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駄目な自分…ダラける自分…言い訳する自分。…それも自分。

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心を整えて太極拳の動作を無心になるほどやっていけば、やはり気持ちが良い。とはいえ、私も人間なので、いつも同じテンションをキープできない。時にはダラけたり、逆に、やる気が出て欲張りになったりと、その時々によって心持ちはいろいろだ。 欲張りになるというのは、妙にやる気が出るとき。例えば、棒術でレベルの高い人の素晴らしい動きをみた後に、「自分も、ああいう事をやってみたい!」、「ああいう套路を格好良くやってみたいな。」、「あんな技を綺麗にやってみたい。」と、欲にかられる瞬間がある。 逆に、ダラける瞬間というのは、最近のような酷暑が続くとき、何もしたくなくなるとか、他の事で忙しい時期に、稽古の場所へ向かう事がちょっと億劫になる…等。普通に生活していれば、1年中やる気に満ちている…なんて事はなく、テンションが下がり気味のときもある。 実際には稽古は好きだから、猛暑で稽古の場へ向かうまでが億劫なだけで、現場へ行き、みんなで体を動かせばスッキリする。そして、「来て良かった~」と思う。でも、そこに至る前の段階で、どうしても億劫に感じるときはある。 悲しいかな、とにかく中年になって痛感しているのは、若い頃よりも体力や処理能力が落ちているという事実。昔の自分は、1日のなかで聖徳太子ばりに複数のことを同時並行でやってのけた。短時間で複数の事を、次々と涼しい顔でやってのけたものだった。会社員時代は、連日、猛烈に仕事を頑張る事もできた。 でも今は、中年になって疲れやすくなり、いつも「いかに手を抜いて楽をするか」という事ばかり考えてしまう。家事の手抜きは勿論のこと、今現在、請け負っている作業についても、若い頃の自分ならば「もっと時間をかけて内容を追求するぞ!」という感じだったのに。 最近は「まぁ、今回はこのくらいにしとこうかな。疲れてきて頭が回らなくなってきた…」という具合。「落としどころを早く決めて、早く終わらせたい」と、終わらせて楽になる事ばかり考えてしまう。 これが中年の悲哀というか、老年期に入る前段階の、疲れが抜けにくくなった人間の現実なのだろう。 思えば、私は少し前から、スケジュールの濃密さを避けるようになった。そして、どんな事に対しても、かける時間をなるべく短くしたいと思うようになった。以前は連日、何かしらの予定でスケジュールがいっぱいに埋まっていたのだけど、最近はスケジュールがパン...

気沈丹田を意識する利点は何だろう?(Part.2)

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貯蔵した気は、軽快に動くための動力源 太極拳の攻防の動きは、相手と接している前提のものであり、1人で套路をやっていても、それは相手との攻防をシミュレーションしているに過ぎない。本来、相手と対峙するとき、興奮状態にあってはならない。興奮状態にある人は、全身が強張って力がみなぎり、繊細な感覚が鈍る。相手と自分の状態を冷静に察する事ができない。 丹田に気を下ろす意識を持つことで、心身の安定感が保たれ、頭に血が上るような、のぼせた状態は避けられる。相手との攻防など一切意識せず、健康法として套路のみを励行する人も、興奮状態で動けば気持ちよく運動できない。興奮と緊張で硬い動きになれば、血圧も上がり、筋肉疲労も溜まり、体内の老廃物を上手く流せない。 気の概念からすると、 臍下丹田あたりは気が満ちている場所(気海) であり、スムーズに動く為には、満ちた気をそこから全身に運ぶイメージを持つと良い。そうすると筋肉に無駄な力が入りにくく、心が 落ち着く。 さらに太極拳の分野では、気を「旗振り役」とみなす事がある。温存している人体内の気を、意識を集中しながら、必要に応じて人体の中で巡らす。そうする事で、気はヒトの活動を促す為の「旗振り役」となり、太極拳の攻防において勁の誘導役となる。ちなみに太極拳に関連する昔の理論書の中には、「氣為旗(気は旗をなす)」という味わい深い言い回しがある。 太極拳に関わる昔々の理論書をいろいろ読んでいくと、おもしろい表現によく出くわす。気が沸き立つ…とか、気が鼓蕩する…等々。 十三勢行功歌という、武術の鍛錬の要領についてうたった古くからの歌訣がある。この歌訣は、現在、我々太極拳愛好家の学びとなるバイブルの中の1つでもある。 十三勢行功歌の中に、 「刻刻留心在腰間 腹内鬆静気騰然」 というフレーズがある。大雑把ではあるが自分なりに意訳してみると、大体こんな感じ。「随時、腰のあたりに心を留めて、 腹内を力ませずに柔軟にし(鬆静)、腹内にある気が沸き巡るようになる(氣騰然)」。 ただし、 太極拳の攻防において、気はいったん背骨あたりに収める…という考え方がある。むやみに沸き立たせて気を方々へ散らしては勁を誘導できないわけで、攻防の技に気を活用するには、浪費せずに大切に収めて上手く運行させる必要があるだろう。太極拳初心者の方がこのイメージを体現できるか?と言われれば、で...

