リアルと幻の狭間

自分の体を目ではなく感覚でみる


自分の目で普段、見ているものはクリアではなく、外界の100%リアルな景色ではない。よく言われるのは、特に緑内障などの視覚の病を持っている人の場合、片方の目の見えづらい部分を、もう片方の目の見え方でカバーする事がある。もう片方の目というより、脳が、より視界がクリアに見えるよう、景色を補正してくれるという。

病ではなくても視力の問題などの面から、多かれ少なかれ、こういう現象はあるようだ。現実に自分が目で見ているものと、実際のリアルは別物。自分の体の内側だけが見えないのではなく、自分の体の表面も、そして自分を取り囲んでいる物や景色も、実際には100%正しく見えていないのかもしれない。

ところで、”だまし絵”などは、ヒトの錯覚を上手く利用してあるなと感心する。現実そのものでは無い状態に見えてしまう。絵に限らず、現実には有り得ない構造の物が、まるで実態ある物のように見えてしまう事がある。また、見ている対象物と自分との距離や角度、周囲の物体との位置関係によっても、補正する機能が働いて、見え方に微妙な誤差や変化が起こる事もある。

それから、これは別次元の話になるけれど、病によって幻覚が見える人もいて、誰もいないのに誰かが見えたり、そこに無いはずのものが見えたり、という事があるらしい。これも目の問題ではなく、脳の伝達物質が関係して起こる現象だそうだ。

ところで、過去に本ブログの別記事で、こんな事を書いた。
【人が、目視だけで何かを正確に覚えるのには限界がある。初心者の方が多い稽古場では、よくこんな事が起こる。その場にいる全員が、同じものを参考に見て、同時に同じ動作をしても、Aさんの腕は少々上がり過ぎ、Bさんの腕は横に張りだし気味になってしまう…等々。目で見たことを、寸分たがわず再現できる人など、滅多にいないのだ。だから指導者がそばにいて、体に触れ、説明を加えながら手直しすることが必要になる。】…これは、太極拳の稽古あるあるだ。

全員が、手本になる同じ人の動作を見て、いわゆる見取り稽古をしても、再現する動きは人によって微妙に違う。つまり、多くのヒトは、他人の動作を参考に真似ても、瞬時に100%正確には捉えられず、自分の動きを制御できない事がある。

リアルとは違う”誤差”が出る理由は様々だろう。前述した脳の補正機能のせいかもしれない。あるいは、どこか一点に意識が集中し過ぎて、全体が曖昧になる人もいるだろう。人の動きを真似て、自分も一緒に動くとき、思い込みにより、誤った動作に繋がる事もある。

太極拳の動きでは、見るのと同時に、一瞬にして考え、また、両手足を動かしながら、進む方向まで変わるなど、とにかく、いっぺんに複数の事をこなしている。特に初心者の方は、慣れない中で、究極の複雑な脳トレをやっている状態だ。当然、初めは戸惑い、思うように動けず、動作がうやむやになる。だからこそ、長年の稽古で微調整を繰り返していく事が、とても重要なのだと思う。

目で見て真似るだけの行為が100%で無いなら、何を頼りにし、何を信じれば良いのか。そこで自分の知覚、感覚がとても重要になる。太極拳は「知覚訓練」あるいは「感覚訓練」とも言われる。

太極拳を学ぶことは、バランス感覚を養うだけでなく、積極的な脳への働きかけ、体の深部感覚への影響、そして皮膚感覚への働きかけまである。これは普段、機械や機器に頼って生きている、ヒトの鈍化した感覚を養う手立てとなる。目で見ただけの結果、錯覚が起こったとしても、長い太極拳の稽古を通して、失っていたヒト本来の感覚を呼び覚まし、自分の足りない身体機能を補完できる。

絵画の分野なら、ダリに代表される超現実主義は、現実を超えた感覚や心理面を突いている。今の自分の住む世界で、自分が見ているリアルな現実は、本当のところ、100%リアルな現実ではないかもしれず、見えるものが、実はよく見えていない。

でも時間をかけて訓練すれば、まるでダリの絵画のように、見えないものが、より良く見えるような、研ぎ澄まされた精神を養う事ができそうだ。太極拳の魅力は、それに尽きる。視覚オンリーではなく、便利すぎる生活や老化のせいで失った感覚、本能を呼び戻せるのなら、稽古を重ねる意義は大いにあると思っている。

中国武術


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