場合は天候に左右される、自宅内でラケットを振り回してボールを打つ練習はできない等、今やテニスは、超がつくほど面倒臭がり屋の私にとって、思い立った時、手っ取り早く、簡単にできない運動の部類に入っている。 私が太極拳を始めてから最初の数年間は、動作の要領を理解しないままに、ただ黙々と先生や先輩の動作を真似ながら、少しずつ二十四式の套路を練習していた。最初の頃はハッキリ言って、上達したいという意欲はさほど無かった。 軽い気持ちで通い、太極拳の動作よりも、むしろ準備運動のストレッチが気持ちよくて、ストレッチ目的で教室に通っていたようなものだった。初期はまだ太極拳の奥深さやおもしろみに気付いてなかったのである。 そうして何年か経って、やっと多少は太極拳らしく動ける部分が出てきた頃、私は、「太極拳の足の運び、前に進む動作、何かに似てる!?」と思った。そして、「何だっけ、何だっけ・・」と考えていて、ある日ついに気づいた。 「テニスの素振りだ!!」 そうなのです。太極拳をしながら感じたのは、【太極拳の重心移動はテニスの素振りと似ている】という事だったのです。 太極拳にもいろいろな流派、種類があるので、すべてがテニスっぽいとは言えないかもしれないけれど、少なくとも簡化二十四式太極拳で前に進む際の足の運び、重心移動の仕方は、私が学生時代にやっていた「テニスの素振り」と要領が似ている。 素振りは、学生時代、先輩に教えてもらい、

人の肩書きは多いほうがいいのか

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肩書きというのは、社会的な立場を示す為には重要なもの。だけど、肩書きに頼りきってはいけない。もちろん肩書きが無いよりは、あった方が社会的な信用を手っ取り早く得やすいのは事実。 でも、果たしてその人が、肩書き全くナシだったら駄目なのかというと、そうではない。肩書きがなくても、1つだけだったとしても、その人物が、冷静な判断力を持っていて、じっくり論理的に物事を考えられる人なのかが大事で、こういう事は、肩書きの有無だけで推し量ることはできない。 人間関係を上手く構築するには、肩書きの有無を過剰に意識せず、人としての在り方がどうなのかを見極める力が必要だと思う。 私が過去に、仕事その他で出会ってきた人達の中にも、勿論いろんな立場、いろんなタイプの方々がいらっしゃいました。肩書きが沢山あって名刺にそれがズラッと並んでいる人もいました。 逆に肩書きは1つだけ、という人もいらっしゃいました。どっちが良いとか、どっちが立派だという問題ではない。 1つだけの肩書きであっても、その1つの分野を深く掘り下げて熟知しているスペシャリストかもしれない。逆に、肩書きが沢山あっても、どれも広く浅くの知識であり、器用ではあっても、どれも専門家の域に達していない人なのかもしれない。 だから出会った人と会話してみて、自分で見極めて、相手の人としての在り方、どういう生き方をしている人なのかを、自分で肌で感じて判断していくしかない。 肩書きが沢山ある人の中には、色んな経験を積んだ立派な人もいらっしゃる。でも肩書きを沢山持っていても、実際に話をしてみると案外会話に説得力がなかったり、何を言いたいのか信念が読み取れず、非常に曖昧な発言を長々と繰り返す人もいる。 結局は自分が、相手の人物像を表面的にではなく、内面から受け止め読み取る力を持っていなければ、判断はできない。 そして己自身も、肩書きに頼り切ってはいけない。特に、学校現場や習い事の場などで人に何かを指導する立場にある人は、常に謙虚で、自分の弱みを認め、受け入れ、向上心を忘れてはならないと思う。 当ブログテーマの太極拳や中国の気功養生法などは、かなり奥深い世界であり、練功すればするほど深みにはまり、自分の実力はいつまでも追いつか ない。むしろやればやるほど、自分の足りない部分や、修行が必要な分野が、行けども行けども無くならず見えてくるのである。 だから、

