決して親切な人アピールをしない人

猛暑で暑い、暑い、と言っていた夏が終わったと思ったら、秋になり、暑かったり肌寒かったりを繰り返し、そうこうしているうちに11月になって、また肌寒くなり…。そして、まもなく年末が近づく。

今年は、コロナ禍も4年目となり、すでに5類に移行して久しい。今年1年、太極拳関係のイベントも、通常通り実施された。ただし日常が戻りつつあると言っても、感染者がいないわけではない。私が関わっている文化施設の太極拳では、講師はいまだにマスクを外すことが許可されていない。別のカルチャーセンターでは、ずっと室内のすみっこでサーキュレーターがまわっている。こんな、コロナ禍以前には無かった換気の光景も、いまは当たり前に感じる。

自分では気づきにくいけれど、2020年以降のコロナ禍のような長期的なストレスにさらされる状態は、精神疲労の蓄積になるので厄介だ。並みの生活はできるけど、あらゆる面で少しずつ周囲に気を使い、気を張り、何かを我慢し続ける。些細な気疲れも、長期間、延々と続くのはしんどい。数年に渡り、自由な感じがしない。安心感が得られない。ほかにもテレビのニュースでは連日、海外の戦闘の話題ばかりで心が痛む。

「自分は大丈夫だ」と思っている人でも、小さなストレスが積み重なって、知らず知らずのうちに、いつのまにか深刻なストレス過多の状態に陥る事もある。低温ヤケドみたいだ。なにせ低温では、ジワジワとヤケドしていても気づかない。気づかないでいるうち、皮膚の奥深くまでヤケド状態となり、気がついたときには深層部まで痛んで、治りが遅いという。長期的なストレスというのは、そんな低温ヤケドみたいな怖さがあると思う。

カエルはいきなり熱湯に入れたら飛び出すけど、水やぬるま湯から徐々に温度を上げても飛び出さない、そんな話もあった(現実では信憑性に欠ける話らしいけど!)。とにかく気づかないうちに、かなりのストレスを抱えてしまう事はある。数年間に渡るコロナ禍の影響は、そんな感じだろうか。

ストレスにもいろいろあって、一時的な強いストレスでは、ひどく疲労困憊するけど、ストレスの原因が分かりやすい。原因がハッキリしているなら、それが解決すれば何とか切り抜けられる。仕事上の大きなミス、人間関係のトラブル、一時的な体調不良、大切な人との別れによる悲しみなど。短期的な強いストレスには、そんなものがある。

人との関わりは、いつも難しい

人間関係のストレスに関して言うと、人と関わる限り、生きている限り、頻繁に起こってしまう。世の中にはいろんな人がいるから。
多くの人間が受け流すような事を、なぜか異常にこだわって騒ぎ立てる人もいる。なにかと徒党を組み、組織内に軋轢を生み出す人もいる。謙虚さがなく横柄で、「自分の言う事を聞け~!」というタイプの人もいる。正義感が強すぎる人も、融通が利かず、立ち回りが不器用だったりする。

他人を利用できる時だけ利用し、利用価値がなくなったと思った途端、あっさりと関係を絶ち、切り捨てる人もいる。そういう人は、世間的に言う偉い人にだけ、ことさら親切に立ち回り、逆に、その人にとって「利益がない相手」と判断すれば、相手に対して微塵も協力せず、挨拶さえぞんざいになる。

そういう人は、独自の嗅覚で、自分の利益に繋がりそうな相手を嗅ぎ分ける能力に長けている。人間を選別し、自分を引き上げてくれると判断した相手の前でのみ、親切で利口な人間を演じる。だけど、そんな小手先では、万人には通用しない。分かる人には、必ずその魂胆は、ばれてしまう。

もし、他人をおもんばかる事ができない人がいたとしても、本人に悪意がないケースもある。そんな場合、周囲の人は、その人に対して無下にできない。

また、他人からみて突拍子なく、非常識な事をする人がいたとしても、実は本人はいたって真面目で、その人の強すぎる正義感から来る行動の場合、周囲の人が忠告しても逆効果となり、かえって人間関係がこじれるケースだってある。

そんなこんなで考えていくと、人間関係は非常にデリケートな問題を孕んでいて、心をすり減らす要因になりやすい。だからといって、人付き合いゼロでは生きられない。

人と接することは、嫌な面ばかりではない。世の中には、親切で優しくて、とても良い人がたくさんいらっしゃる。それで周囲の人の気持ちが和らいだり、温かい気持ちになる事も多い。

最近、私が良いなぁ~と思ったのは、人が見ていないところで小さな親切や、良い行いができる人。

些細な事かもしれないけど、稽古のとき、みんなより、いつもちょっと早めに来て、床のモップがけをしている人。押し付けがましくなく、他人にサッと手を差し伸べる人。
床のモップがけなんて本当に地味な作業で、それをやったからと言って、その日、その人に特別いい事が返って来るわけでもなく。おまけに、いつも同じ人がやってくれると、他の人達の中で、それを当たり前のように思ってしまう人が出てくる。大きな事を成し遂げれば目立つけど、モップがけをやっても特段、誰かに深く感謝されることは無く、お礼の言葉を毎回かけてもらえるわけでも無い。
風景 癒し

でも、誰かが見ているとかは関係なく、ただ行動できる人。普段目立たなくても、その人のことを誰かが見ているものだ。少なくとも私は見ている。私以外にも、地味に頑張っているその人のことを、ちゃんと見ている人はいる。

損得勘定なく、みんなのために「小さな何か」をいつも頑張っている人は素敵だと思う。中小企業の社長さんなんかが、黙ってトイレ掃除を率先してやったり、社員の出勤前、誰よりも早く来て社内を整理整頓するとか、そういうのは素晴らしいと思う。

世の中には、みんなと変わらない立ち位置なのに、なぜか「地味な準備作業や掃除のたぐいは、自分はしなくていい」と思い込んでいるちょっと高飛車な人もいる。職場や団体の中で、周囲のみんながバタバタしていても、自分は簡単な作業や、ほんの1枚のコピーもとらない人。

立場上の差異が無いのに、なぜか誰かを子分扱いしたがり、雑用をすべて押し付ける人。そういう人物は、たとえ表面的に物腰が柔らかくても、周囲の人間には、気位の高さを煙たがられる末路が往々にして待っている。

昔の人が言っていた「お天道様は見てるよ」という言葉。小さな親切を、さりげなくできる人の周りは、ほんわかと幸せオーラが感じられる。逆に、自分本位で内面がいじわるな人は、顔つきにそれが微妙に現れ、いじわるオーラが出てくる。

私自身、未熟で、できていない事が多く、他人に不快な思いをさせてしまってないか、常に気をつけようと思うし、行き過ぎず、足りないことも無い、そんな他人への配慮ができる人間になりたい。

ストレスを緩和したい場合、ストレスの根源を絶つのが一番良いのだけど、組織の中で働いている時など、関わらなければならない他人からのストレスは避けようがない。そんなときは、やはり好きな事、例えばちょっとした趣味、旅行、好みの絵をみる事や、おいしいものを食べる事、そして心地よい運動などに救われる。

私は、やはり太極拳の稽古に救われる事が多い。楽しい仲間と一緒に呼吸を整え、ゆっくり動き、ストレスを緩和する。生きていればストレスがゼロになる事はないけど、上手く緩和し、心を静める事ならいつだってできる。

恬憺てんたん虚無きょむという言葉がある。落ちついていて、心に何のわだかまりも無く、平安な状態。他人や世間に振り回されること無く、そんな状態が継続できれば理想だろう。

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