やる気を引き出す言葉

前向きな言葉に助けられる毎日


コロナ禍が続く中で、私達は常に心の中に不安や不満を抱えている状況が続いている。そんな状況下では、他人から投げかけられた言葉への反応が、より敏感に、より過剰反応になってしまう。

パンデミックで普通に生活できない憤りをぶつける先もなく、悶々としてしまうこともある。いつにも増して政治家の発言が許せないと感じてしまう。上手く気晴らしができないと、なかなか心の整理は難しい。

SNS
は良い気晴らしになることがある。フォローしている方やフォロワーになって下さっている方の前向きな言葉をたくさん聞くだけで、自然と心が和む。自分以外の人が何かに打ち込む姿、楽しむ姿を見せていただき、こちらも良い心理的影響を受け、勇気づけられる。

楽しい前向きな気持ち イメージ


そして何といっても、心の平静を保つのに有効なのは、気功や太極拳の稽古である。深い呼吸を伴う気功や太極拳をしながら、心身を癒す。

私は打たれ強い方ではない。でも今、心の整理がそこそこ上手くできているのは、太極拳や中医学などを少しずつ学びながら、姿勢、呼吸、そして精神状態を整えることを常に心がけているからだと思っている。

また、気持ちのコントロールを上手くやっていけるのは、自分が中年の域に達していることも大きい。大人になってからというもの、仕事などを通じて様々な経験を積んできたことで、若い頃よりも気持ちの整理の仕方や、人間関係における対処の仕方が上手くできるようになったと感じる。

私が過去に従事していた仕事では、中小企業の経営者の方々と接する機会が多かった。その方々の多くは、会社を興して一代で事業を拡大し、健全な経営をしている経営者だった。そういった人達はやはりチマチマしたところが無く、物事を広い視野でみており、懐が深い人が多かった。

仕事でそんな人々と会話をさせていただいたことで、私は精神面で良い影響を受けることができた。今はその仕事はしていないけれど、過去の仕事から得た経験はかけがえのない人生の宝となり、今の自分の精神の在り方を形づくっている。


素敵な言葉で良い思い出ができる。
嫌な言い方で嫌な思い出ができる。


遥か昔、高校〜大学生くらいの頃の私は、親友や家族や交際相手の考え方が理解できないとき無性に苛立ったり、ほんのちょっとの他人からの言葉でも、思春期の心が頻繁に大きく傷ついた。

勿論、学生時代は遥か昔のことなので、どうでも良いことは今はすっかり忘れている。
でも強く印象に残るような出来事、何年経ってもいまだに忘れないエピソードはある。

高校当時、ある人から放たれた言葉は、いまだに深く記憶に残っている。

私は高校時代、テニス部に入っていた。高校生だった私は、平日の放課後や土日にテニスコートへ通い、仲間と練習に明け暮れていた。

そんな折、我々の高校のテニス部に、“1日だけの特別コーチ”として、元プロテニスプレイヤーの男性が来て下さった。

その元プロの方の指導で、サービスの特訓をした。「相手コートのギリギリのラインを狙えるように」と、ボール入れの缶を相手コートのサービスラインのギリギリのところに置き、「その缶に当たるように狙ってサーブを打つ」という練習をみんなで黙々とやった。

そうしたら、たまたま私が打ったサーブのボールが缶に命中した。心の中で「おお、当たったぞ」と思っていたら、その元プロの方がなんと私に向かって、

「こんなのはね、まぐれなんだよ!」と冷たい表情で言った。

勝気で負けん気の強い高校生なら、その言葉を聞いて奮起したのかもしれない。でも当時の私は、「まぐれだ」と冷たく言われたことで、急に自分が中身の無いどうでも良い存在に思えて、「いくら練習しても、どうせ成長しないのではないか」という心境になった。


しょんぼりした気持ち イメージ


大人になれば、人の言葉には、繕い、建て前などがあることを知っているので、相手が本心から手放しで喜んでいるか、褒めてくれているか、それとも適当にあしらわれているかは、大体の感覚で分かる。相手と自分の関係性で、言葉の受け取り方が変わることも分かっている。

