力まず、心を静め、体を緩める

初対面の剛力の相手と対峙


もうずっと以前、組み合って練習する「推手」の鍛錬のために、とある教室へ通っていたときの出来事。推手の稽古のときは、いつも数名のメンバー、指導してくれる先生が入り交じって、2名ずつでペアで組み合い、技を練りあうような練習を重ねていた。

ある日の稽古で、私は、超がつくほど“剛力”の相手と組む経験をした。その剛力の相手というのは、その日、初めて推手を経験したという正真正銘の「初心者」の方だった。

その人は、なにせ初めてなので、力の抜き加減が全く分からなかったようで、とにかくむやみやたらとグイグイ力技でこちらを押しまくってくる。ひたすら腕力で勝負してくるのだった。ビックリするくらい腕と手にガッチガチに力が入っていた。

正直言うと、推手の経験が浅かった私は、その日まで、凄い剛力で向かってくる相手と組んだ経験がなかった。なぜならベテランの指導者や手慣れた先輩ほど、いわゆる馬鹿力を出さないから。太極拳のベテランの方々は、常に手先、体、すべてが柔らかくて、動作に怪力は使わない。

長い年月指導しているレベルの高い先生になると、涼しい顔で相手と対峙し、冷静に力を加減して、組み合う際の手先は、まるで羽毛にでも触れているかのような柔らかな感じである。だから、いつもヒヨッコの私などは、「もっと肩や手の力を抜いてね」と何度も何度も指摘されていた。

太極拳に過剰な腕力や無駄な指の力は要らない。自分が力んで相手を押しまくってしまうと、相手の力を繊細に読む能力は薄れてしまう。だから馬鹿力は出さず、下半身の重心移動でもって動きながら、胴体部分から湧き出る力を緩やかに手先に伝えながら動く。

でも、あのときの初心者の方、つまり剛力の人みたいに、稽古に慣れていない方は、「力を緩める」という感覚自体が分からないので、思いっきり力任せに動いてしまう。

もちろん私自身も、太極拳、推手の稽古を始めたばかりの頃は、ガッチガチに力んでいた時期があった。つくづく「年数を重ねて稽古を継続すること」って大切なんだと感じる。

その初心者の剛力な方は、決して大柄でもなく筋肉隆々でもなかった。とにかく慣れていなくて要領が分からず、「推せばいいだろう」「相手をやっつける方向へ持って行けばいいだろう」「勝負だから」という意識だったのだと思う。もしかしたら初めての参加で、見た目以上に緊張されていたのかもしれない。


慌てふためいた結果、どうなるか


もし私がもっと機転の利く人間だったならば、その場ですぐにその方に対して、懇切丁寧に要領を解りやすくお伝えできたと思う。でも悲しいかな、ヒヨッコで経験不足だった私は、予期せぬ剛力に対して慌ててしまい、動揺して硬くなって構えてしまった。

結果、私自身も、力を抜くどころか、踏ん張ってウンウン押し返してしまう始末だった。要領が悪い者同士の2人が組み合って陥る、悪いパターンにはまってしまった。私は平常心を忘れ、初心者の方の剛力に同化してしまったのだった。

さらに慌てた私は、そのとき別の相手と組んでいたベテランの先生に向かって、「せんせ〜い!相手がすごく強い力で押して来られたら〜、私はどうすれば良いんでしょうか〜〜!」と声をあげ、愚問を投げかけてしまった。いや、どんな相手でも上手く自分のペースへ転換するしかない、と言われた記憶がある。

このときの私は、相手の力、表情、呼吸を読み取ろうなんて余裕はまるでなかった。初心者の方と組み合いながら、予期せぬ剛力に慌てて、冷静に対応できないヒヨッコの自分。その日まで何度も稽古に通っていたのに、本当に情けない限りだった。「これは心理戦だなぁ」と改めて実感した日だった。

人は知らず知らずのうちに普段、力んでいる


ここで『無駄な力を抜く』という事について、ちょっと考えてみたい。

人は「あえて力を抜いて緩やかに動く」という状況に、実はそんなに慣れていないものである。一歩外に出れば、車やバイク、自転車、人などを避けながら歩くため、常に緊張を強いられる。最近はスマホのながら歩きの人が下を向いたまま突進してくるので、これも上手に避けなければならない。

自分ではあまり意識していなくとも、外に出れば常に緊張状態にあり、知らず知らずのうちに肩や首など、体のいろんな部分に力が入っている。

例えば、リフレッシュのために運動でもしようと思えば、「運動だから、力を入れて筋肉を鍛えなくては!」という思い込みが強く出て、ついつい不必要な体の部分にまで力が入ってしまう。

