投稿

楽しく利用していくもの

イメージ
懐かしの古いシステム 前回、前々回のブログ記事で、電子機器やネット関連の事をいろいろで書いていたら、その流れで、ずいぶん昔の記憶がアレコレと蘇ってきた。昔々、私が最初にコンピュータに触れた頃の話。 私は理系ではないので、プログラム開発の事はさっぱり分からない。私がやってきた事と言えば、仕事でちょっとしたデータ整理をする際に、PC等でいろんな機能を利用してきた、その程度の軽めのユーザーだ。 今よりグッと若かった頃、社会人になって初期に勤務した職場では、まだ業務でdos文書を利用していた。マルチプラン、マルチチャートなんてものを使った事もあった。当時のモノは最近のソフトに比べたら本当に使いづらく、システムに入る時も、訳の分からない暗号の様なコマンドを入力して立ち上げていた。 その後すぐに、OSは最新のウィンドウズ仕様のものが主流となり、ソフトはワードとエクセル等を頻繁に使うようになった。それより以前は、日本では一太郎など、ジャストシステムさんのソフトを使ってる人が、かなり多かったと記憶している。 いずれにせよ、今のように、当たり前にすべてアイコンで操作できる仕様になってからは、老若男女がコンピュータを格段に利用しやすくなったと思う。 ウィンドウズ95以降は、PCの使い勝手はどんどん良くなっていった。その頃はまだ回線が不安定な時もあり、またPCの容量も十分では無く、ソフトを稼働させるとき、ジリジリと動作が遅い事もあった。 複数のウィンドウを同時に開けている状態で作業を行う場合、少しでも込み入った作業をすれば、負担がかかって急にソフトウェアが強制終了…、なんて事も昔はザラだった。通信も、ハードも、ソフトも、今となっては笑えるほど不安定だった。 当時は、今みたいにクラウド上でデータ管理や、データ処理、仕事上のやり取りをするのでは無く、作成したデータをフロッピーディスクに保存し、ガチャガチャ取り出して、そのままディスクを業者に渡してやり取りしていた。今の若者は、「フロッピーディスクって何?」という感じだろうか。 音楽の世界に例えて言うならば、昔、LPレコードとEPレコードというのがあって、それからCDやMDが出てきて、そして楽曲のダウンロード購入が始まり、それからストリーミングが主流になったりして…。そんな音楽界の様な事象が、一般の職場における各データ処理においても起こってきた

便利なモノの影響

イメージ
前回記事の続き。ネット時代になって感じてきた事を、さらに書いてみたい。 物質的な豊かさ、便利さと、ヒトの健康状態は比例するのか もう何年もの間、電車に乗れば、首を45度以上、傾斜させ、背中を丸めて、携帯をいじる人が多い。あんなに首を圧迫した状態で、1日にどれくらいスマホを利用しているのだろう。 そういう姿勢になっている人の中には、若者がかなり多い。その人達の5年後、10年後の健康状態、大丈夫かな(余計なお世話と言われそうだけど)。 そういえば、私が住む市内では、以前ある小学校の児童がネットゲームにはまって、1日の半分ほどをゲームに費やし、不登校になったという問題が起こった。これは極端な例ではあるけど、こういうケースが増えてしまえば、「人間の将来、大丈夫?」と感じる。 ゲームを楽しむこと自体は、良いことなのかもしれないけど、1日に10時間程も費やすとは体に悪影響しか無いだろう。ヒトは機械や電子機器の便利さ、楽しさを享受するあまり、脳、肢体、感覚を伴うもの全て、最低限の範囲しか使わなくて済むようになった。将来、一切合切の人間の身体機能は急速に衰えるのではないか。 私は昔、従事していた仕事でPCを長時間使っていた。今も、請け負っている作業や、私生活で、スマホやPCはよく利用している。こうやって趣味のブログを更新するときもPCを使っており、当然、眼精疲労に繋がるので、決して体に良い事ではない。外出時にはスマホを持っていないと、何となく不安だ。結局、私も電子機器を頻繁に利用する生活に埋もれてしまっている。 PCを使う間、当然座っている。長く座るのは、体に良くない。気休めかもしれないけど、日々太極拳の動きを重ねる事で、「体に悪い座った時間を、運動する事で打ち消し、相殺した気分」に勝手になっている。 ちなみに私は、便利なモノは好きだけど、依存し過ぎないようにしている。気休めかもしれないけど、自分でできる最低限の事は、自分の手でやっていく。 前回記事で触れた様な配膳ロボットは、私は使わない。家電の遠隔操作も利用しない。今の自分には、そんな機能は要らない。もしかしたら中年世代だから、利用するのが単に面倒なだけで、食わず嫌い的なものかもしれないけど、無くても一切困らないので、「まぁいいや」と思う。 家電は、最低限の機能のものがいい。お掃除ロボットは随分前、出だしの頃に使った事はあるけど

便利か、不便か

イメージ
何が必要かは、人それぞれ ずっと前に、このブログで書いた「 象の足裏は重要な感覚器 」。 今回また、 私の脳内で渦巻いている「便利な物に囲まれた生活」に対する考えについて書いてみたい。 だいぶ前の事。テレビに一般家庭の食 事風景が映った。その御家庭では、配膳ロボットを使っていた。正直言うと、一般家庭を配膳ロボットが這いまわる光景は、奇妙に見えた。 失礼ながら、そう広くない一般家庭。ご家族全員が若い世代で、足も悪くなく、機敏に動ける健康体。少し手を伸ばせば、何でも手に届く範囲にある御家庭だった。 人が配膳しても、わずか数歩の移動距離しかないのに、「座ったまま楽に過ごせる」という理由で、ほんの数十センチの距離を配膳ロボットに移動させていた。こういうのは個人の自由なので、その人達が便利に使えれば良いのだけど、私はそれを観て、自分で動こうよ~、と思ってしまった。 思えば、この30年程のあいだ、電子機器の進歩は本当に目まぐるしかった。便利な事がいっぱい増えた。最近の飲食店では、人手不足もあり、ロボットが配膳するところがある。数十年前には無かった光景だ。 他にも、人間をサポートしてくれるロボットは、いろいろあるようだ。介護の現場や、体の一部が不自由な方々にとっても、サポートしてくれる機能性の高い機器の存在は心強いだろう。1人暮らしの高齢者の見守りも、もう何年も前からネット経由のモニタリングで可能らしい。 便利なものが増え、良かった点は沢山あるけれど、私自身は、最近なんだか脳が休まらない気がしている。情報を得る媒体、情報量は、昔より増えている。常に情報の渦の中に、自分がどっぷり浸かっている気がする。 それならネット環境を数日間、絶てばいいのだけど、でも請け負っている作業に必要でもあるし…などと思いつつ、結局アクセスしてしまう。 ところで、ネット経由で文字のやり取りができる現代の環境は、とてもありがたい。私は電話が苦手なので、文字メッセージによる交流の方が気が楽だ。 電話が苦手な理由はいろいろある。昔、知人で、早朝や夜遅い時間帯に電話してくる人がいた。そういう人には、相手の時間を奪っているという意識は無い。一方的な愚痴など、長話をしたがる知人もいた。 暇なのか、いろんな人に電話をかけまくる人もいた。そういう人は、常に他人にかまって欲しくて、相手の都合をあまり考えないようだ。自分の不
随筆★太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品