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特定のグループ内で複数の人達と過ごす時間(part.2) ~教室を立ち上げて以降、考えてきた事~

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~ 前回記事<1><2> の続き ~ <3> 異なる立場の人の集まりでは、             全体の調整にも気をつける 習い事の教室には、老若男女がいらっしゃる。私が携わっている太極拳教室でも、年齢、性別、趣向、体力面などにおいて様々な立場の方がいらっしゃる。活動していくなかでは、当然すべての方の個人的な要望が 100 %通るとは限らない。 私が運営している教室内で、数年前に、ある 60 代の参加者の方が、「“自分の好きな動作だけ”を稽古でやって欲しい。」とおっしゃった。つまり、「自分好みに稽古内容をカスタマイズして欲しい。」という要望だった。 マンツーマンレッスンであれば、このような要望に対して多少融通をきかせる事ができる。しかし複数のメンバーが集う教室では、講師側は、全員の皆様のことを考えなければならない。 太極拳の動きは習得に時間と技術を要するものなので、指導する際に、全員の稽古の進捗状況、理論の深め具合などを見極めつつ、「この型、この用語を説明するとき、どんな表現を使い、どこまで深く説明するか」等を常に考えている。 お一人お一人の動作が良い状態に向かうよう微調整していくので、誰か1人だけの好みに稽古内容をカスタマイズするというのは無理があるし、皆様の上達に必要な過程を省いて稽古を進めることはできない。 高齢の方や持病がある方は、日々の稽古で無理して欲しくない。だけど長期的には、稽古事として全員の方に成長していただく前提で練習しているので、全体の流れを調整する部分に妥協してはいけないし、妥協すれば皆様の上達を妨げることになる。 こういうとき大切なのは、やはり“対話”である。個人の要望を叶えることが困難な場合、その方に対し、「全体の流れや皆さんの進捗状況をみて稽古を進めていますので、御要望には全て添えないと思います。どうぞ御理解ください。」、…こういった内容を相手にしっかり伝えるべき。それをせず曖昧に言葉を濁したら、ご本人の為にも、みんなの為にも良くない。 指導させていただく立場として、稽古に必要な段取りを見極めながら、「今、皆様には〇〇が必要なので、まずは〇〇をしっかりやりましょう。」と、指導者としてしっかりとした方向性を打ち出さなければならない。 個人仕様にカスタマイズする事を強く要望する人に対しては、個人レッスンに移行していただくなど、可能な対応を

特定のグループ内で複数の人達と過ごす時間(part.1)~教室を立ち上げて以降、考えてきた事~

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私が太極拳の講師として初めて自分で教室を立ち上げてから、もう何年も経った。そうは言っても、たくさんの熟練の先輩方と比べたら、太極拳を学ぶ者としても、指導する立場としても、私は学ぶべきことが山積みの未熟者で、試行錯誤の日々である。 太極拳の教室では、これまで沢山の出会いがあった。 教室の参加メンバーになって下さった方々、それから出入りさせていただいているカルチャーセンターの職員さん達…。個性ある楽しい皆様方とご一緒するうち、「習い事の教室を運営していく為に大切なことは何か」、これまで様々なことを考えてきた。 「みんなで楽しみながらレベルアップしていく事について」、「人間関係を円滑に保ちつつ、全員が朗らかでいる為には何が必要か」…等々。 仲間と一緒に有意義に過ごす時間について、いま思うところを書いてみたい。 <1> 技術の向上目的オンリーでは上手くいかない 習い事というのは、人生において必須ではない。はっきり言って、習い事が無くても生活は成立する。だけど人は、精神面や体力面を補完したり、特定の分野で良い資質を得て自己を高める為に習い事に通う。 生活の中に習い事があることで、人生の豊かさは変わってくる。この2年間のコロナ禍で、私はそれを痛感している。 コロナ禍以前のように、当たり前にみんなと過ごす日々は、感染拡大によって度々休止となった。コロナ禍では、普通のことが普通にできないもどかしさがある。 たくさんの人々にとって、習い事は生き甲斐に繋がる。仕事面で隠居された御高齢の方、子供が実家を出て巣立った後の中高年の御夫婦、気晴らししたい若い世代の人、何かを学んで自分を向上させたい人、体力をつけたい人、そんな人達の単調な日々の中に習い事が1つ加わるだけで、生活に潤いや刺激が加わる。 今は、オンライン動画、リモートレッスンでも習い事が完結する時代である。しかし人は、コロナ禍で外出を控えたり、他者との会話も十分楽しめない状況が続くと、無性に人恋しくなる。生身の人間同士で交流したくなる。単独行動を好む私でさえ、さすがに3年目に突入したコロナ禍には辟易している。 どんな人でも、誰かと「共感し合いたい」と思うもの。何でもいいから「ああ、そうだね。」、「うん、うん!わかるよ~。」と、楽しく誰かと会話したい。 習い事の教室というのは、共通の趣味や目的を持つ人々が集い、共感し合える「場」を提

みなぎる活力に年齢は関係ない

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90 歳を超えても常に朗らかでいられる人 今年のお正月、実家を訪問した。そのとき私の親が話していた内容が興味深い。 70 代の親が所属する趣味のグループには、 60 代から 90 代まで様々な年齢層の人がいらっしゃるらしい。 その趣味のメンバーのうち、私の親がよく一緒に会食するという2人について聞いた。 1人は 80 代の女性。立派な方で、昔からグループのリーダー格になるような性格の人らしい(この方には、私も過去にお会いしたことがある)。 もうお一方は 90 代の女性。 90 歳を超えているけどお元気で、割とポジティブに生きている人。 お二人とも高齢なので、過去に怪我や病気の経験があり、例えば 80 代の方は膝の調子が良くないとか、 90 代の方は過去に腎臓を1つ取っているそうだ。 年齢的なことを思えば、乗り越えてきたことも多いだろうし、年々老化するのだから体はそれぞれ万全な状態ではないだろう。 私の親が、このお二方と親しく付き合う中で、日々感じていることがあるそうだ。それは、「生きる活力」という点においては、年齢の高い低いは関係ないということ。 より高齢である 90 代の人の方がいつもお元気で、幸福に満ちている雰囲気と笑顔をお持ちだそうだ。 思考や発言には人それぞれのパターンがある 私の親が、 80 代の人よりも 90 代の人から“生きる活力に満ちた印象”を強く受け取っているのはなぜか。 まず「会話の内容」にパターンがあるそうだ。 高齢になると若い頃よりも、自分の健康不安や、友人や家族の病気や死などの心配事が降りかかる。しかし 90 代の方は、普段、会話しているときに前向きな発言が多いという。 そして、自分より年下( 90 代からみた年下、つまり 60 ~ 70 代の仲間)の話題に、いつも違和感なく入ってくる、つまり性格面での柔軟さがあるという。 もし会話の内容に世代間ギャップがあったとしても、決して知ったかぶりをするでもなく、時には聞き上手になったりして、どんな会話にも上手く溶け込める対応力、発想の柔軟さがあるという。そして、他人に愚痴や泣き言の数々を訴え、まき散らすこともない。 一方の 80 代の人は、いつも他人と話す際、自分の苦労や苦痛を相手に理解して欲しくて、“求め過ぎる”傾向にあるという。 常に不安を吐露し、会話相手から「大丈夫ですよ」という言葉を引き出
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