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頭頂のツボ【百会】について

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太極拳を稽古しつつ、中国の伝統医学(中医学)のことも少しずつ、ゆっくりマイペースで学んでいる。ツボのことは、いつかブログ記事で書きたいと思っていた。書くといっても、私の浅はかな学び程度では、体中の何百ものツボについて淀みなく一気に書けるはずもなく、まずは今回、頭部のツボ【百会】について書いてみようと思う。 ちなみに「ツボ」というのは俗称で、中医学で言うところの「経穴」のこと。ツボは、気の通り路である経絡上に多数存在し、気の出入り口であるとか、神経を刺激するポイントと言われる。 ツボに関しては解明されていない部分が多いという。世界保健機関で認証されているツボは 361 カ所あるらしいけど、これはあくまでも国際機関での認証数なので、実際には人体に 800 とか、 1000 ほど存在するという説もある。そんなに沢山あるのならば、体中のどこかしらに触れれば、どこかのツボに当たると思っていい。 ほんの小さな点でも侮れないポイントになっている 百会は“万能のツボ”と言われる。 中国ドラマの時代劇モノをみたとき、瀕死の状態にある人を救う際、医師(道士)が頭の百会のツボに割と太めの鍼を打つシーンが出てきた。放っておいたらすぐに死んでしまうであろう人の、最後の砦となる治療法としてドラマでは描かれる。 頭にそこそこ太めの鍼を打つ、つまり失敗すれば当然、即死という設定だから、ドラマでは視聴者をハラハラさせて場面を盛り上げる要素になっている。一か八かの賭けとして、リスクは大き過ぎるけれど、「死から逃れるには、もうコレしかない!」という治療箇所として描かれるのが、百会のツボである。 鍼といえば、私の古い友人は昔、体調がすぐれない時よく鍼灸に通っていた。その人は、顔面周辺にしょっちゅう鍼を打ってもらっていた。さすがに現実ではドラマのような太い鍼ではなく、顔の周辺には極細の鍼を打つと言う。だから脳天にそこそこ太い鍼を打つなんて事は、時代劇ドラマを盛り上げるための誇張した設定だろう。 私は数年前、日本の獣医師さんが書いたノンフィクションの本を読んだ。その中にこんなエピソードが書かれていた。 その獣医師さんがまだ新米だった頃、勤めている動物病院に、犬猫以外のペットを連れて来られると大いに困惑したという。 犬や猫のように飼育数が多いペットならば、大抵の病気の治療法が獣医師の間で知れ渡っている。しかし犬

続・規模は小さくてもいいから、自分の居場所が2〜3カ所あると良い

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趣味がある喜び 前回の記事 で「人の居場所」について、思うところをアレコレと書いた。今日はその続編。私の周りにいらっしゃる太極拳愛好者の方々のケースについても少し触れてみたい。 私は普段、主に中高年以上、高齢の方々に、太極拳の動きを健康法として利用するべく指導させていただきながら、日々感じていることがある。それは、ある程度の年齢に達したとき、「趣味がどんなに大切なものか」を痛感するということ。 もちろん「無趣味」という主義を貫く人がいてもいい。無趣味でいること自体は、その人の自由であり何ら問題ない。要は、趣味の有無に関わらず、その人が「心身ともに心地よく生きられるか」が重要だと思う。 太極拳教室に来てくださる高齢の方々の価値感はいろいろで、上達を大して求めない、上手くなることにさほど興味がない人もいらっしゃる。でもとにかく、その人が「その日の稽古で気持ちよく体を動かし、楽しめた」ならそれでいい。 それがその人の取り組み方であり、その人が「自分の生活の中で太極拳をどう位置付けるか。どう利用するか。」は、その人の感覚の赴くままでいい。 仕事の面で隠居した高齢者の方や、子育て、介護等、一通りの人生経験を積んできた方々にとって、老後の生活のひとこまに、仲間と一緒の太極拳教室がある。それで良い。 私自身は、太極拳を続けてみて、人生で得られたものが多い。知識、技術、出会い、好きなことに夢中になって打ち込む貴さ。これからも、もっともっと知識を得たいし、実力が足りない分、技術を向上させたいと思う。 しかしこれは、あくまでも私の太極拳への思い、取り組み方であり、決して他人に強制はできない。私にできる事があるとすれば、習いに来て下さる皆様へ、太極拳の心地良さ、動き方についてシッカリとお伝えすること。 人にはいろんな事情、生活スタイル、考え方がある 私の太極拳仲間の方で、もうすぐ 80 歳になられる人がいらっしゃる。その方は、障碍者の方々へ朗読をするボランティアを長年続けてこられた。そのボランティアについて語るとき、その人はイキイキしている。長年の朗読の成果なのか、話し声は朗々としている。最近は、もっと若い世代の人に朗読をしてもらっているとの事で、ご本人は、主に書物の選定、内容のチェックなどをしていらっしゃるそうだ。 別の 70 代半ばの方は、配偶者が少し鬱っぽくなっていらっしゃるという

規模は小さくてもいいから、自分の居場所が2〜3カ所あると良い

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気をそらすことは、逃げではない 人間は、いろんな方面で上手く心身のバランスを取りながら生きている。中国由来の健康法や太極拳も陰陽のバランスを意識し、心身の調和を取りつつ動いていく。太極拳にも、人生にも、日々の生活にも、バランスが大切だと思う。 人には、それぞれの居場所がある。人によって、それが勤めている会社だったり、学校だったり、家庭だったり、地域のボランティア組織だったり、と様々である。 どんなに居心地が良い組織に身を置いたとしても、長く身を置いていると少しほころびが出てきたり、「この部分はちょっと納得できない」という面が出てくる。全体的には納得していても、細かいことで疑問が出てくることもある。 そんな時、2つ、3つの居場所がある人は、上手くバランスを取りながら、それぞれの場所に身を置くことを継続していける。1つの場所に身を置いたとき、もう一方の場所の良さが見えてくることもある。当然、逆もある。 もし自分の居場所が、わずか1カ所しか無かったらどうだろう。1つの居場所しかなければ、良くない出来事が起こったときの逃げ場がない。比較対象もないから、1つの場所で不満が出たとき、嫌な部分だけが心の中でクローズアップされがちになる。悪い部分ばかり気になりだすとストレスが倍増し、他人に不満をぶつけたりして攻撃的になってしまう。 自分1人だけの問題ならば、自分で勝手に道理を変えればいい。でも他人と共存する組織内では、自分に都合の良いことばかりではない。他人や組織は容易に変えられないことも多い。 大きなストレスを溜め込み過ぎたまま立ち止まると、心の整理が上手くできない。そんなときは思い詰めずに一度、気をそらし、気晴らしする方が良い。可能ならば、その組織と、中にいる人達とは距離を置き、一定期間、別のグループでの活動をメインにしてみるのもいい。 心の整理ができたら、また最初の問題点に戻ってしっかり向き合えばいい。これは逃げでも何でもない。一見、遠回りに感じるけれど、実はスムーズに問題を解決に向かわせる手段となる。 会社の特定の部署などで、同僚と、あるいは上司と部下が口論になる場合、大抵は、真面目な者同士、業務について深く考えるあまり煮詰まった状態になり、「相手の考えを手っ取り早く変えてしまいたい!」、「ワタシの方が正しいのだ!」という強い憤りと焦りから口論になってしまう。 感情論に走る
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