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コロナ禍→外出控え→運動不足→筋力と意欲の減退

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これは、私の知人 A さん( 70 代)の話。きっと世の中には、 A さんの様な人が今たくさんいらっしゃると思う。 A さんは昔から活動的な人。友人も多い。 70 代半ばを過ぎて年老いてからも、文化的な事とスポーツの両方の趣味を持ち、週に何度か出かけては練習されていた。 仕事で定年を迎えたあとの高齢の方々は、 A さんのように、趣味や地域の活動に精を出していらっしゃる方は多いと思う。 A さんは精力的に大好きな趣味に没頭し、趣味の練習の帰りには、仲間たちと会食するという日々を何年も前からずっと送っていた。 ところが昨年からのコロナウイルス感染拡大のせいで、外出の機会が明らかに減ってしまった。スポーツ大好きだったのに、度重なる緊急事態宣言でスポーツ教室が休講となってしまう。 文化面の趣味でも自粛を余儀なくされ、日中の活動量が減り、気持ちも沈みがち。血圧も安定しないなど、調子が悪い日が増えたという。 この A さんは長年、趣味のスポーツで鍛えてきたので、骨密度は同世代よりも高い方だそうで、おまけにふくらはぎの筋肉も、年の割にはかなりしっかりしていらっしゃるほうだ。 それでも昨年からのステイホーム期間が長引き、社会的な活動をなるべく控えた結果、最近では明らかにふくらはぎの引き締まった感じがなくなり、以前より「ふくらはぎがボワボワしている」とおっしゃっていた。 体の衰えと共に心も落ち込んでしまう 年齢層が高い、低い関係なく、パンデミックが続くと心は不安になるもの。 しかし若者は心が不安でも、体の面では高齢者と比べてまだ安定している。若者は基礎的な新陳代謝力があり、筋力も保てる世代なので、数日家に籠っていても急に足腰が衰えたりしない。 それに比べ高齢者の場合は、ほんの2、3日外出を控えただけで急に足腰が弱り、ヨタヨタする。 もちろん気がけていれば、家の中でも運動はできるし、人との距離を保てば外を散歩することもできる。 でも、自分1人ではなかなか続かない人が多い。私の親族の高齢世代の人にも、「仲間がいるからモチベーションが上がり、運動への意欲がわく」という人がいる。 私が太極拳を指導させていただいている教室でも、ご年配の人の多くは、「1人ではなかなか運動する気にならないよー」とおっしゃる。 私としては、コロナ禍での皆様の健康状態が気になるので、「自粛期間も、家でできる簡単なこと

みうらじゅんさんの言葉、「老いるショック」

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イラストレーターなど複数の肩書きを持つみうらじゅんさんは、テレビ出演の機会も多い方なので、以前から「面白い人だなー」と思いながら観ていた。ゆるキャラ、マイブームといった言葉を生み出した方らしく、面白い発想やアイデアの宝庫と言える人だと思う。 ずいぶん前、そのみうらさんが若者に向けて講演会をされている様子がテレビ放映されたのを観た。 (※最後の講義という番組→ https://amass.jp/132340/ ) 若者を何十名か集めていろんな話をされる中で、みうらじゅんさんが「老い」に関して面白い表現をされていた。  ~ 老いるショック ~ (※みうらさんがインタビューに答えていらっしゃるサイトもありました。ここでも「老いるショック」について触れておられます。 → https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/interview/miurajun/ ) 「老いるショック」を感じたとき 私はまだ高齢者ではない。しかし中年の域には達しているので、やはり「老いるショック」を感じることも最近増えてきた。 まず 10 代、 20 代の頃には感じなかった疲れやすさ、疲れの抜けない感じ。そして髪の生え際に増えていく白髪。知っているはずの人の名前が、なかなか浮かんでこないことも増えた。 それからモスキート音が聞こえない! 道を歩いていて 10 代の若者が「うるさーい」と言うモスキート音の発生装置がある場所で、自分は見事に何も聞こえない。これには軽いショックを受けた。 ※(参考)モスキート音についてのウィキペディアの説明 耳の蝸牛にある有毛細胞は年齢と共に衰え、現段階の再生医療をもってしても再生不可能らしい。 ダメージを受けた部分がもう再生しないのなら、せめて今上手く機能している部分だけでも健やかに保ちたい。だから私は、ときおり耳まわりのツボを刺激して、耳まわりの血流を促し、老化に抗っている。ヘッドフォンで大音量を聴くこともしない。 目の方は、 20 代、 30 代の頃にはなかった“かすみ”とでも言うのか、夕方になると何となく目が疲れてショボショボする感覚が出てきた。ただ救いなのは、細かい字は見える。老眼鏡はまだ不要で、新聞や食品の瓶の小さい字も見える。 同じ年の友人は、老眼鏡が必要だと言う。私が細かい文字を見られる状態を保っていられるのは、太極拳を続けたおかげ

目が見る先へ、自分のすべてが導かれていく

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動きに少し慣れたら眼法もしっかり意識 太極拳を習い始めたばかりの人が一連の動き(套路)を行う場合、まずは「見取り稽古」から始めることになる。ただひたすら先生や先輩の動きを真似してみる。とにかく体に動きを染みこませ、スムーズに動けるようになるまでは、長い時間をかけて、動ける人を真似ながら型や套路を繰り返すしかない。 ということは、つまり稽古を始めたばかりで慣れていない初心者の方々は、「眼法(イェンファー)」までは上手く実現できない。太極拳でいう眼法というのは、簡単にいえば目の動きを意識すること。いや、正確には、目の動きが身体を導く意識を持つこと。目の向く先に、自分の心身が導かれる。太極拳を練習するとき、眼法も非常に重要な要素となる。 眼法を意識して稽古するとき、単純に「手元を見ればいいんだよ」とか、そういうことではない。やはり心、つまり意識、意念、精神的なものの保ち方に気をつけて、「いかに目の動きと、心の持ち様と、体の動きが協調しているのか」を自然に意識できるよう、練習を積まなければならない。 こんなことを語っている私も、過去、初心者の頃には、自分の先生から「雲手の動作の時、上の手を見なさい」などと言われれば、単純に「上の手を見ながら動けば良いんだな」というアッサリした感覚だった。いま思えば、意識、意念などには全く考えが及んでおらず、動くこと自体を機械的に「処理」していた。 太極拳の稽古を重ねていくと、動くことを「適当にあしらうように処理する」のは駄目なんだとだんだん分かってくる。そこには「意識と呼吸と動作。この3つを自然に協調させる」ということが必要で、これが実現できて初めて、余裕のある精神状態と柔軟な動きが保たれる。 まず意識が動くことで体内の気血が巡りはじめ、自分が持っているエネルギーを徐々に放とうとする感覚が得られる。その流れで視線が行く先を定め、すぐに次の流れに連なって、胴体から放たれた微細な感覚が最終的に肢体に伝わっていく。 目をどうする、手をどうする、という単独の動きをロボットのように行うのではなく、自分を形づくる全てのものが調和しながら動いていく。1人で套路を行うときは、自分の中でこういった流れを意識して動いてみる。推手のように相手と組み合うときは、相手を自分の目と意識が向かう方へ誘導していく。流れを作って、最終的に自分のペースに相手を巻き込む(これが
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