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若いからできる!?

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自分に制限をかけてしまう「〇〇だからできない」の心 もうずっと前から、私が稽古を初めた頃から今に至るまで、御高齢の人生の先輩方から何度も言われてきた言葉がある。「あなたは若いからできるのよ」、「若いからいいよね…」「若いから…、若いから…」。 世間的には、私はどっぷり中年世代に浸かっていて、ぜんぜん若くはない。それでも高齢者層の年上の人からみると、私は親子ほど年の差があるので若いと言われる。 後期高齢者の方などは、確かに体力的な限界はある。私自身は、年齢的に高齢者の仲間に入ってはいない。でも年々、疲れが溜まりやすくなり、たまに関節が痛い~という時もある。 日々、適度な運動を励行しているけど、自分の5年前~10年前と比べれば、体の状態はまるで違っていて衰えを感じる。 だから、人生の先輩方が、年下の私を見て、「若いから良いよね」、「若いからできるんだよね」と言いたくなるのも、半分は理解できる。しかし、半分は納得できない。 納得できない理由は2つある。 1つは、「若いからできる」、「高齢だとできない」という決めつけが、何ともむなしい気がしてしまうから。決めつける事で、ネガティブな方向に生きる姿勢を向けてしまっていると思える。年を追うごとに衰えるのは確かだけど、私は過去に、高齢でも向上心の塊だった自分の太極拳の先生をみてきた。ほかにも80代、90代で絶えまなく、いろんな分野で向上している人達をみてきた。だから、単純に「若いから」「年だから」とくくって、年齢を言い訳にしてしまう事は、何となく残念に思える。 「年だからできない。」、「〇〇だからできない。」、この言葉は、自分に制限をかけてしまう。 年齢を重ねるほど疲労が取れにくく、頭の整理も難しくなるけど、だからといって、「若いから、できる」、「年を取っているから、できない」という決めつけ方はむなしい。人生一度きり。駄目だ、駄目だ、と思い込み、最初から自分の道を閉ざしてしまっては、もったいない。 太極拳なんかは、高齢からのスタートでも、熱心な方は必ず成長できる。その人ができるところまで継続し、向上し続ける事が可能な分野だ。 新たなチャレンジを続ける後期高齢者の方は、たくさんいらっしゃる。80代から新しい事にチャレンジして、前進し続ける人は多い。逆に50~60代でも、「もう年だから…」と、自分の成長を諦めてしまう人もいる。誰しも体...

ニセモノは無いが、正しくない事はある

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悪い癖と良い癖 太極拳の動作について言うと、それぞれの指導者の癖が出る事はある。また、理論内容の受け止め方にも、指導者によって解釈に微妙な違いはある。指導者の習熟レベルによっても、いろんな解釈、受け取り方に差異が出る。 こういうのは太極拳に限った事ではなく、きっと、どんな分野にも言える事だろう。 太極拳では、どう動くか、どう手足を配置するかといった事の中に、隠れた理屈がある。もし動作に人の個性が表れた場合、その個性が滅茶苦茶で粗っぽいものなら、他人にとって参考にならない。 もし個性ある動きの中に、きちんと裏付けとなる教えが隠されているなら、その場合は参考になる。癖があるようでも、実は理にかなった動きであれば良い。少しばかりその人の持ち味が出てしまっても、理屈に叶った教えを踏襲している動きなら、他者からみて見習うべき面は多いだろう。 単に荒々しく、理屈や教えを完全に無視している場合、それはただの悪い癖となる。大切な要素を無視した変な癖は、容認せずに正しい方向へ修正しなければならない。 遥かにレベルが高いベテランの指導者がおられる場合、その人の動作に出る個性には、積み重ねた経験から来る独特の風格、重厚さが見て取れる。それは、長年の稽古と苦学の末に醸し出されるものだ。自分勝手に動く変な癖とは全然違う。 「足をこっちに向けますよ」、「手はこの形にして、こっちへ出しますよ」というのは、初心者の方が学ぶときは重要な事。しかし、既に専門性をそこそこ身に着け、指導者の域に足を突っ込んだ人の場合、当然それだけでは足りない。 「なぜ、そうなるのだろう」、「なぜこういう動きをするのか」、それを少しずつでも理解していきたいもの。丁寧に人に説明できるよう、勉強を重ねていく。そうすることで、指導する側にも、指導を受ける側にも、信頼感や安心感が生まれ、稽古内容は充実する。 指導者側は、アウトプットによって頭の整理が徐々にできるようになる。指導を受ける側は、頻繁に、そういうことか!と閃きを感じ、充実した中身に触れる事ができるようになる。 指導者の場合、当たり前に、考えや根拠を丁寧に説明できる事が理想だと思う。しかし、それは大変難しいので、その為の努力を怠ってはならない。 難しい分野なら迷いはゼロにならないけど、よく学べば迷いは徐々に減っていく。理解する努力を続ければ、だんだん適切な判断や解釈を導く...

優しかった父

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私は、小学校低学年の頃、あるアイドルデュオに憧れていた。当時の私の将来の夢は、そのアイドルデュオそのものになる事だった。小学生で、しかも低学年の子供が考えるような事だから、今思うと、幼稚な夢だったと思う。憧れのアイドルデュオに本気でなろうと思っていたのだから、いかにも子供らしく単純だった。 その当時、ある日、私は父に話してみた。好きなアイドルデュオに、将来、自分もなりたいと思っている事。なりたいのだけど、もし、その職業に就けたとしても、「果たして世の中の人の役に立つ仕事なのか?」という疑問を持っている事。 父は、決して私の幼い夢を馬鹿にする事なく、私に対して、こう言った。「世の中の人の役に立つ職業だと思うよ。楽しく踊ったり歌ったりする姿を人に見せる事で、人を喜ばせたり、幸せな気持ちにさせる事ができる仕事だからね。」、そんなふうに言ってくれた。 なぜか、そのときの私は、意外と心の中は冷静で、自分が将来、本当にそのアイドルデュオになれると芯から思ってなかった。それより、当時、嬉しかったのは、父が、私の夢を否定しなかった事だ。 私の母は逆のタイプで、私が幼少期から、何か言うたびに、否定したり、からかったりした。母は、なかなか私の意見を快く認めてはくれなかった。 父は、そんなことは無く、いつも私の存在や意見を尊重し、肯定してくれた。私の父は、もう随分前に、亡くなっている。この世に父がいなくなって長い時間が経ってはいるけれど、父が生前、ずっと私の存在を肯定してくれていたお陰で、私は今、生きられる。 中年になっても迷いが多く、自分に自信が無くなったときや、不安でいっぱいになったとき。深刻に考え込んでも、次第に開き直り、「もう、このままで良いか」、「大丈夫かも!」と、不安を拭い去り、少しずつ前進できるのは、昔、父が私をいつも肯定してくれていたお陰だと感じる。 亡くなった父のお陰で、私が今、生きていく上での迷いが減っている気がする。父をずっと前に失っていてもなお、父の私への気持ちは、私の中で大切な意味を持ち続けている。 父を亡くして久しいが、私はいつも、いまだに他人から様々な事を与えられ、教えられている。人生の先輩から、生き方、考え方などを常に学ばせていただいている。 いろいろな人と接していれば、当然、稀に、到底、生きる姿勢が参考にならない、粗雑で意地悪なタイプの人に出会う事もある...
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