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呼吸法で健康な体を取り戻した白隠禅師

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何事も、やり過ぎは疲労を招く 若かりし 10 代の頃の私は、高校でテニス部に所属し、放課後や土日によくテニスコートで過ごした。ボールを打つのは楽しかったけれど、屋外でしかも夏場、炎天下で日焼けしながらのテニスは、本当に疲労が溜まった。 当時は進学校に通っていたので、冬は暗いうちから家を出て朝課外を受け、夕方には塾にも通いながら、部活と学業を両立し、とにかくやることが毎日毎日押し寄せていた。まだ 10 代で若かったから、何とか切り抜けられたのだと思う。 大学時代を経て、その後、就職。今度は夢中になって働いた。新人の頃は、忙しい仕事になかなか慣れず、心労が溜まって一度、胃炎になった。胃炎を治療して乗り越え、数年働いているうちに、だんだん仕事が面白くなり、働くことの醍醐味を味わい、はまり込んで「仕事人間」になった。体がしんどいと思う以上に、担っていた業務の中身の奥深さにはまっていき、大いにやり甲斐を感じ、何年もの間、仕事にかなり没頭した。 私はその仕事を、もう随分前に辞めている。ただ、その当時、がむしゃらに頑張って得た知識と経験は、ときには直接的に、ときには間接的に、今の暮らしの中で役立っている。当時はそれなりに苦労もしたけれど、良い経験を積ませてもらったと思うと同時に、人生に無駄なことはないと感じている。 ただし問題もあった。やり過ぎたのだ。没頭できる仕事に従事していた当時の 10 年間ほど、その渦中にあるときは特に何とも思わなかった。でも仕事を離れてから、やっと自分が、かなり心身を酷使していたことに気づいた。私は、自分が思ってる以上に疲れていた。 仕事に染まっていた生活のリズムが、辞めたあと変化したことで、溜まっていたそれまでの疲れが一気に噴き出し、一時期、心身が思うようにコントロールできない状態に陥った。 張り詰めた状態で何年も頑張ってきた結果、脳が疲弊してしまい、約2~3年ほど調子が悪い状態が続いた。その頃、たまたま他のストレスが加わってしまったこともあり、酷く疲れてしまい、無気力になったり、ある特定の場所に行くとパニック発作も出るようになってしまった。 その辛い状態を、長い時間をかけて乗り越えることができた理由は、まず心療内科に行ってみたこと。それから、心の整理ができるような本を意識して読んだこと。そして何といっても、辞めずに継続していた太極拳、中国古来の気功健

馬鹿力を出さない

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抗重力筋はフル稼働させる 前のブログ記事で、「太極拳にはとにかく緩みが大切」と書いた。ただし、ただ緩めばいいというものではなく、力をまったく使わない訳ではない。 骨の周辺、つまり体の深部はシャンとさせて正しい位置に置き、外側の皮膚に近い部分の筋肉はひたすら力を緩めておく。自分の体を自在にコントロールできるように、馬鹿力を出さず、緩みを利用しながら効率的な力を用いる。 体は緩めるけれど、筋肉や脂肪という物理的な物体は、深い呼吸を伴いながら適度な弾力性を保つ。 動くとき、傾斜して倒れやすくなっては困るので、体の中心軸はしっかり立て、抗重力筋はフル稼働させる。そうはいっても抗重力筋をガチガチに固めて使うのではなく、適度な緩みをもって動く。 抗重力筋というのは、字面だけみれば“重力に抗う”と書く。でも太極拳では、緩みを帯びた立ち方をして抗重力筋を利用しつつも、抗う以上に重力に従う。床に沈む感覚で立つ。抗うものと従うものが良いバランスを保てれば、立つことに馬鹿力は要らない。 この感覚は、何年か稽古を重ねないと感覚的に分かりにくく、私自身も稽古開始から最初の 10 年ほどは、なかなかピンと来なかった。 太極拳など中国武術の世界でよく使われる言葉に、勁力という言葉がある(単に勁と言ったりもする)。太極拳で言うところの勁の発し方は、「体の奥底から湧き出てくるエネルギーを力に変化させ、その力をしなやかに放つ」というイメージ。 体のすべての部分をしなる弓のように柔らかく使うと、おのずと筋肉の柔らかさの中を伝ってきた力の源が、矢を放つがごとく、そのしなりによって放たれるという考え方。だから馬鹿力をもって、 腕や手を強くグイグイ押し出したりしない。 「軽いのに重くなる」を実現 体の奥底から湧き出る力は、徐々にジワジワと外側へ現れていき、手先には 最後に力が到達する。だから手先や足先でグイグイ押すのではなく、体のいろんな部分は力が伝わりやすいように柔軟に保つ。 体の奥底から発するエネルギーが、自分の体内の筋肉、骨、水分、経絡を伝い、体の表面にジワリと効率よく力として現れる。 太極拳では、丹田あたりを意識下に置いて、下半身を安定させて動く。前進するときも、手と足だけが先走ってバタバタ進むのではない。柔らかな体の中心部にあるエネルギーは徐々に移動し、最終的に手先に届いて放たれる。 仮に手で相手を

緩んでこそ、体の奥底からチカラが湧いてくる

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関節の可動域が狭くなっている人は自然な緩みが実現できない 太極拳の動きには、とにかく緩みがとても大切なので、「緩む。力まない!」と、つい何度もしつこくこのブログに書いてきた。とにかく何度もクドクド書きたくなるほど、太極拳に緩みは必須。 特に関節まわりの筋肉の緩みが足りないと、動きが酷くぎこちなくなる。 初心者の方の場合、頭では分かっていても緩みを実現できない。実は思った以上に、「自然に力を抜く」という行為は難しい。 初心者の方が自然な緩みを実現できない理由は、大きく分けると2つある。 1つは稽古の要領や場の雰囲気にまだ馴染めていないので、精神面で緊張してしまうこと。 どんな分野でも、慣れないことにチャレンジする場合、自分で気づかない程度でも緊張する。軽い緊張は誰でも起こり得るもので、緩めようと気をつけても、最初は特に肩に力が入りやすい。 2つめに考えられる理由としては、長年の運動不足で筋肉が凝り固まっており、少し運動した程度では、凝り固まったものが緩まないということ。 これは年齢は関係ない。若いから体が柔らかいとは言えない。若くても運動習慣がない人の場合、体が硬い。逆に 70 歳以上でも、簡単なストレッチや体操を続けてきた人は、体が柔らかい。 体が硬い人の中には、長年の生活習慣の蓄積によってそうなってしまった人が多いので、柔らかさを取り戻すのも焦らない方が良い。少し長い目でみて、長期間かけて体を柔軟にしていき、自然に緩む状態に体を徐々に慣らしていくしかない。 太極拳で「緩む」ということについて、武術的にはどういう意味合いがあるのか。例えば、 もし自分の筋肉、関節が固まったままだと、敵に押された時、柔軟にサッと次の体勢に移ることが難しくなる。硬直すればするほど、かえって身動きが取れなくなって倒れやすくなる。 だから常に余力を残して関節を緩め、相手がどう出ても、すぐさま柔軟に対応し、自分はどうにでも変化できる余裕を持っておく。あるときは相手の力を受けて吸収し、またあるときはかわしながら誘導。そんな変化が可能な状態をキープする。 とにかく次の動きへ、次の動きへと難なく対応するためには、力を込めて固まっている場合ではない。 受けた力を吸収→分散し、体勢を立て直す 例えば、縦長の形状の、非常に硬い物体があるとする。こういった硬い物は、倒れにくい細工でもしない限り、外側からボン
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