ゆったり流れる大河の様に、伸び伸び緩やかに

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20年近く太極拳をやっていますと、仲間もだんだん増えてまいります。もちろん太極拳仲間のほとんどの皆様が、とても素敵な方々ばかり。皆さん稽古熱心で、太極拳ライフを楽しんでいる方々なので、私は稽古で皆様とご一緒できることがとても刺激になるし、仲間がいるって幸せなことだなぁと感じています。 ただ・・、これは太極拳に限らず、習い事の世界、いや習い事だけではなく、職場や学校などでも同様のことが言えるかと思いますが、たくさん人がいると(あくまでもごく稀にではありますが)中にはちょっと意地悪なタイプとか、自己顕示欲の塊のような人が、数十人に1人くらいの割合でいらっしゃることもあります。これは人間社会のさがであります。 私が昔出会った、辛口&意地悪タイプの人について、ここで少しお話します。ある日、稽古の時。他人様の太極拳の動作をみながら、吐き捨てるようにその人は、「あの人ヘタね! 私の方が稽古始めるのは遅かったけど、もう私の方があの人を超えたね。私のほうが勝ってる!」とおっしゃったんです (;’ ∀ ’) それを聞いた私は、自分が言われたわけではないのに何となく嫌な気分になってしまい、凹みました。他人の太極拳をみて「ヘタ」とは言わないで欲しいと思いました。もし本当に上手じゃなかったとしても、教室内で人に聞こえるように言うことではないと思います。先生でさえ、「あなたは上手で、あなたは下手・・」なんて決して言わないものです。 自分の方が上だとか、超えたとか、勝ったと自画自賛して、比較対象である他人を下に置きたがる人は、普段から何事に置いても、その様な考え方が傾向としてあるのかもしれません。他人への批判や愚痴が多く、周囲の人達を敵視しがちなタイプです。このようなタイプの人についてよくよく考えてみますと、普段、稽古に来て、ご本人は気持ちよくリラックスして楽しめているのでしょうか。 競技会にでも出るケースならば、人と競うわけですから、「自分の方が上手い!」とか「あちらの方が上位」という発想が出るでしょうけれど。でも普段の教室での稽古で大事なのは、まずは肩の力を抜いてリラックスし、仲間と一緒にその日の稽古を穏やかな気持ちで楽しむことではないでしょうか。 他人をライバル視してばかりで自分を大きく見せることに必死だと、常にしんどいのでリラックスしにくいのではないでしょうか。習い事や趣味というのは、

初心者の方が教室を選ぶポイントは・・

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生涯の健康法として続けられる場所を探す 初めての方が「太極拳を習ってみたい」と思う理由、きっかけは、人によって様々だと思う。映画などを観て中国武術に憧れて「太極拳でもやってみよう!」と思う人もいらっしゃるでしょう。あるいは、ご友人が太極拳をされていて、「何だか楽しそうだし、健康にもいいらしいから自分もやってみたい!」と思う方もいらっしゃるでしょう。 習い事の教室を選ぶ時、やっぱり色んな条件を考慮して選びますよね。家の周囲に教室が少ないならば選択肢はあまり無いでしょうが、いずれにせよ、あんまり遠方では通うのが大変で困るでしょう。やはり通いやすい距離の教室を選ぶという人が多いでしょう。 でも、「(健康目的か武術的に強くなりたいのか等の)ハッキリした目的意識をもって意欲的に稽古を開始したい!」とか「あの先生に習いたい!」という明確な意思が、教室探しの段階で固まっている人ならば、多少距離が遠い教室でも頑張って通うことでしょう。 私がとにかく思うことは、「太極拳は長く続けることに意義がある」、「長く続けてこそ動作を行う際の醍醐味が解る」ということ。太極拳の動作のコツは、一気に短期間では身に付きません。 軽く動作をなぞる程度ならば、ほんの1~2ヵ月でもできるでしょうが、太極拳本来の無駄な力が抜けた柔軟でバランス感覚の良い動作は、数年~十 数年単位の練習を積まないと、どんなに器用な人でもすぐにできるものではありません。 何年やれば完璧な動作ができるという事は言えない、未知の終わりのない修行みたいなものです。だから、習いに行くという事を長期的に捉え、通いやすい教室を探す。そこの先生が勉強熱心で素敵な雰囲気をお持ちならば、なおのこと良い。 自分の師匠を選ぶときは、直感も必要です。一度、教室を見学したり、体験に参加させてもらい、先生と少し会話してみて、「なんかシックリ来るな~」とか、「自分と合うかも」と少しでも感じられればベターです。 それから教室には他の皆さんもいらっしゃると思うので、その人達と先生の会話のやり取りを聞いてみて、全体的に教室の雰囲気がよく、誰もが萎縮せず、稽古に熱心に取り組めているようなら通ってみる価値があると思います。  あとは自分の感覚です。太極拳を行う際に、無駄に力んだ状態で筋肉を 固くしてしまっては良い稽古ができません。だから適度にリラックスできる教室の雰囲気

<含胸抜背>(ハンションバーベイ)とは、なんぞや!?

