馬鹿力を出さない
抗重力筋はフル稼働させる
前のブログ記事で、「太極拳にはとにかく緩みが大切」と書いた。ただし、ただ緩めばいいというものではなく、力をまったく使わない訳ではない。
骨の周辺、つまり体の深部はシャンとさせて正しい位置に置き、外側の皮膚に近い部分の筋肉はひたすら力を緩めておく。自分の体を自在にコントロールできるように、馬鹿力を出さず、緩みを利用しながら効率的な力を用いる。
体は緩めるけれど、筋肉や脂肪という物理的な物体は、深い呼吸を伴いながら適度な弾力性を保つ。
動くとき、傾斜して倒れやすくなっては困るので、体の中心軸はしっかり立て、抗重力筋はフル稼働させる。そうはいっても抗重力筋をガチガチに固めて使うのではなく、適度な緩みをもって動く。
抗重力筋というのは、字面だけみれば“重力に抗う”と書く。でも太極拳では、緩みを帯びた立ち方をして抗重力筋を利用しつつも、抗う以上に重力に従う。床に沈む感覚で立つ。抗うものと従うものが良いバランスを保てれば、立つことに馬鹿力は要らない。
この感覚は、何年か稽古を重ねないと感覚的に分かりにくく、私自身も稽古開始から最初の10年ほどは、なかなかピンと来なかった。
太極拳など中国武術の世界でよく使われる言葉に、勁力という言葉がある(単に勁と言ったりもする)。太極拳で言うところの勁の発し方は、「体の奥底から湧き出てくるエネルギーを力に変化させ、その力をしなやかに放つ」というイメージ。
体のすべての部分をしなる弓のように柔らかく使うと、おのずと筋肉の柔らかさの中を伝ってきた力の源が、矢を放つがごとく、そのしなりによって放たれるという考え方。だから馬鹿力をもって、腕や手を強くグイグイ押し出したりしない。
「軽いのに重くなる」を実現
体の奥底から湧き出る力は、徐々にジワジワと外側へ現れていき、手先には最後に力が到達する。だから手先や足先でグイグイ押すのではなく、体のいろんな部分は力が伝わりやすいように柔軟に保つ。
体の奥底から発するエネルギーが、自分の体内の筋肉、骨、水分、経絡を伝い、体の表面にジワリと効率よく力として現れる。
太極拳では、丹田あたりを意識下に置いて、下半身を安定させて動く。前進するときも、手と足だけが先走ってバタバタ進むのではない。柔らかな体の中心部にあるエネルギーは徐々に移動し、最終的に手先に届いて放たれる。
仮に手で相手を攻撃するにしても、手先だけの力を強く振りかざすのではなく、その手先の力の源は体内、下半身に宿る。
手先と足先、つまり先っぽ、表面だけで出す力は知れているけれど、体の奥底から発する力が、自分の重心移動に伴って上手く発せられれば、自分は緩んでいるのに、外には重量感のある力を発することができる。
馬鹿力を入れなくても、自分の体重のかけ方、力の発し方次第で、とても機能的に、柔らかい部分もあるのに強力な圧を伴う力が出せるようになる。
力をジワジワと外へ放つ
だから太極拳動作のときは、手先や足先などの先端部分だけをピョンと反動つけて動かさない。胴体の奥の方に蓄えられたエネルギーがまだ出ていない時点では、手先、足先から先んじて暴走して動かさない。
もし手先からの動きが先になる場合があるとしたら、それは自分が敵(周囲)からのエネルギーのぶつかりを手先で受けたとき。だけど、これも実際は肩や胴体が主体で受ける。あくまでも自分から発する場合は、自分の体内で蓄えたエネルギーを徐々に伝達しながら、コントロールしながら適当なタイミングで外へ放つ。
それから、動かす順番と、力が源から湧き出る順番は必ずしも一致しないときもある。
例えば、歩を進める場合、足のかかとを前方へ先に置くケースがある。最初に足を置くけれど、その時はまだ重心移動がなされておらず、出した足に自分の体重を乗せていない、つまり出した足はまだ虚の状態にある。
そこから胴体に蓄えられた力が徐々に、体の方々へ放たれ、重心移動が実現することで両足の虚実が入れ替わり、最終的に力は手先まで伝わって外部へ放たれる。
相手を押すときも、相手に先に届くのは手先だけど、力の源はあくまでも胴体になる。
色んなシーンで、体の奥から湧き出る力を利用している
この「体の内部から湧き出る力をしなやかに使う」というのが、初心者の人にとっては非常に難しい。他の分野の例を出すと、イメージが湧いて理解しやすい。
書道やピアノを習った経験がある方は、初心者の頃と、数年経験した後の自分の状態を比較していただければ分かりやすいと思う。
どんな分野でも、初心者の頃はみんな動きが硬い。ところが練習を重ねると、ピアノなんかは熟達すればするほど、鍵盤をタッチするときの指先や手はしなやかで軽い。
ピアノで強く音を出すとき、手先ではなく体ごと鍵盤に乗りかかるようなイメージで弾くので、手先だけで馬鹿力は出さない。体で鍵盤に乗るような感覚で弾く。体や肩や腕、すべてを使って弾くイメージ。
書道も同様で、ある程度、上達している人は筆のタッチが柔らかい。太い線を書くときも、柔らかい筆使いで強弱をつけて書く。腕だけではなく体全体を使ってリズムよく書く。
ダイナミックな書をかく人であっても、ただ力任せに腕力でねじ伏せるように書いているのではない。お腹の底から湧いてくる力を筆に伝えながら書く。「丹田から湧き出る力を用いる」と表現する書道愛好家の人もいらっしゃるようだ。
歌うことに関しても、同様のことを言う指導者はいらっしゃる。コーラス歴が数十年という私の知人が言うには、ある歌と伴奏の指導者は、「歌うとき丹田あたりを意識するように」と指導されるそうだ。
勿論、歌う場合に大切なのは喉(声帯)、そして声を発するための丈夫な肺。でも、喉の周辺と肺単独では、体全体から発せられる感覚の声は出せない。
発声にも、体中のありとあらゆる筋肉を使う。全身の筋肉は協調して動く。丹田とする部分=腹部の動きは横隔膜の動きを助けるので、体ごと使って声を発する感覚が養われる。喉の近くの筋肉だけを酷使し、がなり立てるように歌うと声もつぶれるし、発声も上手くいかない。
体内のすべてを連携させて使う
こうやって考えると、何かを行うときに、体内のすべてを柔軟に連携させて使うことが、良い技やテクニックに繋がるのだと分かってくる。
どんな分野においても、熟達した人がやっていることは、無駄な力が抜けているので、すごく簡単そうにみえる。
書道、ピアノ、二胡、ボールを使う競技、料理なんかもそう。腕の良い料理人さんは、素材を扱うとき、包丁を使うとき、塩をつまみ入れるとき、すべてにおいて体や手先の使い方が柔らかい。体を使ってリズムよく料理を作っていらっしゃる。
野球もそう。成績が良いプロ野球選手をみると、いとも簡単にパーンと打っているようにみえる。打っているときの胸まわりは非常に柔らかく、しなっている。
「どの程度、無駄な力が抜けるか」は、どんな分野でも重要なことだと思う。
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