大切なのは、心の余裕
気持ちがたかぶると、本来の稽古に集中できない
これまで私は、たくさんの仲間や先輩方、そして私のところへ習いに来てくださる皆様と一緒に太極拳の稽古をしてきた。人がたくさん集まれば、当然いろんなタイプの方がいらっしゃる。
ほんの軽い気持ちで「運動不足だし太極拳でもやろうかな」と思って教室へ通い始めた人は、「太極拳をモノにしてみせるぞ!」と身構えたり、気が張ってないのでリラックスしていて、無駄な力みが少ない。かえってその脱力感が良い方に作用するようだ。最初の段階で猛烈な意気込みが無くても、続けていけば必ず上達される。
それとは逆に、最初からもの凄く意気込んで、ヤル気満々の状態で稽古に参加する人が稀にいらっしゃる。極度に真面目、熱心で、探求心が強く、「頑張りたい! 一刻も早く上達したい!」と強く願う人。一見、その方が良いように感じられるし、勿論、真面目で探求心が強いことは、長所にもなり得る。
しかし過剰に張り切り過ぎたり、気分が高揚するのは、太極拳の稽古に向かう心身の状態としては適さない。
気持ちが先走り過ぎて、稽古中に交感神経優位の興奮状態に陥いると、妙に汗だくになったり、体中に無駄な力が入る。気がたかぶったら、血圧も上がるので良くない。
「熱心に取り組むこと」と「興奮すること」は違う。熱心に稽古しながらも、精神面は落ち着きをキープしたい。
稽古を始めて日が浅い人が、焦って自分の実力以上のことを求めると、動作は酷くぎこちなくなり、頭の整理もできなくなる。
太極拳に取り組むときは、体を緩め、沈め、心を静め、精神を平静に保つ。だから気持ちが高揚し過ぎて、頭にカッと血がのぼるような感覚は良くない。
“ヤル気があふれ過ぎている人”に私が指導させていただく場合、まずは稽古する上での心構えやポイント、太極拳はなぜ力を緩めるのか、そんなことを何度も、根気よく、時間をかけて説明していく。
頑なになりがちな心と体は解くのに時間がかかるので、言葉でもってそれを緩められるよう努める。
急いては事を仕損じる
ある日、私が指導させていただいている1人のご高齢の女性が、「なかなか一連の動き(套路)の順番を覚えられなくてすみません。いつも先生が熱心に教えて下さっているのに。」とおっしゃった。
私はその時、「套路の順番は急いで覚える必要ないですよ。それよりも姿勢を整えることの方が大事です。焦らなくて良いですよ。」とお声かけした。
教室に通い始めたばかりの人は、套路の順番を覚えることが稽古の目的だと勘違いしやすい。しかし套路の順番を覚えることは最重要ではない。
もし順番をバッチリ覚えたとしても、姿勢が崩れたままだったり、力を入れ過ぎて息苦しくなり、余裕なく忙しく動いては意味がない。だから太極拳を稽古する上で、套路の順番を人よりも早く覚えた人が勝ちではないし、偉くもない。
大切なのは、筋肉や関節の緩め方、体の深層部への意識の向け方、動作と呼吸の協調など、体を機能的に使う訓練をしていくこと。
そういえば(違う分野の話だけど)、こんな話を聞いたことがある。
ある小学校で、1ヵ月に何十冊も学校の図書室の本を借りて読み、学校の先生に褒められたとか、学校から表彰された児童がいた。もちろん本を読まないより、たくさん読んだ方が良い。
でも、僅かな期間に何十冊もの本を、ザーッと中身を味わわずに大量に流して読むだけなら、それは読書の醍醐味を分かっていないのかもしれない。
逆に1冊の本だけをじっくり味わいながら、何度もいろんな解釈で繰り返し読んだ児童がいるとすれば、その子は学校から表彰はされなくても、良い本の読み方をしていると思う。それこそが中身を深く追求する姿勢に繋がる。
太極拳の稽古についても、同じような側面があると思う。
多くの型を焦って雑にこなすくらいなら、1つの型だけを、きちんと要領を守ってじっくり行う方が、より理に適った動きに繋がる。
