投稿

体が楽になり、心もこだわりが無くなっていく

イメージ
年度末が近づいてきた。やはり3月は、抱えている事がますます忙しくなる。しかし…、やる事がいろいろあるというのに、こんなふうにブログを書いている自分。実は、忙しくなるほど、ブログを書きたくなる事がある。 いろいろ書いていく事で、心を落ち着ける効果があるので、必要な時間に思える。忙しいのに緊急性の無いブログ記事を書くのは、まるで受験生が勉強よりも掃除をしたくなるのと似ているかも? でも忙しい時こそ、自分が好きな事を考える時間を持ちたい。頭を切り替えて、没頭できたら良いと思う 。 勿論、ブログを書く事と同様、体を動かす太極拳の稽古も、繁忙な日々には特に必要だと思っている。心身をリセットする癒しの時間だ。 自分の体を支えるのが楽になっていく 太極拳の良さや面白味を感じ、良い意味で、動く事に対して一種の中毒になっている感じが、もう何年も続いている。良さ、面白味をどこに感じるかは、人それぞれだと思う。 太極拳の中身には、いろんな要素がある。ひとつの良さといえば、静寂の中で動く心地良さというのがある。昔、初心者の域にある頃は、なかなか感じられなかった感覚。長く稽古を継続しなければ、動いているとき特有の「水中散歩」、はたまた「空中遊泳」のようなフワリとした感覚は味わえない。 初心者の場合、誰でも無駄な力が入ってしまう。長く稽古を重ね、苦手な動作を何度も反復し、精神の乱れ無くし、力まずに動ける段階になったら遊泳の感覚がやってくる。 入静状態とでも言うような、何とも言えない心の落ち着きの中へ入り込む。やはり座禅を経験したときの感覚と似ている。 何年も継続していくと、本当に自分の体が浮いたような感覚になる。勿論、わざと上に飛び上るのでは無い。心を静め、自分の重さを静かに床に落とし、無理なく地面に沈むような感覚で立つ。そうすると必死に立たなくても安定する。 地面側が、自分をしっかり支えてくれているのを感じる。地面から力を受け取る感覚になると、自分の足で体重を支える事が、すごく楽になってくる。 そうして、心と体の両方が、とても軽くなる。雑念がますます遠のく。 まるで、起きているときと寝ているときの中間のような感覚。雲の中で動いているようで、静かな心になる。軽やかに、無心に体を動かす遊泳の感覚は、年々深まる。 水中散歩の感覚になるとき、決して重心が安定してないわけでは無く、軸がブレているわけで...

カルチャーセンター等で活動してきた事について

イメージ
私は過去に、カルチャーセンター等で講師を勤めた事がある。主に、太極拳動作を指導する講座で…。このようなケースでは、カルチャーセンターや、関わる施設と契約を交わし、実際の指導後に大抵、謝金という名目の報酬を得る事になる。余計なお世話と言われそうだけど、これから講師を務める予定の方に申し上げておきたいのは、こういう分野の講師は、悲しいかな、大した収入にはならない。人に伝えながら、自分の成長の為に、常に自己投資もしていかなければならない。 「ただ、好きだからやる」、それ以上でも、それ以下でも無い。お金儲けには決してならない。だから「お金を得たい」という気持ちが強い人は、こういう分野の講師はやめておいた方が良い。他に、バイトやパートで稼ぐ方がずっと良い。 私は、太極拳の動きや、その他の養生法を人にお伝えしているので、ささやかではあるけど多少なりとも社会の役に立つ側面はあるかなぁ?…という事と、それから、人に伝えながら自分も好きな分野に没頭できるから、そのあたりに一挙両得感があり、また、胸を張って行動できる面はある。ただ、私は著名な武術家でも何でもないので、当然ながら、決して高額は頂かない。施設と契約する場合、参加者の金銭的負担が大きくならないよう、施設側と料金設定は吟味してきた。 金銭面に関して、私以外の関係者、知り合いの稽古場の傾向も含め、分かる範囲でザッと語ってみると、仲間の教室等によって、やり方は違うので、一概に言えないところはある。 健康養生法を教える教室、あるいは武術の技を指南をする教室など、指導内容が様々だし、施設の利用料も各所で違う。施設の利用料については、参加者みんなで出し合ったりする。月謝制のところについては、料金設定がそれぞれの稽古内容などによって違う。貸しビルなどを借りて自前の道場を持っているグループなら、賃貸料のせいで、ある程度のまとまった金額を参加者からいただかないと、やっていけないだろう。 私は過去に、契約している施設から、指導後に報酬を得る事について感じた事がある。昔、カルチャーセンターで私が指導を始めた初期の頃、指導者として未だ自信が無かった私は、「こんな私が報酬を頂戴していいのだろうか?」という弱気な意識が大きかった。 しかし指導者として独り立ちする前に、既に10年以上も積み重ねてきた知識はそこそこあったわけで、その積み重ねたものを素直に出...

それ正解!…と思うとき

イメージ
「太極拳の動きって、やればやるほど難しくなります~!」、教室に来てくださる方から時折、そんな言葉を聞いたとき、私はちょっと嬉しい。そうなんです、そうなんですよね~!、と応える。心の中ですごく共感し、それ正解!…と思ってしまう。 難しくなっていくと感じるのは、その人の成長の証でもある。稽古を始めたばかりの、「ワケの分からない状態で、やみくもに動いている段階」から脱したという事だから。 誰だって、慣れないうちは、ああでもない、こうでもない、と悩みながら、先生や先輩の動きをまねて動いてみる。それを続けていけば、徐々に上達するのだけど、本人の感覚としては、上達するどころか、「できない!」と思える部分は増えていって、だんだん難しくなる。 難しくなる理由は、具体的に「自分のどんなところが上手くいってないのか?」が、やればやるほど鮮明になるから。 逆に言えば、いくらやっても「徐々に難しくなっていかない人」は、残念ながら、なかなか伸びないもの。 過去には、こんな方もいらっしゃった。初期の経験段階だったのにも関わらず、「この動き。何度かやっただけで、もう完璧にできました!」と言った人がおられた。私は驚いてしまい、心の中で、そんなはずが無い…と思った。しかし、あからさまに相手を否定すれば、その人のやる気を削いだり、自尊心を傷つける事になるので、ダイレクトに「違う、そんなものではないよ」とは、相手に告げなかった。あくまでも、その人の、その時の感覚でおっしゃった事でもあるのだから。 私自身が実体験で言える事といえば、誰もが10年以上かかって、動きや精神状態を繊細に整えていく分野なのに、半年や1年で”完璧”にできるわけがないという事。 「動作の順番を追う事はできる」、それは完璧という事ではない。姿勢にしても、体のすべての筋肉の力の入れ加減にしても、心の持ち様にしても、どれをとっても難しく、たとえ稽古を10年近くやってきた人でも、微妙なさじ加減は上手くいかない。 こういうのも、 書道に似ている と思っている。例えば、筆で漢字の「二」を書くとき。上手く書くには、何十枚も、何百枚も、同じ線を繰り返して書く。 漢字の「二」の1つの線を書くとき、最初と最後の筆の運び、腕の傾き具合などには、技術が必要だ。 単純で簡単な、画数の少ない文字ほど、如実に実力が現れるもの。 下の線を書くとき、最後に半紙から筆が...
随筆太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品