人は軽くなる part.2
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小学生の頃の想い出ばなしをしてみる。ある日、私は家の近くの階段を下っていた。そのとき、三段とばして一気にポーンと降りた。一瞬フワッと体が浮いた。ちょうど風が吹いて、小学生の軽い体があおられたのかもしれない。でも、あのとき確かに自分は飛んだ。「鳥のように空を飛んだ」感覚になった。人生のなかで「空を飛んだ!」感覚になったのは、後にも先にも、あの時だけだ。
大人になり、太極拳の同じ型を何年もかけて、何度も何度もやっていたら、体が空に浮いたような、あのときの感覚が少し蘇った。稽古を何年も継続していると「空中散歩」している感覚が出てくる。ふわふわと浮いた感覚になるまでに、のみ込みの悪い私の場合、10年近くかかったと思う。
もちろん「体が軽く、浮いた感覚になる」といっても、上へ上へとわざと浮き上がる訳ではない。自分で上にジャンプしてはいけない。ただ、無駄な力を抜いて「自然に任せる意識」を持つと良い。
「重力に素直に従う」感覚を持てば、体は軽く感じられる。床と友達になること。自分がまとっているものは床にたらす。でも、ただいたずらに沈むのではなく、頭部や頸部は上方へ緩やかに向かう。そうすると背骨まわりは潰れないで、ゆとりがある。
太極拳の動きでは、軸足の足裏を、床にシールの様に貼りつける感覚で、両足の重心移動を交互に行う。無理に上に伸び上がったりせず、踏実を実現する。そして緩やかに重心移動をする。
全身のりきみを無くし、雲が流れるように動く。その動きを何年も続けていくと、最初はぎこちなかった人でも、だんだん「なんと気持ちよいのだろう」と自分を軽く感じられるようになる。
床に沈むような感じが体全体で上手く表現できたら、そのことで鳥になった感覚になる。幽体離脱とまでは行かないけれど、無心になって練習していると、自分の何十キロかある体重は、あまり感じられなくなり、自分が空間の中に浮かんでいるようで足の運びは軽やかになる。
参考に「五勁等級(李雅軒)」について触れてみる。「五勁等級」では、硬勁 → 僵柔勁 → 鬆沈勁 → 軽霊勁 → 虚無勁、この順番で無意識レベルの軽さへと昇華していくらしい。
李雅軒さん曰く、「硬勁は僵柔勁に及ばず、僵柔勁は鬆沈勁に及ばず、鬆沈勁は、軽霊勁に及ばず、軽霊勁は虚無勁に及ばず。虚無に到るのは太極拳の最高の境界である」(ベースボール・マガジン社『中国太極拳事典』より)…だそうだ。
虚無勁を自在に操るレベルの達人の方ならば、神明に至りつつある…と言えるのだろう。ヒヨッコの自分は今、どのあたりだろうか。自己判断では、おそらく2段階目あたりをやや過ぎたところだろうか。
この先、老いていきながら自己鍛錬を重ね、重力を味方に付けながら、徐々に軽霊へ向かっていきたい。いつか生きている間に、「どんな動きをしても、すごく軽やか!」、そんな境地へ行ってみたいものだ。
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