たとえ不器用な人であっても、地道に少しずつ学び、努力していく事で、長い目でみれば着実に成長する。
少しでも本質に近づく為には、心の余裕を持つ
いっぺんに多くを得ようと焦ったり、一気に欲張って無理をするよりも、1つずつ着実に丁寧に練習する方が良い。
気を張り詰めず、先生や先輩のアドバイスをじっくり聞く心の余裕が欲しい。
もし他者のアドバイスを受け入れる心の余裕がなく、頑なで焦ってばかりいると、顔はこわばり、足腰は硬直し、汗だくになって力み、バランスを崩す。結果的に上達のチャンスを自ら遠ざけ、ある程度の段階まで来たときに伸び悩んでしまう。
技術の習得に時間を要する習い事の場合、焦ったり気負ったりせず、俯瞰するように一歩引いて、自分自身を客観視できる心の余裕が欲しい。
太極拳の重要な要領として、相手と対峙するとき自分は受け身で、イキって先制攻撃しない、そして相手の動きに従いながら相手の力を冷静に読む、というのがある。
あくまでも先に相手が仕掛けて来る、その中で自分有利な方向を模索し、どう展開するかを感覚で探る。
だから、自我が強すぎて己だけでガンガン突き進むことは、本来の太極拳の要領には合致しない。1人で動いているときもその要領を守って冷静にならなければ、太極拳ではなく別のものになってしまう。
伸びる人、上達する人の資質
物事を進める大前提として、どんな事にも段階というものがある。
基礎を固めること、自分の素地を作ることを軽視してはいけない。手っ取り早くカッコいい技をやりたがって、地味な基礎訓練を飛ばしてはいけない。
基礎がまだ固まっていないのに、達人のように振舞って格好つけたり、技術的な弱点が多いのに強さを見せつけるような、そんな強引な演出や個性の押し付けは必要ない。
個性というのは、年月が経ち、良い状態まで上達したときに、初めて自然に個々から染み出し、醸し出されるものである。
だから、実力が伴わない段階で、無理して自分の個性を見せつけるような演出は必要ない。
例えば、太極拳の動きで片足を上げるとき、より高く上げた方が格好良いし、デキる感じがする。しかし、実力以上に高く上げ過ぎたらグラグラして体が斜めになり、バランスが大きく崩れる。
最初は格好なんて気にせず、無理なくできる範囲で、低い位置から練習すればいい。何でも最初から上手くできる人などいない。気負わなくてもいい。
自分の技術がゆっくり向上していくのを、ひたすら日々の稽古で楽しめばいい。
別の分野、例えば一般企業で仕事をするケースでも、同じようなことが言えると思う。
新入社員が先輩に仕事を仕込まれるとき、新人なのに万能感を振りかざし、アドバイスを素直に受け入れず、屁理屈を並べ、無駄にプライドばかり高い人は、成長と上達のチャンスを逃す。結果的に、一人前になるのに恐ろしく時間がかかってしまい、おまけに職場で敵まで増やしかねない。
他者のアドバイスを跳ね除けてしまう人と、不器用でも素直さと地道な努力で伸びていく人とでは、数年先に雲泥の差が出ると思う。
将来的に高みを目指したり、長期的にみて習熟することを目標にするのは、とても良いことだと思う。
でも、最初から無理をして自分を大きく見せなくてもいい。本質を見失わないようにしたい。
太極拳の動作は、体への良い効果だけではなく、心にも良い働きかけがある。常に焦っている人、興奮しやすい人、つい過剰に頑張ってしまいがちな人、プライドの高さが素直さの邪魔をしてしまう人、心に余裕がない人。そんなタイプの人は、気持ちを楽にして、精神的な高揚を極力なくす。
そうして、ゆっくりと静寂の中で太極拳をすれば心が穏やかに、副交感神経優位のリラックスした状態に精神が導かれる。
太極拳を学ぶことは、平常心を保つことや、自分の立ち位置を冷静に見極める訓練になる。
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