投稿

「年齢的なものですねぇ~」を受け入れる

イメージ
久しぶりの眼科受診 どんなに運動をして健康維持に努めても、歯と眼には代替品が無い。いや、歯に関してはインプラントや入れ歯がある。目玉に関しては、取り出して丸ごと取り替えるわけにはいかない。将来は、医療技術が発展し、眼球の機能すべてが完全な形で再生され、「目玉交換・日帰り手術可」みたいな事になるのかもしれないけど…。 私は 、これまで眼に関しては大きな病気がなく、近眼はあるけど矯正などもせず、普通に生活できている。ただ、昔から飛蚊症がある。飛蚊症歴は長いので、空を見たり、白い壁を見たときに黒いモヤモヤが少し横切って見える。 今年に入ってから、何だか黒いモヤモヤが増えたような気がした。重病でもないし大丈夫だろう…と思いつつ、「いや待てよ。もし緑内障の始まりとかだったら怖いな…」と思い、今年、何年かぶりに眼科に行った。 久々の眼科受診だったので、一通り、検査を受けた。眼圧検査もしてもらった。空気をふぁっと吹きかけられ、一瞬で終わる検査。一瞬でよく検査できるなぁ、と拍子抜けする感じだった。病院では、「視力もそう悪くなっていないし、問題ないです」と言われた。 気になる飛蚊症の悪化について、医師によく相談したところ、瞳孔を開くための目薬をした後、私の眼をよく診てくださった。先生が私の眼に光を当てて、何やら覗き込んでいた。診察結果は、「大丈夫。全く問題ないですよ。飛蚊症が気になるかもしれないけど、これは年齢的なものです。」で終わった。 重大な病気が無く、緑内障でも無く、とりあえず良かった!と思いつつ、「年齢的なもの」という言葉が心に残った。40歳を過ぎたあたりから、健康診断などで言われるようになった言葉だ。 以前、乳がん検診を受けたときも言われた。「加齢と共に、こういう画像になるんですよ」と。乳腺組織の密度が年齢とともに変わっていくらしいので、乳腺の画像診断では、若い世代と中年以上とで見え方が変わるらしい。 私は今、中年世代で、未だ高齢者に達していないので、「加齢のせい」と言われる事に抵抗感がある。心の中で、「いや~、まだ加齢と言われるほどの年齢では~…」と、ささやかな抵抗を感じる。でも、現実に若くはない。健康診断などの際に、「はぁ、そうですか。大きな病気は無く、年のせいなんですね…」と大人しく納得して帰るしかない。やはり、そういう年齢になったんだなぁ、と思う。 中途半端な世代と...

太極拳は最強の滋養強壮剤

イメージ
前回のブログ記事で、その頃、猛暑にまいっていた私は、中年の悲哀をダラダラと綴ってしまった。悲しいかな、それが本来の自分でもある。 人は常にポジティブでいられない。おそらく私の教室へ通って下さっている方は、私の事を、きっと「いつも張り切って指導している」と思って下さっているだろう。それは、自分が学んできた事を人へ伝えていくに際して、「きちんとしなければ…」という想いがあるから。参加者の皆様が、わざわざ足を運んで下さるのだから、当然、私の責務として、指導する立場のときは気を抜かない様にしている。 また、参加者の中には難聴気味の高齢の方もおられるので、教室では小声でボソボソしゃべらず、できるだけ部屋中に通る声で説明するように意識している。そのせいで、他人から見れば、張り切って、室内中に通る声で、颯爽と指導している人に見えるかもしれない。 でも普段の私は真逆で、本当は、かなり陰寄りのキャラクターだ。面白いことは好きだけど、どんちゃん騒ぎは苦手。普段は、できるだけ人に会わず、引き籠っていたい。できる限り1人で過ごしたい。おまけに、いつも血圧が低い。 そんな自分の陰な部分を少しでも上昇気流に乗せるためには、社会的な役割を失わず、何らかの活動を継続しなければならない。私のような陰のキャラクターの人間は、日々の任務が無いと、無気力になって衰えてしまう。何とか快活に生きていくために、社会性を失わないよう気を付けようと思う。要はバランスだ。 陰寄りな自分は、日々の無気力な感覚や不調を跳ね除け、気を養うためにも、太極拳や気功などを継続している。健康法として太極拳を継続している人は、私がそうである様に、案外、疲れやすい人が多く、気力増進のためにやっている人は多いだろう。 私の中で太極拳というのは、弱い自分の心と体を、何とか健やかに保つための滋養強壮剤のようなものだ。これから先、老いが待っている人生をどうやって過ごすか。そこに太極拳という最強の滋養強壮剤がある。そう思えば、なかなか心強い。 中国で有名な昔の武術家の中にも、体力と気力を養うためにスタートした人はいらっしゃるようだ。元々虚弱体質だったとか、若い頃、重い病気にかかってしまい、健康回復のために太極拳などの中国武術を始め、長く継続して、結果的に健康を回復して長生きしたとか、そういう人はいらっしゃる。 私の場合、当然のことながら、昔の達...

駄目な自分…ダラける自分…言い訳する自分。…それも自分。

イメージ
心を整えて太極拳の動作を無心になるほどやっていけば、やはり気持ちが良い。とはいえ、私も人間なので、いつも同じテンションをキープできない。時にはダラけたり、逆に、やる気が出て欲張りになったりと、その時々によって心持ちはいろいろだ。 欲張りになるというのは、妙にやる気が出るとき。例えば、棒術でレベルの高い人の素晴らしい動きをみた後に、「自分も、ああいう事をやってみたい!」、「ああいう套路を格好良くやってみたいな。」、「あんな技を綺麗にやってみたい。」と、欲にかられる瞬間がある。 逆に、ダラける瞬間というのは、最近のような酷暑が続くとき、何もしたくなくなるとか、他の事で忙しい時期に、稽古の場所へ向かう事がちょっと億劫になる…等。普通に生活していれば、1年中やる気に満ちている…なんて事はなく、テンションが下がり気味のときもある。 実際には稽古は好きだから、猛暑で稽古の場へ向かうまでが億劫なだけで、現場へ行き、みんなで体を動かせばスッキリする。そして、「来て良かった~」と思う。でも、そこに至る前の段階で、どうしても億劫に感じるときはある。 悲しいかな、とにかく中年になって痛感しているのは、若い頃よりも体力や処理能力が落ちているという事実。昔の自分は、1日のなかで聖徳太子ばりに複数のことを同時並行でやってのけた。短時間で複数の事を、次々と涼しい顔でやってのけたものだった。会社員時代は、連日、猛烈に仕事を頑張る事もできた。 でも今は、中年になって疲れやすくなり、いつも「いかに手を抜いて楽をするか」という事ばかり考えてしまう。家事の手抜きは勿論のこと、今現在、請け負っている作業についても、若い頃の自分ならば「もっと時間をかけて内容を追求するぞ!」という感じだったのに。 最近は「まぁ、今回はこのくらいにしとこうかな。疲れてきて頭が回らなくなってきた…」という具合。「落としどころを早く決めて、早く終わらせたい」と、終わらせて楽になる事ばかり考えてしまう。 これが中年の悲哀というか、老年期に入る前段階の、疲れが抜けにくくなった人間の現実なのだろう。 思えば、私は少し前から、スケジュールの濃密さを避けるようになった。そして、どんな事に対しても、かける時間をなるべく短くしたいと思うようになった。以前は連日、何かしらの予定でスケジュールがいっぱいに埋まっていたのだけど、最近はスケジュールがパン...
随筆太極拳 - にほんブログ村

↓ Amazonサイト《太極拳》関連商品