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他人に動き方を教える事

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近頃、国内ではパーソナルトレーニング中の事故が多いという報道をみた。いろんな理由があるらしい。たとえば、指導者の判断ミスなどもあるという。 パーソナルトレーニング自体が悪いのではなく、トレーナーさんがその人の体力に応じて、段階を経て指導するのなら問題は起こりにくいはず。トレーナーさんは、いつも体を動かして鍛えている人が多いと思うので、体力弱めの人に、自分のレベルと感覚のままに指導してしまうと失敗するだろう。 トレーニングを始めたばかり人が、今までどういう生活をして、どういう体の使い方をしてきたか、というのは、ヒアリングしただけでは、細かくは分かりづらい。だから、トレーナーさんによって無理をさせてしまうケースが出てくるのかもしれない。 パーソナルトレーニング自体、素晴らしいものだと私は思う。「体をしなやかに動かし、健康になりたい」、「素晴らしい肉体を作りたい」、そんな気持ちをもって挑んでいる人がいて、そばで適切に指導する人がいるというのは、健康志向の前向きな取り組みだと思う。 問題なのは、やはり「体の中は見えないものだ」という事を、指導する側も、指導を受ける側も、 常に意識して 対応できるかだろう。筋肉や腱は、普段は目に見えない。だから厳密に、体内がどうなっているのか、どう動いているのか、指導する側は、手探りで相手の様子を見ながら伝えるしかない。他人の体の中は、感覚的に分かりづらい。 パーソナルトレーニングというと、スポーツジムなどで筋トレのサポートを受ける印象が強い。私がやっているような太極拳や気功養生法の指導とは、関係ないようにも思う。ただし、「他人に動き方を指導する」という意味では、私も、「気をつけなければ」と思う。というか、常に気をつけている。 運動全般にいえる事だけど、体力、筋力、年齢、体のしなやかさ、関節の柔軟性、すべて人によって違う。だから指導する側は、判断がとても難しい。私は、中高年以上の人に対して「これは無理かも…」と思ったら、「それ以上は絶対に頑張らないでください」と言うようにしている。張り切って動いてしまったら、高齢者の方などは体のどこかを傷めたら大変だ。 幸い、太極拳は、過剰に力む体づかいを嫌う。 緩やかに、しなやかに動くので、セオリーに違わず普通にやっていれば大丈夫。 ただし、中高年層~高齢者層は多いので、指導する場合、注意と配慮が常に必要だ...

思考はグレーゾーンで

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実は、グレーゾーンって大切なのではないかと思う。昔、金利の話でグレーゾーンってよく聞いたものだけど、金利の話ではなく、人の思考に関してのグレーゾーンの事だ。 自分の周りの人を見ても、そして私自身の過去の言動を振り返っても、極端な二元論的な考え方をすると、大体、物事を進めるときに失敗したり、人間関係が危うくなる事が多かったように思う。 「絶対にこうでなければならない」、そして、「それ以外のやり方は絶対に駄目」、そういう考え方は、自分の事も、他者の事も、追い詰めてしまうからだ。 1つの事に関して、「取り組む方法が、コレか、正反対のアレしかない!」と思い込む事で、正反対の中間に位置するものを見落とす。もしかしたら中間地点にこそ、良い方法や発想があるかもしれないのに。そうして自分の活動や思考の範囲を狭めてしまう。また、他人のアドバイスも受け付けなくなりやすい。 育ってきた家庭環境も少しは影響しているかもしれないし、また、幼少期や学生時代に大人から受けた指導や教育によって、「絶対こうじゃなければいけない!」という答えを延々と求められ、その結果、そのような思考に染まりやすくなった人も多くいると思う。 そういう思考に陥りやすいという事は、長い間、「白か黒か。極端な考えや回答しか受け付けない!」という環境にあった可能性は大きく、そのせいで思考の癖のようなものが抜けないケースはきっとあるだろう。 もし、「ああしなさい。こうしなさい。答えはこれしかダメなんだよ!」、そんな強引な環境下で長い間、過ごしてしまったら、思考の転換はかなり難しくなる。強引で一辺倒な指導や教育しか受けられなかった場合、ヒトは常に、「間違えたら、どうしよう!」という不安と戦いながら過ごす。 そして、常に”お利口さん”でいなければと思い込んで、白か黒か、明確で分かりやすい答えだけを出さねば!と思い詰める。グレー部分に焦点を当てて物事を判断すると、分かりやすい回答が導き出せなかった焦りで不安になってしまう。 もし極端で危うい考えが導き出されたとしても、そうだ!それしかない!と思い込み、柔軟に発想を切り替える事もできず、白か黒かの分かりやすいものに飛びついて選択してしまう。白か黒か、ハッキリできる時はそれで良いけれど、案外ハッキリとした分かりやすい結論が出にくい事柄だってある。 学習、勉強などは、結果はもちろん重要なのだ...

隙間時間を使う

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忙しい人の中には、業務で多忙な人、それ以外の生活面、例えば親の介護、子育て中の人、遠方に親がいて頻繁に様子を見に行っている人…等々、いろいろな方がいらっしゃる。太極拳仲間の中で、会社員生活を送っている方などは、稽古に十分な時間が取れない人も多い。 本来、太極拳などは、対面でジックリ指導者と向き合って稽古を重ねる事が望ましい。しかし業務多忙などの事情がある場合は、稽古を隙間時間に行う事もできる。 ヘビーな仕事を抱えている人がいたとして、仕事の合間のちょっとした時間にできる稽古メニューは結構ある。立つ訓練もできる。長い時間をかけて頻繁に深く学べたら、それが一番良い。だけど、忙しい日常の、忙しい仕事の合間に、一回あたりは短時間でも、隙間時間を使っての鍛錬を怠らないようにする。その姿勢があれば、その人は積み重ねていけるし、それこそ功夫だと思う。 どんな分野でも、誰もが発展途上であり、人によって到達点が深いか、浅いかの違いはある。自分の学びの過程を決めるのは、その人自身だ。他人が強く指図したり講釈する類のものではない。人には、それぞれの生活がある。みんな暇じゃない。日々、その人ができる事を、その人が選択するレベルで続けていくしかない。 私の知人の中にも、昼間は毎日フルタイムで仕事を頑張って、夜は家族の為に時間を費やし、週末のちょっとした時間にやっと武術の稽古ができる、そんな人がいらっしゃる。大事な自分の時間を、いろんな事にバランス良く調整し、頑張っておられる。 スケジュール管理は大変だろう。そんな人に対して、「週末に少しばかり稽古したって無駄さ」なんて厳しい事を言う人がもしいたら、それはどうなのだろう。相手の立場や家庭環境を熟知していない人からそんな事を言われたら、社会で忙しく活躍している人などは続けられなくなってしまう。 「自分は時間が取れない。限界だ。やめるしかない…」、なんて事になり、時間的にも気分的にも追い詰められる。 忙しい中でも、時間を少しずつ捻出して対応する、そんな人達がたくさんいて、好きな事の稽古を頑張る。日によっては短時間でも、時間を調整し、稽古の時間を捻出する事は、本当に素晴らしい事だ。 人それぞれ抱えているものがあり、日々の多忙な中での暮らしがある。そんななかで、好きな事ならば、忙しくても継続できる。時間ができたとき、集中して頑張る事ができる。隙間時間を...
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