顔に現れる様相
表情や肌の状態で分かる体調
過去のブログ記事にも書いたエピソードだと思う。かなり前、ある方から聞いた話。ある日、その人の趣味仲間の顔色が、普段より良くなかったそうだ。それで、その趣味仲間の人へ、「なんだか顔色悪いみたい。病院に行ってみたら?」と勧めたそうだ。その趣味仲間の人が病院へに行き、検査をしてみたら、結果、重大な病気が見つかったそうだ。このエピソードを聞かせて下さった方いわく、「やはり顔は、健康状態をうつす鏡なのだ」という事だった。
ところで私の知己の人の中に、去年、体調を崩した人がいて、その人も顔の表情が良くなかった。その人は、ずっと黒まなこの表情が冴えなかった。そして生気が無かった。面と向かって会話しているにも関わらず、何だか、ちゃんと目が合わないというか、その人の目の焦点が微妙に合っていない感じがした(目の疾患ではない)。
その人は、ずっと持病の治療を続けている。今も病気は完治していないけれど、病院に通院し、治療を続けた甲斐あって、徐々に回復してきている。少しずつ、瞳の表情の豊かさを取り戻しつつある。
やはり、目つき、顔つき、肌質に現れる好不調というのは、体調管理の面では注視すべき点かもしれないと、その知人の状態を見て、改めてそう思った。
私には、もう大きくなって成長した子供がいる。昔、子供が幼少期の頃を思い起こすと、当時は分かりやすかったというか、子供の顔色からの健康観察はしやすかった。だいたい冬場になると、子供は保育所などで風邪をもらってくる。そういう場合、特に発熱した時などは、やはり健康な時とは、まるで子供の顔色が違っていたものだった。目の下にクマができ、体調不良だと一発で分かる顔色だった。
小さい子供は皮膚も薄く、もともと血色が良いので、体調の変化が顔に出やすいのかなと思う。大人だと、顔の皮膚には長年のシミがあったり、くすんだりしているし、化粧をしている事もある。
大人の場合、過去の自分の経験から、体調不良の原因や経過について、自己判断で決めつけてしまう事もある。「以前もこんな不調あったな~。その時は、数日したら良くなったから、今回も大丈夫だろう」などと、安易に決めつけてしまう事はある。
具体的にピンポイントで、体のどこか特定の部位が痛むとか、体の一部に明らかな不調が出たとき、ヒトは病院に行き、「○○が痛いです」などと医師に告げ、診察や検査をしてもらう。しかし特定の部位に目立つ症状が無ければ、「ちょっと疲れてるのかな」、「季節的な要因の体調不良かな」などと認識するに留まりがちで、病院には行かず、誤魔化しながら日々の生活を送ってしまう事もある。
でも、やはり顔色や黒まなこの表情、肌の質感は、健康状態を映し出すバロメーターとして、気がけておくべきかもしれない。外面に表れる病気の兆候に普段から注意をはらう事は、日々の健康観察には重要な事だと思う。
脈をとってくれる内科医
中医学のいろいろな専門書をめくっていると、興味深い言葉に出会う。例えば「肝気鬱結」は、ストレスによってもたらされるヒステリーや、胸が詰まったような息苦しい感覚、腹部の張りなどが現れるもの。
また、中医学の分野には「神志」という言葉があり、これも非常に興味深い言葉だ。このような分野で「神」というのは、神様の事ではない。「神」の文字には複数の意味があり、簡潔にまとめるのは難しいのだけど、かいつまんで説明してみたい。
「神」とは、外部に表れる自分の体内の生命活動のことで、顔色や眼光、言葉の発し方、肢体の動きなどに表面化する。また「神」とは、感情や思考そのものをさす言葉でもある。
感情の揺れ、乱れなんかは、体調の好不調に直結するわけで、ストレス過多になれば、目付きも変わり、険しい表情になったり、体調を崩す事もある。
中医学、日本で言うところの漢方医ならば、患者を診る際、以下の4つの行動で診るという。
(望診)外見からよく観察する(皮膚、舌、排泄物などを診る)。
(聞診)話す事を聞き様子を見たり、体臭や口臭などを確認する。
(問診)患者の症状や生活環境などを詳しく聞きとる。
(切診)お腹に触れたり、脈をとる。
いわゆる西洋医学メインの勤務医や開業医の場合、機器でチェックした血液検査や画像診断などのデータと共に、問診で診断を下される事が多いのではないかと思う。漢方医でもない限り、病院の医師は、患者の症状を聞きながら、ずっとコンピュータに問診内容を打ち込んで、患者の顔や舌を観察することは無いように思う(過去記事参照)。
なかには患者の顔を全く見ないで延々と打ち込みしていた医師を、過去に私も見た事がある。患者の顔色をチラリとも見ない、首、手、喉やお腹の状態も全く診ない。それなら遠隔医療でも十分ではないかな…と思ってしまう。
患者が口頭で伝えた症状を入力するだけなら、将来、AIにとって替わられるかもしれない。それはそれで国民医療費が抑えられて良いのだろうか?
そういえば、むか~し、子供の頃は、親に連れられて病院を受診すると、下まぶたを見開かされ、まぶたの内側の色を確認され、お腹を押さえられるなど、随分、触診(中医学で言うところの切診)で確認してもらったものだった。
でも大人になると、体調不良で病院にかかっても、眼科以外では、まぶたの内側の色を確認された事はない。血液検査のデータはもちろん重要なのだけど、医師の感覚や直感も重視して欲しい気がする。せめて顔色くらいは見て欲しいと思ってしまう。
最近は、とにかくデータ1本で診断をほぼ下されるような病院も多いのではないかと思う。それなら、やはりAIが問診から薬の処方まで、できるのではないか?と思う。今は、実際にAI診断も行われているところはあるようだし…。
ただ、人が診る事が100%素晴らしいとも限らなくて、人間の場合、どうしても担当医師の思い込み、主観が入ってしまう事はあると思う。医師の偏った判断で診てもらうのも不安だ…という患者さんもいるだろう。データと医師の診立て、その両方があれば、より安心できると思う。
ところで去年、私が行った内科では、医師が手首で脈を確認してくれた。こういう脈診までしてくれる医師(漢方専門医では無い)を過去10数年以上、私は見たことが無かったので新鮮だった。
やはり、医師というプロから直接、手首で脈を確認してもらい、「安定しています」と言われれば、単純だけど納得できる。本当の意味で「診察してもらった」という実感がわく。コンピュータの画面しか見ない医師よりも、きちんと体の状態を診て、触れて観察する、という行為があれば、納得しやすい気がする。
難しいのは、今の世の中、(触診であっても)触れればセクハラだとか、そういう声が上がりやすいようだ。実際に、セクハラした医師や整体師もいて、ニュースになった事もある。でも大多数の医師は、真面目に診察していらっしゃるだろう。問題が起こらないようにしつつ、触診など、医師のプロの仕事が普通にやり易い状態になればベターだと思う。
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