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「含胸抜背」。これは太極拳を練習する際に、とても大切な上半身の姿勢についての要領である。これまで私が学んできた中で、私の先生、その他の先輩方や先生方からの説明、それから専門書などで勉強してきた中にも、分かりやすい解釈や説明は結構あったと思う。だけど実際に体でこれを表すのは、最初の頃は特に難しかった記憶がある。 まずは上半身(胸・背中)の筋肉について、力を込めずに緩める、背中側の肩甲骨も無駄に縮こまらないようにして、伸びやかに緩める。とにかく無駄に胸の周囲を “ 張らない ” 。これらが姿勢を保つ上でのポイントである。 文字にすれば、まぁ何となく分かるのだけど、「力を入れて張ったら駄目」だけど「後背を伸びやかにする」などというのは、初心者の間はどうやっていいのか分かりにくかった様に思う。 分かりにくい場合、「胸を緩めよう。背中を自然に広げよう」と過剰に頑張って意識すれば、かえって胸まわりに無駄な緊張が入ったりして、意識、思いが強すぎると逆効果になってしまう。「習ったことを体で表そう」と頑張れば頑張るほど、慣れないうちは力みがちになるという矛盾が生まれる。 では、結局どうすればいいのか。 「取り立てて何もしない」 初心者の方々への説明は、これが一番いいのではないかと思っている。 私は自分でも学び、なおかつ自ら教える立場でもあるのですが、教室で教える際に、動作の要領について、「体のこの部分はこうして」、「こっちはこうして」とか、「体を緩めるけどフニャッと萎えさせてはいけない」・・などといろいろ言ってしまうと、初心者の方の場合、真面目な人ほど「ああしなければ、こうしなければ」と緊張してしまったり、せっかく習っているのだから頑張らなくてはと無駄な力が入ってしまう人も中にはいらっしゃるのです。 だから、「何もしないで、両肩の力を抜いて垂らして、自然にリラックスして立って下さい」と言う方が、無駄な力が抜けていくような気がする。 太極拳は、上半身は虚、下半身は実。「何もしないで立つ」ことで、無駄な力が抜けていけば、自ずと「上半身の虚」は実現すると思う。

時間はかかれど成長する自分を感じる

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太極拳の初心者の場合、套路を習うタイミングで、先生の動作を見よう見まねで行いながら、大いに戸惑ってしまう。 短い套路であっても、途中、あちこち方向が変わっていくことに戸惑ったり、両手足の動きが左右対称ではなくバラバラで動いていくことにも最初は馴染めず、初心者の場合、変な踊りみたいになってしまいがち。そして、「簡単そうにみえて、やってみたら以外と難しいな~」と実感する。 今の世の中は、ファストフード、簡単レトルト食品、便利グッズに代表されるような、「 手短で便利なモノ」、「じっと待たなくてもすぐ利用できるモノ」があふれ、人々は(もちろん私も含め!)それらを上手く、便利に利用してきた。だから少しの時間なのに待つのが辛かったり、成果がすぐに見えないものに取り組めば焦ってしまう。 太極拳は長く続けてこそ意味がある。すぐに上手くならなくても、長く続けてこそ上達し、運動内容の良さも分かってくる。長く続けなければ、太極拳とは別物の踊りみたいな感じの動きに終始してしまう。 稽古を地道に継続していくと、必ず少しずつ前進していくし、普段の生活での姿勢の保ち方まで意識が変わってくる。時間はかかるけれど、成長していく自分を、何歳になっても実感できる。 人間というものは、(人によっては)高齢になればなるほど過去に拘り、若い頃の ” 全盛期 ” で時間が止まってしまう様な人もいる。そういう人は、現状への小言が多くなりがちである。 高齢からのスタートでもいいから太極拳を熱心に稽古して、ゆっくりで良いからいつも前進して、成長して、最初は難しくても素直にその教室の指導方法を受け入れながらトライしてみる。 試行錯誤しながら、身体に動きが染みわたっていくのを実感できるところまで体験することで、謙虚な自分を感じ、新たな目標もできて、高齢の方であっても、いつまでも ” 現役感 ” はなくならない。

