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優しかった父

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私は、小学校低学年の頃、あるアイドルデュオに憧れていた。当時の私の将来の夢は、そのアイドルデュオそのものになる事だった。小学生で、しかも低学年の子供が考えるような事だから、今思うと、幼稚な夢だったと思う。憧れのアイドルデュオに本気でなろうと思っていたのだから、いかにも子供らしく単純だった。 その当時、ある日、私は父に話してみた。好きなアイドルデュオに、将来、自分もなりたいと思っている事。なりたいのだけど、もし、その職業に就けたとしても、「果たして世の中の人の役に立つ仕事なのか?」という疑問を持っている事。 父は、決して私の幼い夢を馬鹿にする事なく、私に対して、こう言った。「世の中の人の役に立つ職業だと思うよ。楽しく踊ったり歌ったりする姿を人に見せる事で、人を喜ばせたり、幸せな気持ちにさせる事ができる仕事だからね。」、そんなふうに言ってくれた。 なぜか、そのときの私は、意外と心の中は冷静で、自分が将来、本当にそのアイドルデュオになれると芯から思ってなかった。それより、当時、嬉しかったのは、父が、私の夢を否定しなかった事だ。 私の母は逆のタイプで、私が幼少期から、何か言うたびに、否定したり、からかったりした。母は、なかなか私の意見を快く認めてはくれなかった。 父は、そんなことは無く、いつも私の存在や意見を尊重し、肯定してくれた。私の父は、もう随分前に、亡くなっている。この世に父がいなくなって長い時間が経ってはいるけれど、父が生前、ずっと私の存在を肯定してくれていたお陰で、私は今、生きられる。 中年になっても迷いが多く、自分に自信が無くなったときや、不安でいっぱいになったとき。深刻に考え込んでも、次第に開き直り、「もう、このままで良いか」、「大丈夫かも!」と、不安を拭い去り、少しずつ前進できるのは、昔、父が私をいつも肯定してくれていたお陰だと感じる。 亡くなった父のお陰で、私が今、生きていく上での迷いが減っている気がする。父をずっと前に失っていてもなお、父の私への気持ちは、私の中で大切な意味を持ち続けている。 父を亡くして久しいが、私はいつも、いまだに他人から様々な事を与えられ、教えられている。人生の先輩から、生き方、考え方などを常に学ばせていただいている。 いろいろな人と接していれば、当然、稀に、到底、生きる姿勢が参考にならない、粗雑で意地悪なタイプの人に出会う事もある...

今日は、ユネスコが設定した「国際太極拳の日」

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今日は国際太極拳の日…、という事で、改めて、太極拳の魅力について語ろうと思う。 昔の武術家の残した文献などをみれば、深い哲学的なワードに触れる事ができるので、太極拳はただの運動ではなく、「生物としての生き方そのものを学ぶ学習」とも言える。学んでいく事に、大いに楽しめる要素がある。 実際に相手と組んでいない場合でも、例えば理論を学んだり、1人で動く套路の中にも、学びの意義は見出せる。特有の感覚をもって継続する事は楽しく、また奥が深く、学びの底なし沼にはまって抜け出せなくなる。 夢中になって動いていれば、日常の嫌な事をかなり忘れる。理論を学べば、それが古代の哲学や、伝統医学、道教などの分野について少しばかり知る事に繋がり、興味は薄れる事が無い。 そういうところ、全てひっくるめて、すべてが太極拳の魅力。推手には推手で得られる感覚があり、套路には套路で感じられる心と体の安定や感覚があり、そして理論の勉強には、ヒトの感性を磨く要素がいっぱいだ。 中医学や哲学のような、独特の古来からの教えが太極拳理論には内包されているので、そこを、「どうやって理解していくのか?」、「言葉の解釈はどうやったら良いか?」、「自分の動きと、それが、どうリンクするか?」、そんな事を考えれば、やはり難しい事もあるので、果てしなく自分が小さく見える。そこがまた深くて面白い。 様々な武術理論には、そういう諸々の中身、教えが表現されている。ちょっとした生きるヒントにも繋がるから面白い。理論を味わう事で、太極拳そのものの事だけではなく、自分の日常生活や、体の中を意識する事に対し、いろんな気づきがある。 日常生活の中で、 ・自分は「緊張し、こわばった状態」で生活していないだろうか? ・人間関係を築くときに、過剰に気を張って、常に目をギラつかせて異様な戦闘態勢に入っていないだろうか? ・心に余裕が無くなり、ストレスを溜め、最適なパフォーマンスを発揮できていないのではないか? ・できる事を勝手に「できない判定」して、日々の積み重ねをサボってないか? …等々。太極拳の理論を学ぶと、そういう事にも気づかせてもらえる。 相手のみならず、自分自身を知る為に必要な事は、動きの訓練だけでは無い。太極拳の背景にある理論を学び、読み解き、知る事も重要だと思っている。太極拳は、中国の悠久の歴史の中から育まれたもの。 太極拳の動きを継続...

站樁功

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姿勢を繊細に整えていく 太極拳の初心者の方が、もし指導者の動きを見るのみ、みようみまねだけで套路の順番を覚えてしまえば、細やかな姿勢の要領などは掴めず、沈勢なども意識されず、妙な踊りみたいな誤った動きになりがち。やはり、指導者から詳しい説明と手ほどきを受け、動きを整えていく方が良い。勿論、動画やリモートではなく、そばで指導を受ける方が断然良い。 どんな分野でも、始めはまずシンプルな基礎訓練をやって、その後、長年の経験を経て、年月が経過してから、自然にその人の持ち味が滲み出てくる。まずは個性を消す。地味に基礎訓練に集中した方が良い。 書道なら、最初は、縦線、横線、はらい、止めなどを何度も、そればかり練習する。ピアノも、簡単で単調な曲や、指の基礎練習から始め、年数が経って慣れてきたら、徐々に難しい曲にチャレンジする。 太極拳の場合、まず大切なのは、地味に立つだけの訓練を続ける事。こういった分野を学んでいる人には必須であり、また周知の基礎訓練で、「站樁功」、または「立禅」とも言う。ちなみに 樁の 漢字は間違いやすい 。(椿ではない。) 「站樁功」、または「立禅」。両者の要領は似ているけれど、厳密には違う。立禅は和製の感が強く、站樁功と同様のものと見なすケースもあるけど、全くイコールでは無い。類似点をあげるとすれば、いずれも正しい姿勢と精神状態で続ける事ができれば、心が澄み、やや入静状態となり、己の心身を深く理解する手立てになる。 滅茶苦茶ダラけた姿勢で行っては無意味であり、繊細に姿勢を整えてから行うもの。関節の緩め加減や、骨盤の据え方、胴体や両手足の配置なども、整えてから行う。 なかには、「何も細かい事を調整せず、ただ単に立ち続ける」というやり方もある。しかし、行う各武術などに適した心の状態や姿勢をつくる、という意味では、整えるべき箇所は複数に及ぶ。繊細さも求められる。 もし不自然な姿勢で、ぞんざいに姿勢を整えずに立てば、無駄な力みが出て、自分の内外の調整には繋がらない。 稽古開始から間もない慣れない人は、この「杭のように立ち続ける姿勢」に、しんどさを感じてしまう。でも要領をきちんと学び、姿勢を整え、何度も取り組んで慣れていけば、疲れなくなるし、立ち続ける時間が心地良くなってくる。 初心者の方は、やはり指導者に細かい姿勢の要領を見てもらう方が良い。慣れてくると、 心身とも...
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