すべての音は雑念に繋がるのか

太極拳と音楽に関して思うこと


ネットのショッピングサイトをみれば、太極拳用のゆったりした曲が販売されている。本来、太極拳の稽古で曲を流す必要はない。

そうはいっても曲の有無はケースバイケースで良い。表演競技として演武する人は、音楽ありきで動くことが多いと思う。

太極拳を稽古する目的は人それぞれで、稽古場の雰囲気、指導者の方針も様々だ。グループや団体によっては、服装や音楽に関するルールを設けているところもあるかもしれない。それぞれが所属している団体のルールに従えばいいと思う。

ところで、中国で
1956年に制定された簡化24式太極拳には、動画サイト等でも見かける定番曲がある(私はこの曲を利用した事はない)。参考に、李天驥先生の著書『太極拳の真髄』をみると、簡化24式太極拳の解説部分において、曲の拍子のどのタイミングでどう脚を動かすか、などの説明が型ごとに書かれている。また同書160ページには、楽譜も載っている。

私は普段、健康法として太極拳の動きを利用しており競技者ではない。私自身は、型稽古のときは音楽を流さない。套路を行うときに曲を流すことはある。

套路の際、無音の静けさの中で、相手を想定して動くのは良い鍛錬になる。一方で、敢えて曲を流し、旋律の中で動くときは、音のある空間でみんなでシンクロして動くという、無音とはまた違った良さがある。

推手を学ぶときは、当然ながら音楽は必要ない。やはりケースバイケースという事になる。

初心者の方の多くは、ついガチガチに力んでしまう傾向があるため、緊張を解きほぐすようなリラックスする曲を流してもいいだろう。套路の際は、音楽に合わせ一定のリズムで動くことで、動作が急に早くなるのを防げるかもしれない。

ただ、曲を流す行為には著作権問題が付きまとう。団体やグループ、個別の教室で曲を流す場合、著作権フリーの曲をネットサイトで探しておいて、サイトのルールに従って利用すれば良い。


どんなやり方を重視するのかは人それぞれ


以前、「太極拳は武術なんだから音楽を流すのはけしからん!」とか、「女性は稽古のとき、口紅をぬったり、爪を赤くしたら駄目だ。」等のご意見を持つ人がいらっしゃった。こういう考えを持つことは自由だし、その人のこだわりだと思うので否定するつもりはない。

音楽に限らず、服装や練習方法など様々な面において、「こっちの人がやっている方が正しくてホンモノである。あっちはニセモノだ。」などと、他者をバッサリ批判する人は、どのような分野にも、きっといらっしゃると思う。個人の考え、思うこと自体は、やはり自由だと思う。

ただ私自身は、人それぞれが「どのやり方を選択するのか」、「どの世界観が好きか」は、他人がとやかく言う問題ではなく、本人が楽しんで取り組み、内容に納得しているなら、それで良いと思う。勿論、自分が選択したものにおいて、正しく、有意義な方向をめざすという前提で。

これは武術に限らず、文化的なもの(例えば書道、茶道、華道など)にも言えることで、「歴史ある伝統的なもの」は、長い年月を経て複数の流派に枝分かれしたり、元祖から派生した変化形の“別形態”が出現するのが必然と考える。

太極拳など中国武術における音楽や身なりといった“付属物”に関して思うのは、例えばカンフー映画などで、美しい女性が赤い口紅でメイクをし、格好よく技を決めるシーンがあって、それに憧れて中国武術に興味を持つ人がいるかもしれないので、着飾ることを否定する必要はないと思う。

稽古時に怪我でもしそうな大きなアクセサリーを身に着けるとか、動きを妨げるタイトすぎるデザインのウェアを着るのはよろしくないけれど、見た目で楽しめる要素は少しばかり盛込んでも良いと思う。

もしノーメイク、ノーミュージックで稽古したとしても、その人の姿勢や、内なる心が乱れていれば、そっちの方が問題だろう。こういったケースは、なんとなく「高校球児に丸刈りが多いこと」と重なってしまう。

丸刈りにすれば、本当に球児たちの精神が引き締まって試合に勝てるのか?、では丸刈りにしなかったら軟弱で負けるのか?、その辺の考え方、価値判断は学校によって違い、賛否あるのだろう。


音楽は稽古の邪魔になるか


太極拳の稽古をするとき、「その日感情が乱れ気味の人」や「高血圧の人」は、大脳の興奮を抑えるため、美しい旋律の音楽を流してみて良いと思う。屋外なら、風の音や小鳥のさえずりの中で動くと気分が落ち着くだろう。

一方で、感覚を鋭くして集中し、より繊細に動くためには、メロディアスな音楽が雑念となる可能性もある。基本的に、推手や站椿功を行う場合、音楽は雑念を呼び起こしやすく邪魔になると思う。

套路の場合は、ケースバイケースで使い分ければ良い。「内勁を巡らす感覚を養いたいのに音楽が邪魔をする」、「意念を感覚として認知できない」、そう感じる人は無音で稽古すればいい。



音


太極拳の動きは、体の深部感覚を刺激する。自分の動き(対錬の場合は相手の動きも)のバランスを、脳内すべて総動員で感じながら動く。また、太極拳動作はバランス感覚を養う訓練になるため、とりわけ平衡感覚をつかさどる小脳の機能を刺激し活性化させる。

「体の深部感覚をフルに感じながら静寂の中で動きたい」、「付属物ゼロで本質を追求したい」、そんな人にとって音楽は余計なモノかもしれない。美しい旋律に心が囚われれば、それが雑念となってしまう可能性がある。やはり余計な音が無く、静かな環境で、動作の繊細な感覚が掴めれば素晴らしいと思う。

でも考えてみれば、現実では「音楽を流す、流さない」以前に、稽古場の場所や条件によっては周辺からの雑音が常に聞こえてくるわけで、結局は自分が「どんな状況下でも周囲に惑わされない集中力」を備えているか、それに尽きると思う。

この記事を書きながら、昔のことを思い出した。私がまだ初心者だった頃、稽古中にこんなことがあった。

利用していた施設の一室で、周囲の通路や別の部屋から大きな声や物音が聞こえてきたり、同じフロアの料理教室からは美味しそうな香りが漂ってきて、こちらの室内までご馳走の匂いが充満したことがあった。

音に対しては「ウルサイ」と不満を口にするメンバーが出てきたり、臭いに対しては「お腹空いた~」という“雑念”がみんな湧いたものだった。

一歩外に出れば、屋内でも屋外でも雑音や臭いが漂うことはある。真っ昼間なら
100
%無音にはならない。

それなら自分自身が、どんな条件下でも興奮せず、動じず、平常心を保つことができるレベルに行けたら良いと思う。

もし周りで雑音がしても、自分の意識と動きを上手くコントロールし、体内の気血の巡り、呼吸、周囲を繊細に感じる感覚を養い、「雑音を雑念としない境地」に行く事ができれば、それが一番だと思う。


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