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人生初の耳👂の不調(初マツケンサンバの後日談)

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私が過去に観てきたミュージシャンのライブなんかも同様だったけど、とにかく大音響のホールに長い時間、滞在すると耳がツラい。 マツケンサンバなどのショーと時代劇の舞台を観に行ったとき、音楽ライブでは無かったので、耳のケアには全く気を付けておらず油断していた。舞台の音響が、結構な大音響だったので、観劇した翌日から、片方の耳が詰まったような感じになり、聞こえもおかしい状態になってしまった。 耳の奥の不調から、脳内までが気持ち悪くなってしまった。後から思えば…だけど、「耳栓したら良かったかも」、「耳を酷使したなぁ~」と反省した。 人生で初めての「耳詰まり」の感覚だったので、何だか、自分が酷く年を取ってしまったように感じた。このまま難聴になったら嫌だ!と思い、心配になり、耳鼻科へ行った。昔、副鼻腔炎で耳鼻科を受診した事はあったけど、「耳の聞こえ」の事で受診したのは初めてだった。 耳鼻科のベテラン先生に、事情を話した(舞台で大音響を聞いたあと、片耳の様子がおかしくなった事)。 4種類も薬を出され、「こんなに?…」と思ったけど、処方された薬を1週間、真面目に服用した。2日目から、薬はしっかり効いて、耳の調子がみるみる回復していった。薬の中に、耳の血流を促す効能のものがあったせいか、全身の血流まで促されたようで、耳の薬の服用期間中は、体全体が軽くなった感じがした。 どんな薬にも副作用はあると言うし、薬漬けになるのは絶対に嫌だけど、やはり、どこか不調が出れば、悪化しないよう、集中的な投薬治療が必要だと思う。 実は、私の知人の中には、(耳の病気では無いけど)ある病にかかった人がいた。その人は、医師の診断を受け、薬を処方されたのにも関わらず、自己判断で薬を飲まず、症状が極端に悪化してしまった。 薬や医療ばかりに頼るのは良くないし、本来ヒトが持っている自然治癒力で治すのが良いに決まっている。でも、症状が辛いとき、「このまま悪化したらまずい!」と感じたら、やはりきちんと医師に診てもらい、治療すべきだと思う。 悲しい事に、中高年の体は、回復力や基礎代謝が若者より劣っている。自然治癒力だけで対処できない時は、長引かないよう、医療の力を借りて集中的に治す事も必要だと思う。 耳に関して思うのは、ライブなどに頻繁に行っている人や、イヤホンで常に大音量の音を聴いている人などは、その状態を続ければ、確実に耳...

初マツケンサンバ🌸

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松平健さんの舞台を観た。実は私、松平健さんのファンではない。何十年もテレビ放送されてきたらしい暴れん坊将軍を、今まで、テレビで観た事は1度も無かった。 では今回、なぜ舞台を観たか…と言うと、マツケンサンバⅡを生のステージで観たいなぁ~と、ふと思ったから。去年1年間、親族の死や病気などがあり、私は、何となく気持ちが滅入っていた。それで、「気晴らしに、何か明るいパッとしたものが観たいなぁ!」と思い、チケットを入手していたのだった。 舞台は大きく2部構成になっていて、最初は御芝居の舞台。後半は歌のショーだった。私は、映画やコンサート以外のエンターテインメントとして、御芝居の舞台を観た経験はあまり無い。 初めてきちんとした芝居らしい芝居を観たのは、中学生の頃で、宝塚歌劇団のステージだった。親戚に連れていってもらったのだけど、当時、私自身は大して宝塚に興味が無かったから、そのときのトップスターが誰だったのか、演目は何だったのか、全く覚えていない。 その後、学生時代や大人になってからは、様々なアーティストのライブなどに何度か行ったけど、御芝居の舞台はほとんど観た経験が無い。記憶している限りでは、好きな玉三郎さんのチケットを購入して、舞踊中心の舞台を観た事はある。それ以外は、華やかな舞台観劇の経験がなく、私が今まで好んで観てきたものといえば、舞台装置や衣装が極限までシンプルに構成された能や狂言のみだった。 それゆえ、松平健さんの時代劇の舞台や、華やかな歌のショーは新鮮だった。特別ファンじゃない私でも、ちゃんと楽しめた。 松平健さんは70を超えていらっしゃるけど、3時間半ほどの舞台をこなしておられた。それを1日に2公演やれば、1日7時間もステージ上で演じている事になる。すごく体力をつけておかなければ、できない事なので、本当にプロだなぁ、凄いなぁ…と思った。 体のケアや、入念な稽古を、繰り返し、繰り返し、頑張っていらっしゃるのだろう。そして特別ファンでは無い私から見ても、やっぱり松平健さんはスター🌟だった。普通、70過ぎている男性で、しかも体形がそこそこドッシリしている人がいれば、ただの中年太りしたオジサンだと思えるものだけど、やっぱり長年、舞台で活躍している人は、立ち姿が美しい! 足のステップなんか、70過ぎているとは思えなくて、おまけに時代劇の御芝居では、立ち回りも美しかった。...

重い責任を負うという事

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印象に残る歴史的な出来事 映像の世紀というTV番組は、昔、若い頃からよく観ていた。加古さんのテーマ音楽も好きだ。いまでもリマスター版、再放送があれば観る事がある。 私は絶対に、この番組だけは、”ながら見” ができない。他の事をしながら、片手間に観るような内容でもない。昔々、高校時代に世界史を専攻したときから、大人になってからもずっと、世界の歴史について知る事が面白く、また、映像の世紀のような番組は重たい内容もあるので、真剣に食い入るように観てしまう。 随分前の事、この番組で東京裁判(極東国際軍事裁判)の特集があった。それを観ながら思った事がある。映像に残っている広田弘毅元首相の様子は印象的だった。広田氏は文官で唯一、極刑になった人だ。文官だった彼にどれほどの責任があったのだろう。 本人は、政治の中枢にいた人間として、戦争突入を避ける事ができなかった事を悔い、責任を感じていたそうだ。 私は勿論、戦争が嫌いだ。人命が多く失われる戦争は繰り返してはならない。ただ、あの時代に、もし自分が生きていたとしたら、そして、例えば自分が政治家や軍部の人間であったならば、当時の関係者と同じ行動を取っていた可能性は大いにある。 時代背景のせいにしてはならない…と分かってはいる。だけど、そういう時代だったのだ。現在、今のこの時代 になった上で、数十年前の出来事を振り返れば、「あの時の、あの人の行動は間違っていた」と分かる。でも当時の当事者はそれぞれ、その時々の判断で、よかれと思って行動していたかもしれない。人によっては、やむを得ない事情を抱えていたかもしれない。 開戦前なら日本が勝つと勇んでいた人も大勢いただろう。欧米との軋轢もあり、エネルギー問題など切羽詰まった事情もあっただろう。だからといって戦争を正当化する理由にはならないけれど、当時の諸事情や、個別案件への関係者の誤った勇み足での判断、扇動による思想教育の弊害などもあり、歪んだ見識を持ってしまった人は大勢いただろう。 かなり昔、私は城山三郎さんの「 落日燃ゆ 」 を読んだ。小説仕立てだけど、城山さんが熱心に取材を重ね、真摯に書かれたもの。まさに、事実を基にした限りなく事実に近いフィクションだろう。このストーリーからも、そして映像の世紀というドキュメンタリー番組からも見て取れる広田弘毅さんの人物像を通して、戦争とは何だったのか、人のエ...
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