ほかにも生活の上で、人前で大仕事をやらなければならないときや、大きな損失を左右する仕事に携わっているときなど、自分では緊張していないつもりでも気が張り詰めていて、心の緊張に伴い体のどこかに無駄な力が入る。

大仕事、大事な商談などを抱えているとき、仕事を終えて自宅に帰宅したら、緊張が解け、無駄な力が抜け、ドッと疲れを感じるものである。「ああ、私は緊張感でいっぱいいっぱいだったな」と、そのとき初めて気づく。

そんなこんなで、人は誰でも案外、無駄な力を孕んだまま生きている。太極拳の鍛錬時のように、「無駄な力をあえて抜き、筋肉や関節を緩める」という時間を、忙しい日常生活の中でわざわざ持つことが無いという人も多いと思う。

だから急に「体、筋肉、関節を緩めなければ」となると、どうやっていいものか、かえって戸惑って緊張する人もいると思う。そしてその緊張した精神状態は、さらなる硬さを生んでしまう。

心を静め、体を沈める


太極拳では、まるで瞑想状態のように心を静め、体も自然に重力に従って沈んでいく。だから太極拳は『動禅』であるという表現をする人もいる。

私が過去にその剛力の人と組んだとき、禅の境地なんてどこへやら。私自身が最も落ち着かない精神状態に陥るだけ陥って、推手初稽古の方となんら変わらない、肝の座っていない状態だった。

正直、剛力の腕がグイグイ自分を押してくるのはしんどかった。と同時に、自分の習練の足りなさを実感。技術は到底普通レベルにも及んでいない。そして精神面の鍛錬が全然できていない。

本来ならば、相手がベテランだろうと初心者だろうと、「自分の技とゆとり」をキープできる状態になっていなければならない。相手が剛力でも、うまくかわして、難なく涼しい顔で対応できるよう、研鑽を積んでおかなければならない。

今思えば、推手教室に通い始めた初期の頃の私は、先輩方や先生、つまり常に実力が自分より上の人と組むケースが多かった。そういう場合、相手は柔らかな緩みをもって向かってくるのが常だから、その状態に慣れてしまっており、相手に完全に甘えていたのである。

つまりそれは、相手(先輩方)が、私の動きが不安定であっても、難なく上手くかわしながら、双方のバランスが取れるようコントロールしてくれていたという事である。不慣れな私に手加減していただいていた事、そしてそれに甘えていた自分に疑問さえ持たない状態が続き、慣れてしまっていた。

本来なら相手と対峙するときは、ベテランとか初心者とか、そういうことを過剰に意識せずに、相手が誰であろうと、力の加減を自分なりにコントロールしていかなければならない。

本当に上手なレベルの高い人は、相手が強い力で向かってきても弱い力で推してきても、どちらとも難なく自分のペースに誘導してしまう。


幼児向けのアニメにて、力の駆け引きが語られる


『きかんしゃトーマス』は、海外の幼児向けアニメで、日本でもたびたび放送されてきた。このきかんしゃトーマスに、なんと太極拳の話題が出てきた回があった。幼児向けアニメに太極拳の理論をもり込んで、なぜかシックリくるストーリー展開となっていた。
NHKの紹介サイト


その放送回の内容を簡単に記すと、

→ 【貨車が暴走しているから急いで止めなければならない。暴走している相手(貨車)を停める(止める)なら、いきなりぶつかっちゃ駄目。太極拳の動きのように、まず一緒に同じ方向に動いて、相手の力を弱め吸収してから止める】
という内容だった。

アニメの中では、暴走する貨車に対し、最初はトーマス(機関車)がこれを止める為にドーン!といきなり体当たりでぶつかる。そうすると貨車はスムーズに止まることができず、ぶつかられた衝撃と勢いでひっくり返ってしまった。

そこで他の仲間から助言を受けたトーマスが、今度はいきなりぶつからずに、貨車と並走するように同じ方向へ一緒に動いて、そうしながら貨車の力を徐々に弱めていき、最終的に緩やかに良い状態で止めることができた。

私が、かの剛力の男性と組んだ際に、相手がいきなり強い力でグイグイ押して来たのに対し、慌てて自分もグイグイと押して、お互いどうにもならない状態に陥った事と、アニメでのトーマスの失敗例が重なった。

太極拳は、戦略的に一瞬「相手に従う」。これを忘れてはならない。これは決して相手に従属するという事ではなく、相手と自分を客観視しながら動く精神的な余裕を持ち、一連の動作の流れの中で自分のペースを掴んで、自分優位に転換する。

一人で行う套路と違って、相手と組むケースでは、相手の呼吸を感じ、相手の力を読み取りながら、その流れの中でどうやって自分のペースに転じていくのか、どういう攻防戦を繰り広げていくのかをもっと意識しなければならない。


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