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懐かしの「水飲み鳥」

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太極拳の稽古を続けてきて久しいので、今では何かと別の分野のことまで、常に太極拳の動きと重ね合わせたりして、我ながらちょっとした中毒だな(笑)…と思う。何を見ても、バランス感覚のあり方などを太極拳の動きと比べてしまう。 このブログの過去記事でも、 太極拳の重心移動がテニスの素振りに似ている とか、 サグラダファミリアの安定感が円襠 だとか、強引に、勝手に、面白く自分の想像をかき立てながら書いてきた。 自分の太極拳、それと並行して学んできた気功や棒術などの動きをなぞるうちに、世の中のいろんなことは全て太古の思想や太極の道に通じているのだと感じてしまう。自分にとって、動くものは全て太極拳動作を想起させ、哲学や思想的なものは太極拳理論を連想させる。 私の感覚や趣向を抜きにしても、結局、どんな世界にも共通するテーゼがあり、人間が作り出したものには万事、共通項があるのではないかと思える今日この頃である。 ここに書くことは、恥ずかしながら子供騙しみたいな玩具や置物の話。子供の頃、昭和時代に見たことがある玩具や置物にも、太極拳の動きを思わせるものがある。 幼い頃に見た物を、最近になって思い起こしたとき、現在の自分の趣味である太極拳の動きに何と近い感覚なのかと、非常に新鮮に感じる。 いろいろな置物のユニークな動きが、太極拳の独特の姿勢やチカラ加減と重なる。まずは今回、「水飲み鳥」を取り上げたい。 上体は水飲み鳥のように立身中正 水飲み鳥。これ、最近は全く見かけなくなった。今の若者はきっと知らないだろう。 私の幼少期、記憶を辿れば、おそらく家族と外出した際に喫茶店のような場所で見た気がする。凄く昔の記憶なので曖昧だけど、喫茶店のような店の窓辺に置いてある水飲み鳥が、繰り返し、繰り返し、水を飲んでいたと思う。単純だけど興味深いその動きを、子供の頃、飽きもせずジーッと見た。 太極拳など中国武術において沈み込む、身を屈めるような動作をする場合(参照: 過去記事 )、後足に重心を置いた状態で、股関節を緩め、軽く沈み、まるで物を拾うようなイメージの姿勢になることがある。 この動作、水飲み鳥が水を飲むときの傾き、沈み方に似ている。コツは、股の会陰から頭のてっぺんまで、柔らかいのに軸はまっすぐ、つまり上体は中心に芯が通った感覚。股関節の緩みで上体が傾くとき、決して首や背中を不自然に丸めない。 動きに

