ダリ展

今年は個人的に(親族の死去等もあって)波乱の一年ではあったのだけど、そんななかで少しの充実した時間もあった。ダリ展に行ってきた。ダリの絵は前々から好きで、是非みておきたい展示だった。

時計


ダリと言うと、人物は、ちょっと奇怪というか、奇をてらったような行動をした人、というイメージもある。でも実際には繊細な人だったらしい。繊細だからこそ、独自の発想、細やかな色使いの素晴らしい作品の数々を残したのだろう。家族との軋轢があったり、自分を抑えつけていた面があった人らしい。結果として、それが絵画の才能として開花した人なのだろう。

私は絵画にはあまり詳しくないのだけど、これまで様々な美術展に足を運んできて、いろんなテーマの絵画展をみてきた。どんな画家にも、異なる作風が現れる事がある。若い頃に描いていたものと、年齢を重ねてから描いたものが、全く異なる作風になる場合もある。

それはきっと熟練の技を身に付けた結果だと言えるし、1人の画家が人生を重ねながら、変化、変遷を辿っていった、という事でもあるのだろう。作風が変わるという事は、その人が、その時々で、こだわって築きあげたいと思ったものが、実力を培いながら自在に変化していった結果かもしれない。

それから、生きた時代の流行が作風に影響したケースもあるだろう。大抵は、若い頃にはこんな作風で、歳を重ねたら、こうなった…、という、若い頃と晩年、大きく2つのパターンに分かれる画家が多いように思う(美術史にそう詳しくないので勝手な感想だけど)。

ダリの初期の作品は印象派の作風だったようだ。人生で通った道筋、影響を受けた人などによって、若手時代にみられる絵の特徴は確かにあったと思う。でも、それよりも器用さというか、やっぱり天才と言われる人だと感じる。

印象派の作風でも描いていたけど、ロートレックのように広告デザインなんかも手がけ、また、舞台装置による演出までやっていて。それでいて、彼の代名詞ともいえるシュールレアリスムの代表とされるような幻想的かつ独創的なものを描いている。

そのどれもが、若い時とか、晩年だとか、人生の前半と後半という括りで、パッカリ分けて語れるものではないように思う。生きている間のどの時代にも、どんな作風にでも描ける実力と器用さを持っていた人のように思える。

その時々で、心の中にあるものを、どんなふうにでも描き出せる人だったのではないかと思う。1人の画家がこれだけ多様、多彩な作品を見せ、自分自身までを作品にしてしまうような人は、そんなに多くはないと思う。ダリの人と成りを今風に言えば、キャラが立つとでも言おうか…。

今回、ダリ展に行って、印象に残った作品がある。それは「陰陽」というタイトルで、可愛らしい丸っこいオブジェが重なり合っている作品。立体のオブジェもあるし、絵画の中にそのモチーフが描かれているものもあった。普段、私のような太極拳愛好家が目にしている陰陽太極図を立体化したような作品だった。東洋思想の影響だろうか。余談だけど、私の世代の人だったら、「グルグルパッパのグルッパ~🎵」を覚えている人もいらっしゃるかもしれない。そんな形のオブジェだった。

ダリといえば、チュッパチャプスの包装デザインでも知られている。とにかく、可愛らしいものから、格好良いものから、幻想的なものから、美しいものまで、どんなものでも描ける奇才だと思う。

そして描かれたものが難解で分かりにくいようでもあり、実は、絵を通してシンプルなメッセージを伝えたかったのではないか、案外、率直で分かりやすい人なのではないか、とも思える。

ちなみに、彼の才能がものすごく分かる絵だと私が思えるもの、素人の私でも、上手い!!すごい!!と分かるものに、パンの絵がある。丸ごとのバゲットでも、切ったパンでも、とにかくパンを描かせたら凄い。どういう技巧かは、絵の素人の私には分からないけど、とにかく凄いという事だけは分かる。

ダリの絵画には、青空とか、女性(ガラ)の絵とか、歪んだ時計とか、引き出しから妙なものが出てくるとか、そういう、いろんなモチーフがあるけど、私の中で一番凄い!と思えるものはパン。あんなふうに、こんがり焼けたパンの表面の凹凸やザラつきを美しく描ける画家は、そういないと思う。ダリの絵をみると、「パンって意外と美しい!」と思えてくるから不思議だ。

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