意味が分からなくてもとにかく続ける

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太極拳の稽古を始めたきっかけが何であれ、どこの流派に所属したのであれ、太極拳の良さ、太極拳の稽古の本当の醍醐味を感じるまでには数年かかる。だから、初めは分からない事だらけでも、とにかく続けてみる。早く型を覚えるとか、そんなことは二の次。とにかく、ゆっくり動いて心地いいと感じたなら、初めはそれだけで良いのである。 初心者の人が、ほんのちょっとでも太極拳を経験してみて、「なんか心地いいな」、「細かいことはサッパリ分からないけど、なんか良さそうだな」と思えば、稽古を継続してみることをお勧めしたい。心地よさは年々増していきます。最初は頭で覚えるのではなく、先生や先輩方の動きを真似ながら徐々に身体に動作を馴染ませる、それで良いんです。ゆっくりペースでも良いんです。 稽古を重ねてきて思うのですが、急いで早く型を覚えることに意味があるとは思えないのです。焦って覚えても、おそらく「太極拳もどき」になってしまいます。太極拳本来の独特の体の動かし方や、ちゃんとした姿勢の維持の仕方は、1ヵ月や2ヵ月の短期間ではシッカリとは身につかないものです。もともと器用であるとか、運動神経が良いとか、そんなことはハッキリいってあまり関係ないです。 運動神経に自信がない人や、身体が弱い人であっても、地道に長く稽古を続けていけば上手くなるし、いつか究極のリラックスした心地よさや、絶妙なバランス感覚が身についていくのです。長い時間をかけて、自分の太極拳を醸成していく。これは凄くやりがいがあるし、太極拳の世界はチャレンジ精神をくすぐる存在です。 この太極拳というジャンルの運動、中高年や老年から始める人達もかなり多い。だから「若くないから無理、年だからできない」なんて諦める必要なし。その人が「やってみよう」と思い立った時が、その人の稽古開始の日なんです! 私の周囲にも、70歳から稽古スタート、あるいは80歳くらいからスタート、という人達は沢山いらっしゃいます。そのような方々にとって、太極拳は生涯の楽しみ&健康法になります。

太極拳に出会ったきっかけ

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私が太極拳に出会ったきっかけ。それはですね。なんのことはない、そう、「リハビリ」だったのです。当時、足を怪我してしまった私は、軽い気持ちで「太極拳ってゆっくり動くみたいだからリハビリにいいかも~」と思いつき、近くの教室に入門。 この時は、「太極拳を長く頑張ろう」とか、「長く続けて上手くなろう」とか、そんなことは一切考えていなかった。むしろ足の調子が戻ればすぐ辞めようかなという程度だったのです。ホントに、単なる短期間の怪我のリハビリ程度に・・という意識で当初は教室に通いはじめたのです。 ところがやってみると、はじめのうちは何が何だか訳が分からないながらも、嫌な感じはしないし何だか落ち着く。大声で笑うような楽しさは全然ないけれど、静けさの中で、ただゆったり動く事は、ド素人で内容がよく分からないながらも、なんとなく心地良さが感じられた。 教室を見渡すと、周囲は親くらいの世代、いや、親以上の高齢者層の方々が多く、当時まだ中高年の一歩手前だった私は、自分の親世代以上の皆様に囲まれ、同世代はほぼいない空間で、少々居心地の悪さを最初は感じたものだった。 しかし、そんな事にはすぐに慣れた・・というか、かえって走り回るような子供など元気いっぱいのエネルギーが有り余った人達といるよりも、大人の落ち着きがある空間に身を置き、何となく精神がゆとりを持てるような感覚が生まれてきた。 太極拳の稽古を始める前の数年間は、ただひたすらに、がむしゃらに、残業しながら仕事を頑張っていた私にとって、敢えて!、ゆーっくりと、静か~に動く太極拳の稽古の時間は、心が落ち着く贅沢な時間に思えたのだった。

イントロダクション

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太極拳愛好者の備忘録として 太極拳や、そのほか中国の健康養生法を愛する、いち愛好者である私、タイチーマルゲリータの稽古歴は約20 年。まだまだこの世界ではヒヨッコであります。普段わたしは、二十四式太極拳のほか、中国の健康養生法である健身気功の動作や、中国武術の棒術などを稽古しております。 難しい専門用語を駆使して説明する事はこの道の権威である諸先輩方、大先生方にお任せするとして、私の方は素人にやっと“うぶ毛”が生えた程度の浅~い経験にて、自ら太極拳の稽古を通じて感じてきた事を、なるべく平易な言葉にかみ砕いて、自分らしく語っていきたい。 本ブログに記す内容は、あくまでも個人の思い入れや感想、見解がほとんどであり、いっさい科学的な身体操作の検証をした訳ではございませんので、この件どうか御了承いただき、興味を持って下さる方はどうぞお読みいただけますと幸いです。
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