デリケートな頸をしなやかに保ちたい

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百会を意識することで頸椎のあり方を整える 前回のブログ記事で、百会のツボ について書いた。また、今年2月には 【会陰から百会までをまっすぐ立てて動きたい】 というタイトルでブログ記事を書いた。太極拳を稽古している者にとって、頭頂の百会のツボは、姿勢を保つ上で大切なポイントとなる。 人間の体の一番上に、重たい頭が乗っている。重たいものが正しい位置に据えられなかったり、中心軸が傾いたりすれば、当然、全体のバランスに影響してしまう。 太極拳をしているとき、体全体には無駄な力は入れないけれど、股の会陰から百会のツボまでの中心線には、1本のブレない芯が通っていることをイメージする。その上体が下半身の上にポンッと自然に乗ることで、無理なく姿勢を整え、バランス良く安定して立つことに繋げる。 体のいろんな箇所をピーンと張って力む姿勢は長くもたない。だから適度に力を緩めてまっすぐ立ち、自然な良い姿勢を維持する。 太極拳を学ぶ過程で 【虚領頂勁】 (シュイリンディンジン)という言葉に出会った。頸部は虚、つまり力を込めず、柔らかく置く。頭の頂を天に向け、精神面ではできるだけ雑念を取り去り無駄な力を抜くことで、神経伝達や気血の巡りをスムーズにしてまっすぐ立つ。 虚領頂勁を実現できなければ、体全体の軸がブレてしまい、「立身中正」(→中心軸を意識し、無理なく自然な形で立つ)も実現しない。太極拳のあらゆる要諦は、相互に関連し合ってこそ成り立っている。 余計な力を入れず、ただ素直に柔らかく、地面と垂直に立つ。決して胴体の前方に顎を突き出さず、頭の軸を傾けず、力を抜き、頭部を正しく胴体の上に据える。 自分が操り人形になって、百会を起点に天井から吊るされているイメージを持つ。そうすると重力に従い、地球の中心に向かって体重をかけて沈むような感覚で立てる。 顎は意図的に引くというより、頭部の重みが踵周辺に乗っていれば正しく立て、自然と顎を軽く引いた状態になる。無理に脚に力を入れてバランスを取る必要もない。 つまり、まっすぐ立つには、脚だけの筋力で立つのではなく、頭のてっぺんから足先まで体全体のバランスを整え、自然に立つ。そうすれば重心移動して前後左右に動くとき、滅多なことではグラついたり倒れたりしない。 頸には大切な神経や血管がいっぱい通っている 百会のツボを天に向ける意識を持つことは、「頸を大切に扱うこ

頭頂のツボ【百会】について

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太極拳を稽古しつつ、中国の伝統医学(中医学)のことも少しずつ、ゆっくりマイペースで学んでいる。ツボのことは、いつかブログ記事で書きたいと思っていた。書くといっても、私の浅はかな学び程度では、体中の何百ものツボについて淀みなく一気に書けるはずもなく、まずは今回、頭部のツボ【百会】について書いてみようと思う。 ちなみに「ツボ」というのは俗称で、中医学で言うところの「経穴」のこと。ツボは、気の通り路である経絡上に多数存在し、気の出入り口であるとか、神経を刺激するポイントと言われる。 ツボに関しては解明されていない部分が多いという。世界保健機関で認証されているツボは 361 カ所あるらしいけど、これはあくまでも国際機関での認証数なので、実際には人体に 800 とか、 1000 ほど存在するという説もある。そんなに沢山あるのならば、体中のどこかしらに触れれば、どこかのツボに当たると思っていい。 ほんの小さな点でも侮れないポイントになっている 百会は“万能のツボ”と言われる。 中国ドラマの時代劇モノをみたとき、瀕死の状態にある人を救う際、医師(道士)が頭の百会のツボに割と太めの鍼を打つシーンが出てきた。放っておいたらすぐに死んでしまうであろう人の、最後の砦となる治療法としてドラマでは描かれる。 頭にそこそこ太めの鍼を打つ、つまり失敗すれば当然、即死という設定だから、ドラマでは視聴者をハラハラさせて場面を盛り上げる要素になっている。一か八かの賭けとして、リスクは大き過ぎるけれど、「死から逃れるには、もうコレしかない!」という治療箇所として描かれるのが、百会のツボである。 鍼といえば、私の古い友人は昔、体調がすぐれない時よく鍼灸に通っていた。その人は、顔面周辺にしょっちゅう鍼を打ってもらっていた。さすがに現実ではドラマのような太い鍼ではなく、顔の周辺には極細の鍼を打つと言う。だから脳天にそこそこ太い鍼を打つなんて事は、時代劇ドラマを盛り上げるための誇張した設定だろう。 私は数年前、日本の獣医師さんが書いたノンフィクションの本を読んだ。その中にこんなエピソードが書かれていた。 その獣医師さんがまだ新米だった頃、勤めている動物病院に、犬猫以外のペットを連れて来られると大いに困惑したという。 犬や猫のように飼育数が多いペットならば、大抵の病気の治療法が獣医師の間で知れ渡っている。しかし犬
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