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ポンコツ指導者

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指導者の端くれである自分。とにかく私はドジなので、太極拳の動きの特徴について人に語るとき、恥ずかしながら頻繁に言葉をかんでしまったりする。 それから、太極拳に関わる専門用語を書いて提示しようとして、漢字をど忘れしたりと常にマヌケだ。 こういう時は、格好つけても仕方がない。ごまかさずに漢字を忘れたと正直に言い、 参加者の方達をお待たせしないよう、すぐスマホで漢字を確認してみる。 習いに来て下さっている方は、ドジな私に呆れておられるだろう。このドジな感じを無理矢理ポジティブに捉えれば、かえって皆様の緊張がとけているかもしれない。皆様の肩の力が抜けて適度にリラックスできるのなら、私のポンコツさにも少しは意味があるかな…? 指導者が完璧で、ビシッと厳しいタイプだと、参加者は緊張感を持ち、気を引き締めて稽古にのぞめる。そして確実に早期に上達するだろう。ただし、その人達は、緊張感でいっぱいで毎回ドッと疲れるだろう。 私が最初に太極拳の動きを仕込んでもらった先生は、指導に熱が入り、口調が厳しくなる事があった。私は先生より、うんと年下だったので、厳しめに言われても割とすんなり指導を受け入れられた。 しかし、先生と同世代の高齢者層の人の中には、「高齢になってまで、他人に厳しく言われたくない」とか、「みんなと気軽に運動できると思って来てみたら厳しく言われた。なぜ緊張して頑張らなければならないのか」などと言い、去っていった人もいた。 去っていった人にとって、結局、そこの稽古場は求める場ではなかったという事だろう。方針や相性が合わなかったのだ。こういう場合、割り切って、その人に合う別の場所へ向かう方が良い。求めるものは、人それぞれだ。 私は子供時代、口調がきつい先生にピアノを習っていたので、去っていった人の気持ちが少し理解できる。子供時代の私は、いつもピアノのレッスン日が近づくと憂鬱になっていた。先生に叱られるのではないかと身構え、ピアノの練習自体が苦痛だった。 この子供時代の経験をもとに、今現在、私は太極拳指導者の端くれとして、なるべく穏やかな心で稽古にのぞんでいる。感情を高ぶらせる事なく、平坦な感じで人と対話するよう努めている。 稽古の目的は人それぞれなので、厳しめにやっていく所が多くあっても良い。そういうのを求めている人達も、たくさんいる。ただ、御高齢の方に限っていえば、厳しい稽古は...

他人に動き方を教える事

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近頃、国内ではパーソナルトレーニング中の事故が多いという報道をみた。いろんな理由があるらしい。たとえば、指導者の判断ミスなどもあるという。 パーソナルトレーニング自体が悪いのではなく、トレーナーさんがその人の体力に応じて、段階を経て指導するのなら問題は起こりにくいはず。トレーナーさんは、いつも体を動かして鍛えている人が多いと思うので、体力弱めの人に、自分のレベルと感覚のままに指導してしまうと失敗するだろう。 トレーニングを始めたばかり人が、今までどういう生活をして、どういう体の使い方をしてきたか、というのは、ヒアリングしただけでは、細かくは分かりづらい。だから、トレーナーさんによって無理をさせてしまうケースが出てくるのかもしれない。 パーソナルトレーニング自体、素晴らしいものだと私は思う。「体をしなやかに動かし、健康になりたい」、「素晴らしい肉体を作りたい」、そんな気持ちをもって挑んでいる人がいて、そばで適切に指導する人がいるというのは、健康志向の前向きな取り組みだと思う。 問題なのは、やはり「体の中は見えないものだ」という事を、指導する側も、指導を受ける側も、 常に意識して 対応できるかだろう。筋肉や腱は、普段は目に見えない。だから厳密に、体内がどうなっているのか、どう動いているのか、指導する側は、手探りで相手の様子を見ながら伝えるしかない。他人の体の中は、感覚的に分かりづらい。 パーソナルトレーニングというと、スポーツジムなどで筋トレのサポートを受ける印象が強い。私がやっているような太極拳や気功養生法の指導とは、関係ないようにも思う。ただし、「他人に動き方を指導する」という意味では、私も、「気をつけなければ」と思う。というか、常に気をつけている。 運動全般にいえる事だけど、体力、筋力、年齢、体のしなやかさ、関節の柔軟性、すべて人によって違う。だから指導する側は、判断がとても難しい。私は、中高年以上の人に対して「これは無理かも…」と思ったら、「それ以上は絶対に頑張らないでください」と言うようにしている。張り切って動いてしまったら、高齢者の方などは体のどこかを傷めたら大変だ。 幸い、太極拳は、過剰に力む体づかいを嫌う。 緩やかに、しなやかに動くので、セオリーに違わず普通にやっていれば大丈夫。 ただし、中高年層~高齢者層は多いので、指導する場合、注意と配慮が常に必要だ...

思考はグレーゾーンで

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実は、グレーゾーンって大切なのではないかと思う。昔、金利の話でグレーゾーンってよく聞いたものだけど、金利の話ではなく、人の思考に関してのグレーゾーンの事だ。 自分の周りの人を見ても、そして私自身の過去の言動を振り返っても、極端な二元論的な考え方をすると、大体、物事を進めるときに失敗したり、人間関係が危うくなる事が多かったように思う。 「絶対にこうでなければならない」、そして、「それ以外のやり方は絶対に駄目」、そういう考え方は、自分の事も、他者の事も、追い詰めてしまうからだ。 1つの事に関して、「取り組む方法が、コレか、正反対のアレしかない!」と思い込む事で、正反対の中間に位置するものを見落とす。もしかしたら中間地点にこそ、良い方法や発想があるかもしれないのに。そうして自分の活動や思考の範囲を狭めてしまう。また、他人のアドバイスも受け付けなくなりやすい。 育ってきた家庭環境も少しは影響しているかもしれないし、また、幼少期や学生時代に大人から受けた指導や教育によって、「絶対こうじゃなければいけない!」という答えを延々と求められ、その結果、そのような思考に染まりやすくなった人も多くいると思う。 そういう思考に陥りやすいという事は、長い間、「白か黒か。極端な考えや回答しか受け付けない!」という環境にあった可能性は大きく、そのせいで思考の癖のようなものが抜けないケースはきっとあるだろう。 もし、「ああしなさい。こうしなさい。答えはこれしかダメなんだよ!」、そんな強引な環境下で長い間、過ごしてしまったら、思考の転換はかなり難しくなる。強引で一辺倒な指導や教育しか受けられなかった場合、ヒトは常に、「間違えたら、どうしよう!」という不安と戦いながら過ごす。 そして、常に”お利口さん”でいなければと思い込んで、白か黒か、明確で分かりやすい答えだけを出さねば!と思い詰める。グレー部分に焦点を当てて物事を判断すると、分かりやすい回答が導き出せなかった焦りで不安になってしまう。 もし極端で危うい考えが導き出されたとしても、そうだ!それしかない!と思い込み、柔軟に発想を切り替える事もできず、白か黒かの分かりやすいものに飛びついて選択してしまう。白か黒か、ハッキリできる時はそれで良いけれど、案外ハッキリとした分かりやすい結論が出にくい事柄だってある。 学習、勉強などは、結果はもちろん重要なのだ...
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