太極拳の背景を学ぶと、また別の世界が広がっていく

孫悟空は、並みの哺乳類の能力を超越した仙術使い


子供の頃、私はテレビドラマで『西遊記』を観たことがある。私が観た西遊記は、夏目雅子さんが三蔵法師。堺正章さんが孫悟空で、「おっしょさん!」と三蔵法師に呼びかけながら、悪さばかりして三蔵法師にいつも孫悟空が怒られるパターンのもの。登場人物の言葉のやり取りや、毎回繰り広げられる妖術使いの魔物みたいな奴らとの戦いが面白かった記憶がある。

私と同世代の今の中高年くらいの方々は、おそらく当時リアルタイムで観ていらっしゃったり、あるいは再放送を観たという方もきっといらっしゃると思う。西遊記はご存じの通り中国の有名な説話で、中国でも何度も映像化されているようだ。日本でも複数回ドラマ化されたり、漫画のモチーフになったり、児童向けの絵本でも孫悟空のストーリーは出版されている。

大人になってからの私は、仕事や日常生活に忙殺される日々が続いてテレビをあまり観ない時期があった事や、書籍なんかも主に経済関係や啓発本を好んで読んでいた時期が長かったので、ハッキリ言って西遊記の存在は長い間、忘れ去っていた。

過去に複数回、テレビドラマ等でリメイクされていたようだが、私は、宮沢りえさんや深津絵里さんバージョンの三蔵法師は一度も観ていない。大人になってからは西遊記への興味は完全に薄れており、再びストーリーに触れる機会は
2030代の頃は全く無かった。

ところが!太極拳をきっかけに、私は再び西遊記に興味を持った。なぜなら太極拳は、その理論において「中国の道教の思想的影響を受けている」とされており、西遊記に出てくるあの有名な猿『孫悟空』は、太極拳が思想的影響を受けている『道教』の『仙人』であるらしいのだ。いや正確には、仙人ではなく「仙術使いの猿」とでも言ったらいいだろうか。

孫悟空が仙術使いであるというのは、もしかしたら西遊記ファンの方達にとっては周知の事実なのかもれない。だけど私は、なにせ子供の頃、単なる娯楽としてテレビドラマで西遊記を観ただけだったので、安直なファンタジーくらいにしか思っていなかった。

子供時代は、まったく「西遊記とはどんなものか」「孫悟空はいったい何者なのか」を理解してはいなかった。この西遊記という作品の中に、まさか東洋哲学の真義がちりばめられていたとは、当時は知る由もなかったのである。

三蔵法師をなんと500年間も待っていたという孫悟空


西遊記孫悟空イメージ

とにかく、太極拳
道教 神仙思想 仙人 西遊記の孫悟空・・と、この流れが頭の中で連なってきて、数珠つなぎ式に興味が湧いてきた私は、40代で初めて西遊記の本をきちんと読んでみた。
※道教や神仙思想については、また別の機会に、別の記事で詳しく触れたいと思う。

西遊記の本は、児童向けの絵本も含め何種類もあるが、私は本家中国のストーリーを日本語に翻訳した大人向けの本を読んでみた。翻訳モノにありがちなのは、訳の仕方によって読みづらい部分がでてくること。海外の文化や伝統を理解していない状態で読むと、余計に分かりづらい面が出てきがちである。

それから古典的な読み物だと、現代の感覚で読むのは更に違和感が出てしまうケースもある。
正直、翻訳モノの西遊記を読んだ時も、難解な部分が多くて、かなりとまどいながら読んだ。それでも、もともと堺正章さんの孫悟空を知っていたから、イメージが湧きやすい箇所もあり、おもしろく読んだ。

西遊記を大人になって改めて読んでみて、色々な再発見があったが、まず孫悟空は、「本当にスーパー、スペシャルな力を持つ仙術使いである」ということを確認した。子供時代にテレビドラマで観たときは、孫悟空はイタズラ好きの勝手な猿で、少しばかり超人的な(超猿的?)ところがあるだけだと思って観ていた。

でも最近になって、“仙術使い”だという認識をもって翻訳本を読んでみると、悪さをして閉じ込められた孫悟空が、三蔵法師がそばを通りかかるまで「
500年間も待ち続けた!」というエピソードを読んでも、以前より納得できる。「いや、500年も!?」と驚くけれど、仙人みたいなものなら可能なのだろうと思う。

觔斗雲(きんとうん)に乗って一気に何万里も瞬間移動するというエピソードも、孫悟空という存在が並みの哺乳類ではないことが分かっていれば、何となく頷ける。

「サイボーグ
009」というアニメがあったが、その中でサイボーグ戦士が瞬間移動するシーンがある。サイボーグだから長距離を瞬時に移動できるのであるが、孫悟空は一応“生身の猿”なのに、仙術修行によって觔斗雲を利用しながら瞬間移動を成せるのである。生身でこの技を成せる孫悟空は、ある意味、サイボーグ戦士よりも凄い存在なのである。

觔斗雲と言えば、私には苦い思い出がある。忘れもしない、小学3年生の時、国語か何かの授業で感想文みたいなものを書いて(どんな授業だったかハッキリとは覚えていない)、その感想文に、「きんと雲(=觔斗雲のつもりで書いた)に乗って、どこかに行ってみたいな」と書いたのである。

それを担任の中年の先生が読んで、「金と雲(きんとくも)って何なの!?」と、なぜだか強い口調で結構な勢いで突っ込まれて、私は怖くなって何も言えなくなってしまった。小学校時代の事なんて、ほとんど忘れてしまっているのに、印象深い出来事だけは、不必要なものなのに覚えているものである。

私は、このブログの別の記事で書いたように、『五禽戯』という気功養生法を実践している。この五禽戯の『猿の戯』で、「桃の実を猿が取りますよ~」というイメージの動作をする時、いつもイタズラ好きで悪賢い、そして術を操る孫悟空をイメージしながら運動をしている。

五禽戯、猿の戯についての記事


太極拳→道教→東洋哲学と興味が数珠つなぎに繋がっていく


どんな分野にも言えることだと思うが、何かを学び始めると、付随して別の分野を学ぶきっかけや流れができたりして、自分の世界が徐々に広がっていく事がある。

私の場合も、最初は『身一つでゆっくりとできる太極拳』を健康法としてやっていたら、その流れで中国の他の健康法に興味が出て幾つかトライしてみたり、中国武術の棒術の世界にも足を踏み入れることとなった。

こういう予期せぬ流れは、何も行動せずに停滞してジッとしていると決して表面化しない。面白い世界に出会うための“流れ”を掴むことを自ら手繰り寄せるのは、ある意味、人生の醍醐味であり、その流れに乗って行けば、結果として中々おもしろみのある趣味やライフワークに出会うチャンスが広がる。

私は、人生の中で太極拳に出会い、そこから色んな理論を学び、その流れの中で、子供の頃に観た西遊記の面白さや奥深さを再認識した。子供の頃に感じた面白みと、大人になってから「ほほぅ」と頷きながら感じた面白さは違っていて、一味違う味わい方を大人として体験できた。

コメント

随筆★太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品