気沈丹田を意識する利点は何だろう?(Part.1)

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いろんな太極拳流派はあれど、「気沈丹田」という言葉は、多くの太極拳愛好者が念頭に置いて稽古するものだと思う。丹田とは実体が無く、概念でしかないが、人体に3箇所あると考えられている。上丹田は頭部。中丹田は胸部にある。そして下丹田は臍の下で、臍下丹田と言われる。臍の下は、気沈丹田で気を沈めるところ( 過去記事参照 )。 丹田は、物体としては存在しないけれど、あたかも実体あるものの様にイメージすれば、動作時のバランスが整い、心も落ち着く。太極拳のほかにも、いろんな武道などで、気を臍下丹田あたりに沈める意識を持つ事はあると思う。拙いながら、気沈丹田について、今の自分なりに考えた事などを書いてみようと思う。 気沈丹田は、健康に寄与する 呼吸法が体に良い事は、一般的に知られている。白隠禅師は、丹田呼吸法で心身を整え、禅病を克服した( 過去記事参照 )。 「白隠禅師—健康法と逸話(直木公彦著)」 という書籍がある。そこには「気海丹田式の呼吸」とか、「元気を下腹部に満たす」などのフレーズが出てくるので興味深い。白隠禅師は、丹田呼吸法を実践し、健康を回復したという。 ただし丹田呼吸法については、現在、呼吸法を実践するグループ、人によって、解釈や方法が微妙に異なっている。「単に丹田を意識して深い呼吸をする事」をそう呼ぶ人もいるし、「丹田の周辺を柔軟にして気を巡らせ、逆複式呼吸をする事」をそのように呼ぶ人もいる。 呼吸法にもいろいろあり、息を止めずに吸ったり吐いたりする方法もあれば、吸ったあと数秒間止めてから吐く、という方法もある。白隠さんは、いったん止めて吐くやり方を実践していたようだ。どんな呼吸法も、無理せず、リラックスして深い呼吸をする事で、横隔膜の可動域は拡がり、気血の巡りが促され、内臓マッサージ効果が得られる。 もし胴体内のインナーマッスルに硬直があり、いわゆる呼吸筋が伸びやかに動かない場合、浅い呼吸になり、内臓を宿す腹腔内の循環が悪くなる。横隔膜の動きは妨げられ、充分に効率的なガス交換ができなくなり、内臓マッサージ効果も薄れる。 胴体内の筋肉に深い呼吸を促す柔軟性があれば、体中の巡りは良くなり、流動的なエネルギー変換が可能となる。太極拳の稽古では、首や胴まわりを含む体内の筋肉をすべて硬直させず、柔軟に保つ。そして気沈丹田を意識し、心身を安定させ、ゆっくり呼吸しながら動く。太極...
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