投稿

カルチャーセンター等で活動してきた事について

イメージ
私は過去に、カルチャーセンター等で講師を勤めた事がある。主に、太極拳動作を指導する講座で…。このようなケースでは、カルチャーセンターや、関わる施設と契約を交わし、実際の指導後に大抵、謝金という名目の報酬を得る事になる。余計なお世話と言われそうだけど、これから講師を務める予定の方に申し上げておきたいのは、こういう分野の講師は、悲しいかな、大した収入にはならない。人に伝えながら、自分の成長の為に、常に自己投資もしていかなければならない。 「ただ、好きだからやる」、それ以上でも、それ以下でも無い。お金儲けには決してならない。だから「お金を得たい」という気持ちが強い人は、こういう分野の講師はやめておいた方が良い。他に、バイトやパートで稼ぐ方がずっと良い。 私は、太極拳の動きや、その他の養生法を人にお伝えしているので、ささやかではあるけど多少なりとも社会の役に立つ側面はあるかなぁ?…という事と、それから、人に伝えながら自分も好きな分野に没頭できるから、そのあたりに一挙両得感があり、また、胸を張って行動できる面はある。ただ、私は著名な武術家でも何でもないので、当然ながら、決して高額は頂かない。施設と契約する場合、参加者の金銭的負担が大きくならないよう、施設側と料金設定は吟味してきた。 金銭面に関して、私以外の関係者、知り合いの稽古場の傾向も含め、分かる範囲でザッと語ってみると、仲間の教室等によって、やり方は違うので、一概に言えないところはある。 健康養生法を教える教室、あるいは武術の技を指南をする教室など、指導内容が様々だし、施設の利用料も各所で違う。施設の利用料については、参加者みんなで出し合ったりする。月謝制のところについては、料金設定がそれぞれの稽古内容などによって違う。貸しビルなどを借りて自前の道場を持っているグループなら、賃貸料のせいで、ある程度のまとまった金額を参加者からいただかないと、やっていけないだろう。 私は過去に、契約している施設から、指導後に報酬を得る事について感じた事がある。昔、カルチャーセンターで私が指導を始めた初期の頃、指導者として未だ自信が無かった私は、「こんな私が報酬を頂戴していいのだろうか?」という弱気な意識が大きかった。 しかし指導者として独り立ちする前に、既に10年以上も積み重ねてきた知識はそこそこあったわけで、その積み重ねたものを素直に出...

それ正解!…と思うとき

イメージ
「太極拳の動きって、やればやるほど難しくなります~!」、教室に来てくださる方から時折、そんな言葉を聞いたとき、私はちょっと嬉しい。そうなんです、そうなんですよね~!、と応える。心の中ですごく共感し、それ正解!…と思ってしまう。 難しくなっていくと感じるのは、その人の成長の証でもある。稽古を始めたばかりの、「ワケの分からない状態で、やみくもに動いている段階」から脱したという事だから。 誰だって、慣れないうちは、ああでもない、こうでもない、と悩みながら、先生や先輩の動きをまねて動いてみる。それを続けていけば、徐々に上達するのだけど、本人の感覚としては、上達するどころか、「できない!」と思える部分は増えていって、だんだん難しくなる。 難しくなる理由は、具体的に「自分のどんなところが上手くいってないのか?」が、やればやるほど鮮明になるから。 逆に言えば、いくらやっても「徐々に難しくなっていかない人」は、残念ながら、なかなか伸びないもの。 過去には、こんな方もいらっしゃった。初期の経験段階だったのにも関わらず、「この動き。何度かやっただけで、もう完璧にできました!」と言った人がおられた。私は驚いてしまい、心の中で、そんなはずが無い…と思った。しかし、あからさまに相手を否定すれば、その人のやる気を削いだり、自尊心を傷つける事になるので、ダイレクトに「違う、そんなものではないよ」とは、相手に告げなかった。あくまでも、その人の、その時の感覚でおっしゃった事でもあるのだから。 私自身が実体験で言える事といえば、誰もが10年以上かかって、動きや精神状態を繊細に整えていく分野なのに、半年や1年で”完璧”にできるわけがないという事。 「動作の順番を追う事はできる」、それは完璧という事ではない。姿勢にしても、体のすべての筋肉の力の入れ加減にしても、心の持ち様にしても、どれをとっても難しく、たとえ稽古を10年近くやってきた人でも、微妙なさじ加減は上手くいかない。 こういうのも、 書道に似ている と思っている。例えば、筆で漢字の「二」を書くとき。上手く書くには、何十枚も、何百枚も、同じ線を繰り返して書く。 漢字の「二」の1つの線を書くとき、最初と最後の筆の運び、腕の傾き具合などには、技術が必要だ。 単純で簡単な、画数の少ない文字ほど、如実に実力が現れるもの。 下の線を書くとき、最後に半紙から筆が...

リアルと幻の狭間

イメージ
自分の体を目ではなく感覚でみる 自分の目で普段、見ているものはクリアではなく、外界の100%リアルな景色ではない。よく言われるのは、特に緑内障などの視覚の病を持っている人の場合、片方の目の見えづらい部分を、もう片方の目の見え方でカバーする事がある。もう片方の目というより、脳が、より視界がクリアに見えるよう、景色を補正してくれるという。 病ではなくても視力の問題などの面から、多かれ少なかれ、こういう現象はあるようだ。現実に自分が目で見ているものと、実際のリアルは別物。自分の体の内側だけが見えないのではなく、自分の体の表面も、そして自分を取り囲んでいる物や景色も、実際には100%正しく見えていないのかもしれない。 ところで、”だまし絵”などは、ヒトの錯覚を上手く利用してあるなと感心する。現実そのものでは無い状態に見えてしまう。絵に限らず、現実には有り得ない構造の物が、まるで実態ある物のように見えてしまう事がある。また、見ている対象物と自分との距離や角度、周囲の物体との位置関係によっても、補正する機能が働いて、見え方に微妙な誤差や変化が起こる事もある。 それから、これは別次元の話になるけれど、病によって幻覚が見える人もいて、誰もいないのに誰かが見えたり、そこに無いはずのものが見えたり、という事があるらしい。これも目の問題ではなく、脳の伝達物質が関係して起こる現象だそうだ。 ところで、過去に 本ブログの別記事 で、こんな事を書いた。 → 【人が、目視だけで何かを正確に覚えるのには限界がある。初心者の方が多い稽古場では、よくこんな事が起こる。その場にいる全員が、同じものを参考に見て、同時に同じ動作をしても、Aさんの腕は少々上がり過ぎ、Bさんの腕は横に張りだし気味になってしまう…等々。目で見たことを、寸分たがわず再現できる人など、滅多にいないのだ。だから指導者がそばにいて、体に触れ、説明を加えながら手直しすることが必要になる。】 …これは、太極拳の稽古あるあるだ。 全員が、手本になる同じ人の動作を見て、いわゆる見取り稽古をしても、再現する動きは人によって微妙に違う。つまり、多くのヒトは、他人の動作を参考に真似ても、瞬時に100%正確には捉えられず、自分の動きを制御できない事がある。 リアルとは違う”誤差”が出る理由は様々だろう。前述した脳の補正機能のせいかもしれない。あるいは、...
随筆太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品