しかし高校時代というのは、まだ人生や人間関係の酸いも甘いも知らない時期。大人から小馬鹿にされたような言葉を浴びせられれば、頑張っていた心は急速に萎える。

ボールが命中したのは本当にまぐれだったのかもしれない。しかしまぐれだったとしても、高校生に対し、やる気を削ぐような言葉は不要だと思う。せめて「当たったねぇ!」とでも言ってくれていたら、高校生だった私はもっと自分に自信を持ち、その日の練習への意欲は倍増したかもしれない。

この日は私にとって、初めて元プロ選手の指導を受けられた高校時代の良い思い出になるはずだった。でも実際には、高校生の自分が頑張ったことを大人に小馬鹿にされたような、何だかつまらない嫌な思い出となってしまった。


他人、自分、双方にとって心が落ち着く言葉が大切


さて、現在の私は、人に教えを乞いながら、一方で人に教える立場にもなった。教える立場に立っているとき、習いに来て下さる皆様へかける言葉には、やはり私なりに気を使っている。私が高校時代に味わったような、ガッカリしてやる気が失せるような言葉を絶対にかけたくはない。

世代や性別にかかわらず、“相手をリスペクトする気持ち”は常に持っている。たまたま太極拳を先に私が学び始めただけのこと。人には得意分野というものがある。習いに来て下さっている皆様の方が、他の分野ではずっとスペシャリストだったりする。

私が太極拳の教室で指導する際、姿勢や動きの修正はどんどんさせていただくが、その人のやっていることを、落胆させるような表現で全否定するなんてことは絶対にしない。

初心者の方が動きに戸惑っていれば、なるべく緊張されないよう、焦らなくても良いよう、心が穏やかに保てるよう、言葉をかけるようにしている。


他人の言葉から受けるストレスは多い


人間は、生き物のなかで最も感情に左右されるものだと思う。脳が大きく発達し、感情をつかさどる部分も常に情動的になるよう稼働している。寝ている間に脳がかなり休んでいるタイミングもあるけど、浅いレム睡眠の時にはやたらと夢をみてうなされ、飛び起きてしまうこともある。

昔のテレビドラマで、大きなストレスを抱えた人が夜中に汗をかいて飛び起き、「夢か…」というシーンはありがちだった。これはドラマの世界だけの話ではなく、私も昔、あることで大きなストレスにさらされていた頃、夜中に嫌な夢ばかりみて、ハッと目が覚めた経験が何度もある。

ストレスが強い時期というのは、とにかく寝ても覚めても神経過敏になっていて、穏やかな精神状態のときには無かった心の重さ、憂鬱さが感じられる。そうなると体への良くない反応まで出てしまう。

体のどこかが硬直して凝りやすくなったり、胃腸の調子が悪くなることもある。ストレスは万病の元とはよく言ったものだと思う。

ストレスの根源は、大抵、他人から浴びせられる言葉に寄ることが多い。人間関係というのは、本当にいつも難しい。

人に声をかけるとき。気分が沈みがちな人に対して励ますのが良いのか、あるいは黙って「そうだね」と共感するだけで良いのか。これは人それぞれ、求めている対応が違ったりする。

そもそも自分以外の人間の気持ちは、容易には変えられない。変えられないという前提で人付き合いをしないと、お互いしんどくなってしまう。他者と自分との間にある問題を、焦って
100%解決しようと意気込む必要はない。

早々にすべてを解決しなければ気が済まない人、すばやく物事を白か黒かにハッキリさせないと気が済まない人は、自分にも他人にも知らず知らずのうちに圧迫感を与え、感情的になりやすい傾向にある。

人間関係は、数字で割り切れる割り算とは違う。

他人との間に多少の問題が残っていても、そのままの他人を許容し、「まあ、いいや」と構えるくらいの方が生きやすい。

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