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思考はグレーゾーンで

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実は、グレーゾーンって大切なのではないかと思う。昔、金利の話でグレーゾーンってよく聞いたものだけど、金利の話ではなく、人の思考に関してのグレーゾーンの事だ。 自分の周りの人を見ても、そして私自身の過去の言動を振り返っても、極端な二元論的な考え方をすると、大体、物事を進めるときに失敗したり、人間関係が危うくなる事が多かったように思う。 「絶対にこうでなければならない」、そして、「それ以外のやり方は絶対に駄目」、そういう考え方は、自分の事も、他者の事も、追い詰めてしまうからだ。 1つの事に関して、「取り組む方法が、コレか、正反対のアレしかない!」と思い込む事で、正反対の中間に位置するものを見落とす。もしかしたら中間地点にこそ、良い方法や発想があるかもしれないのに。そうして自分の活動や思考の範囲を狭めてしまう。また、他人のアドバイスも受け付けなくなりやすい。 育ってきた家庭環境も少しは影響しているかもしれないし、また、幼少期や学生時代に大人から受けた指導や教育によって、「絶対こうじゃなければいけない!」という答えを延々と求められ、その結果、そのような思考に染まりやすくなった人も多くいると思う。 そういう思考に陥りやすいという事は、長い間、「白か黒か。極端な考えや回答しか受け付けない!」という環境にあった可能性は大きく、そのせいで思考の癖のようなものが抜けないケースはきっとあるだろう。 もし、「ああしなさい。こうしなさい。答えはこれしかダメなんだよ!」、そんな強引な環境下で長い間、過ごしてしまったら、思考の転換はかなり難しくなる。強引で一辺倒な指導や教育しか受けられなかった場合、ヒトは常に、「間違えたら、どうしよう!」という不安と戦いながら過ごす。 そして、常に”お利口さん”でいなければと思い込んで、白か黒か、明確で分かりやすい答えだけを出さねば!と思い詰める。グレー部分に焦点を当てて物事を判断すると、分かりやすい回答が導き出せなかった焦りで不安になってしまう。 もし極端で危うい考えが導き出されたとしても、そうだ!それしかない!と思い込み、柔軟に発想を切り替える事もできず、白か黒かの分かりやすいものに飛びついて選択してしまう。白か黒か、ハッキリできる時はそれで良いけれど、案外ハッキリとした分かりやすい結論が出にくい事柄だってある。 学習、勉強などは、結果はもちろん重要なのだ...

隙間時間を使う

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忙しい人の中には、業務で多忙な人、それ以外の生活面、例えば親の介護、子育て中の人、遠方に親がいて頻繁に様子を見に行っている人…等々、いろいろな方がいらっしゃる。太極拳仲間の中で、会社員生活を送っている方などは、稽古に十分な時間が取れない人も多い。 本来、太極拳などは、対面でジックリ指導者と向き合って稽古を重ねる事が望ましい。しかし業務多忙などの事情がある場合は、稽古を隙間時間に行う事もできる。 ヘビーな仕事を抱えている人がいたとして、仕事の合間のちょっとした時間にできる稽古メニューは結構ある。立つ訓練もできる。長い時間をかけて頻繁に深く学べたら、それが一番良い。だけど、忙しい日常の、忙しい仕事の合間に、一回あたりは短時間でも、隙間時間を使っての鍛錬を怠らないようにする。その姿勢があれば、その人は積み重ねていけるし、それこそ功夫だと思う。 どんな分野でも、誰もが発展途上であり、人によって到達点が深いか、浅いかの違いはある。自分の学びの過程を決めるのは、その人自身だ。他人が強く指図したり講釈する類のものではない。人には、それぞれの生活がある。みんな暇じゃない。日々、その人ができる事を、その人が選択するレベルで続けていくしかない。 私の知人の中にも、昼間は毎日フルタイムで仕事を頑張って、夜は家族の為に時間を費やし、週末のちょっとした時間にやっと武術の稽古ができる、そんな人がいらっしゃる。大事な自分の時間を、いろんな事にバランス良く調整し、頑張っておられる。 スケジュール管理は大変だろう。そんな人に対して、「週末に少しばかり稽古したって無駄さ」なんて厳しい事を言う人がもしいたら、それはどうなのだろう。相手の立場や家庭環境を熟知していない人からそんな事を言われたら、社会で忙しく活躍している人などは続けられなくなってしまう。 「自分は時間が取れない。限界だ。やめるしかない…」、なんて事になり、時間的にも気分的にも追い詰められる。 忙しい中でも、時間を少しずつ捻出して対応する、そんな人達がたくさんいて、好きな事の稽古を頑張る。日によっては短時間でも、時間を調整し、稽古の時間を捻出する事は、本当に素晴らしい事だ。 人それぞれ抱えているものがあり、日々の多忙な中での暮らしがある。そんななかで、好きな事ならば、忙しくても継続できる。時間ができたとき、集中して頑張る事ができる。隙間時間を...

若いからできる!?

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自分に制限をかけてしまう「〇〇だからできない」の心 もうずっと前から、私が稽古を初めた頃から今に至るまで、御高齢の人生の先輩方から何度も言われてきた言葉がある。「あなたは若いからできるのよ」、「若いからいいよね…」「若いから…、若いから…」。 世間的には、私はどっぷり中年世代に浸かっていて、ぜんぜん若くはない。それでも高齢者層の年上の人からみると、私は親子ほど年の差があるので若いと言われる。 後期高齢者の方などは、確かに体力的な限界はある。私自身は、年齢的に高齢者の仲間に入ってはいない。でも年々、疲れが溜まりやすくなり、たまに関節が痛い~という時もある。 日々、適度な運動を励行しているけど、自分の5年前~10年前と比べれば、体の状態はまるで違っていて衰えを感じる。 だから、人生の先輩方が、年下の私を見て、「若いから良いよね」、「若いからできるんだよね」と言いたくなるのも、半分は理解できる。しかし、半分は納得できない。 納得できない理由は2つある。 1つは、「若いからできる」、「高齢だとできない」という決めつけが、何ともむなしい気がしてしまうから。決めつける事で、ネガティブな方向に生きる姿勢を向けてしまっていると思える。年を追うごとに衰えるのは確かだけど、私は過去に、高齢でも向上心の塊だった自分の太極拳の先生をみてきた。ほかにも80代、90代で絶えまなく、いろんな分野で向上している人達をみてきた。だから、単純に「若いから」「年だから」とくくって、年齢を言い訳にしてしまう事は、何となく残念に思える。 「年だからできない。」、「〇〇だからできない。」、この言葉は、自分に制限をかけてしまう。 年齢を重ねるほど疲労が取れにくく、頭の整理も難しくなるけど、だからといって、「若いから、できる」、「年を取っているから、できない」という決めつけ方はむなしい。人生一度きり。駄目だ、駄目だ、と思い込み、最初から自分の道を閉ざしてしまっては、もったいない。 太極拳なんかは、高齢からのスタートでも、熱心な方は必ず成長できる。その人ができるところまで継続し、向上し続ける事が可能な分野だ。 新たなチャレンジを続ける後期高齢者の方は、たくさんいらっしゃる。80代から新しい事にチャレンジして、前進し続ける人は多い。逆に50~60代でも、「もう年だから…」と、自分の成長を諦めてしまう人もいる。誰しも体...
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