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必要なものを取捨選択する

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無駄を捨てるまでの道筋 前回記事で、“軽さ”について考えた。では習練を積むと、なぜ軽くなるのか。それは「本当に必要なモノが何なのか」が分かり、無駄を削ぎ落とす事ができるから。無駄を削ぎ落とすことについては、再三このブログで書いてきた。 猫のごとく自分の気配を消すように、軸を定め、地面に足裏を付けて立ち、大袈裟な動きや馬鹿力を捨てる。無駄が無くなると、動きが軽くなり洗練される。動きの軽さを実現するには、自分が長い期間をかけて身に付けてきた過剰なもの、頑固なこだわり、無駄な力を捨てる。こういったことは何も太極拳の世界に限ったことではなく、いろんな分野で言えることだと思う。( 過去記事参照;書道のケースなど ) どんな分野でも、学びの初期~途中段階では、勉強して、練習して、たくさんのモノを吸収し、まるごと自分のものにできるよう、努力しながら多くの知識や技術を叩き込んでいく。 最初はとにかく地道な積み重ねが大切で、それには自主練など自分自身の努力が必要なのは勿論のこと、知識が豊富な先輩や専門書からも貪欲に学んでみる。いろんな事を吸収し、取り入れ、考えながら実際に動いてみる。そうやって何年もかけて学ぶ。 そして、かなりの年数が経ち「たくさんの事を得た」と思えたとき、やっと初めて、「では、本当に必要なものは何なのか?」の判断が付くようになる。 「自分にとって本当に必要なもの」の判断がつけば、「何が無駄なのか」もおのずと明確になる。 何年もかけて学び、たくさんの事を習得しなければ、「無駄を捨てる準備段階」に入ることはない。 その道で学んだ経験がない人、稽古や訓練が継続できなかった人には、「どれが無駄なのか」の細かい判断はできないということ。結果として取捨選択できず、余計なモノや、要らない考え、不要な動きが凝り固まって捨てられなくなり、センスが磨かれないまま過ごすという非常に勿体ない時間の使い方をしてしまう。 個性と癖は違う 学びの最中には、師や先輩方の言葉を素直に聞く思考の柔軟性も必要で、経験が浅く必要なものをまだ取捨選択できない人が、もし自分の知識をひけらかそうとするなら、プライドが邪魔をして伸び悩むことになる。 間違いなく言えることは、「何も学ばない先に、熟達はあり得ない」ということ。もともと持っている器用さは、最初の短期間だけしか通用しない。 どんな分野でも、柔軟な態度で学

人は軽くなる

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浮き上がらないのに自分が軽くなる感覚 響きの良い言葉がある。「軽霊」、軽いこと。太極拳の動作の際、軽さを実現する。 ただし単純に軽いだけでは駄目で、姿勢の要求、スムーズな動き、ゆったりした呼吸などが伴った上での軽快さ。いきんだり力強く反動をつけたりせず、安定した柔らかな自然な動きで自在に動ける軽やかさ。柔軟性があり体中の気血の巡りが良く、自分の内と外の両方が適度に緩みを帯び、硬直しない状態で動く。 誤解してはならないのは、軽くなるといっても、わざと上にジャンプしたり浮き上がる訳ではない。初心者の方にはまだこの感覚がつかめず、慣れない間は、動作中、足裏に体重がしっかり乗らず、何とかしてバランスを取ろうと、動きながら上へ上へと浮き上がろうとする人が出てきてしまう。伸び上がろうと頑張ってしまえば、はたから見てもその人に余裕が無いのが伝わる。 上に伸び上がろう、浮き上がろうして肩や首に硬直した力が入ると、足裏の安定感は途端に無くなる。だから不自然に伸び上がる癖をつけないよう、時間をかけて動きを修正しなければならない。「無駄な力を入れない安定感」が実現するまでには年数がかかる。型を稽古する回数を増やし、何回も何回も、動きと姿勢を調整しながらやってみる。 長い年数を経て行きつく先は軽さ 長い間、真面目にセオリーに忠実な稽古を続けていくと、やがて心も体も軽くなり、自由自在に、悩むことなく、戸惑うことなく、本能的に動けるようになる。上達すればするほど心身は軽くなり、行き着く先の理想の姿は、脳内が空っぽに近い状態で、我を消してスルスルと動ける状態。 反復練習した結果、動きは体に染み込んでいるので、深く考えなくても体は感覚的に動く。そうなったとき「自分は軽い」と思える。さらに功が進めば、もう軽いということさえ意識下にないほど、思考を巡らすことなく体を自在にコントロールできる。私自身まだ十分それができていないので、いつか老いてからでも、その感覚を得られるレベルに行きたいと思う。 慣れない人、まだ自信がない人は、1つか2つの型を何百回も稽古してみる。長い套路を最初から通して、毎回すべてを全力で頑張ることばかりが良い稽古ではない。「数多くの型を広くやりたい」とか、「早くカッコよく技を体で表現したい」とか、それも良いけれど、でも最初から欲張って焦ったりすると、気が分散し、どの動きも中途半端にな

加算されていくのは時間と技術と知識

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太極拳の動きは、馬鹿力を使わず省力化、効率化した動きで無駄がない。そんなことを幾度となく、このブログで書いてきた。 世のレベルが高い先生方は、とてつもなく長い間、習練を積んでこられたわけで、当然のように動きが繊細で、不要な大袈裟な動きは無く、わざと格好つける様なことも無く、それでいて自然に格好良さがにじみ出ており独特の風格があるもの。それは間違いなく、長年の努力の積み重ねの賜物だと想像する。 私などはまだまだ、その域にはほど遠く、「あと何十年かかるのだろう…」と遠い目になる。 稽古を始めたばかりの初心者の方なら尚のこと、最初はまったく上手くいかない。 他人の動作を見るだけなら簡単そうに見えるのだけど、自分で実際に動いてみると、柔らかく良い姿勢で動くことは最初なかなかできない。大抵の人が無駄に力を込めたり、なぜか不要な動作まで入れてしまう。 特に手の動きについては、不必要に大きく広げ過ぎたり、肘に力を入れ過ぎてピンと張ってしまう初心者の方が多い。勿論、私も初心者の頃は力んでしまっていた。この段階は誰もが通る道なので、悩んだりせず、気長に構え、夢中になって稽古しながら楽しめばいい。 どんな人だって真面目に練習を重ねていけば、硬直化した状態からいつか抜け出せる。老若男女関係なく、誰もが時間をかけて取り組めば、歩法、手の広げ方、胴体の保ち方など、柔らかくて効率的な動かし方が習得できる。適度なチカラ加減へと変化し、迷いなく動けるようになっていく。 必要な「練習の段階」を経ること 余計な筋力を使わず、むやみに格好つけた動きをしない分、太極拳の動きは極シンプル。動画サイトなどで熟達した名人レベルの中国の方の動きを探して観てみると、拍子抜けするほど動作が“普通っぽく”感じられ、凄いものを見せてもらっているという感覚は意外と無い。 名人レベルの人の動きには無駄がなく、効率よく、大袈裟な動作が無い為、かえって拍子抜けするくらいアッサリとした印象を受ける。実はそのアッサリした動きの中に技巧が隠されており、凡人や初心者にはできない動きだったりする。 本当にレベルが高い人の動きは力みが無く、無為自然の境地を地で行くような柔らかな印象である。太極拳を数年稽古している人がこういった動画を観れば、名人レベルの人の動きはやっぱり凄いなと解るのだけど、太極拳をやった事がない人や初心者の方が観ても、きっ
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