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それ正解!…と思うとき

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「太極拳の動きって、やればやるほど難しくなります~!」、教室に来てくださる方から時折、そんな言葉を聞いたとき、私はちょっと嬉しい。そうなんです、そうなんですよね~!、と応える。心の中ですごく共感し、それ正解!…と思ってしまう。 難しくなっていくと感じるのは、その人の成長の証でもある。稽古を始めたばかりの、「ワケの分からない状態で、やみくもに動いている段階」から脱したという事だから。 誰だって、慣れないうちは、ああでもない、こうでもない、と悩みながら、先生や先輩の動きをまねて動いてみる。それを続けていけば、徐々に上達するのだけど、本人の感覚としては、上達するどころか、「できない!」と思える部分は増えていって、だんだん難しくなる。 難しくなる理由は、具体的に「自分のどんなところが上手くいってないのか?」が、やればやるほど鮮明になるから。 逆に言えば、いくらやっても「徐々に難しくなっていかない人」は、残念ながら、なかなか伸びないもの。 過去には、こんな方もいらっしゃった。初期の経験段階だったのにも関わらず、「この動き。何度かやっただけで、もう完璧にできました!」と言った人がおられた。私は驚いてしまい、心の中で、そんなはずが無い…と思った。しかし、あからさまに相手を否定すれば、その人のやる気を削いだり、自尊心を傷つける事になるので、ダイレクトに「違う、そんなものではないよ」とは、相手に告げなかった。あくまでも、その人の、その時の感覚でおっしゃった事でもあるのだから。 私自身が実体験で言える事といえば、誰もが10年以上かかって、動きや精神状態を繊細に整えていく分野なのに、半年や1年で”完璧”にできるわけがないという事。 「動作の順番を追う事はできる」、それは完璧という事ではない。姿勢にしても、体のすべての筋肉の力の入れ加減にしても、心の持ち様にしても、どれをとっても難しく、たとえ稽古を10年近くやってきた人でも、微妙なさじ加減は上手くいかない。 こういうのも、 書道に似ている と思っている。例えば、筆で漢字の「二」を書くとき。上手く書くには、何十枚も、何百枚も、同じ線を繰り返して書く。 漢字の「二」の1つの線を書くとき、最初と最後の筆の運び、腕の傾き具合などには、技術が必要だ。 単純で簡単な、画数の少ない文字ほど、如実に実力が現れるもの。 下の線を書くとき、最後に半紙から筆が...

リアルと幻の狭間

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自分の体を目ではなく感覚でみる 自分の目で普段、見ているものはクリアではなく、外界の100%リアルな景色ではない。よく言われるのは、特に緑内障などの視覚の病を持っている人の場合、片方の目の見えづらい部分を、もう片方の目の見え方でカバーする事がある。もう片方の目というより、脳が、より視界がクリアに見えるよう、景色を補正してくれるという。 病ではなくても視力の問題などの面から、多かれ少なかれ、こういう現象はあるようだ。現実に自分が目で見ているものと、実際のリアルは別物。自分の体の内側だけが見えないのではなく、自分の体の表面も、そして自分を取り囲んでいる物や景色も、実際には100%正しく見えていないのかもしれない。 ところで、”だまし絵”などは、ヒトの錯覚を上手く利用してあるなと感心する。現実そのものでは無い状態に見えてしまう。絵に限らず、現実には有り得ない構造の物が、まるで実態ある物のように見えてしまう事がある。また、見ている対象物と自分との距離や角度、周囲の物体との位置関係によっても、補正する機能が働いて、見え方に微妙な誤差や変化が起こる事もある。 それから、これは別次元の話になるけれど、病によって幻覚が見える人もいて、誰もいないのに誰かが見えたり、そこに無いはずのものが見えたり、という事があるらしい。これも目の問題ではなく、脳の伝達物質が関係して起こる現象だそうだ。 ところで、過去に 本ブログの別記事 で、こんな事を書いた。 → 【人が、目視だけで何かを正確に覚えるのには限界がある。初心者の方が多い稽古場では、よくこんな事が起こる。その場にいる全員が、同じものを参考に見て、同時に同じ動作をしても、Aさんの腕は少々上がり過ぎ、Bさんの腕は横に張りだし気味になってしまう…等々。目で見たことを、寸分たがわず再現できる人など、滅多にいないのだ。だから指導者がそばにいて、体に触れ、説明を加えながら手直しすることが必要になる。】 …これは、太極拳の稽古あるあるだ。 全員が、手本になる同じ人の動作を見て、いわゆる見取り稽古をしても、再現する動きは人によって微妙に違う。つまり、多くのヒトは、他人の動作を参考に真似ても、瞬時に100%正確には捉えられず、自分の動きを制御できない事がある。 リアルとは違う”誤差”が出る理由は様々だろう。前述した脳の補正機能のせいかもしれない。あるいは、...

「年齢的なものですねぇ~」を受け入れる

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久しぶりの眼科受診 どんなに運動をして健康維持に努めても、歯と眼には代替品が無い。いや、歯に関してはインプラントや入れ歯がある。目玉に関しては、取り出して丸ごと取り替えるわけにはいかない。将来は、医療技術が発展し、眼球の機能すべてが完全な形で再生され、「目玉交換・日帰り手術可」みたいな事になるのかもしれないけど…。 私は 、これまで眼に関しては大きな病気がなく、近眼はあるけど矯正などもせず、普通に生活できている。ただ、昔から飛蚊症がある。飛蚊症歴は長いので、空を見たり、白い壁を見たときに黒いモヤモヤが少し横切って見える。 今年に入ってから、何だか黒いモヤモヤが増えたような気がした。重病でもないし大丈夫だろう…と思いつつ、「いや待てよ。もし緑内障の始まりとかだったら怖いな…」と思い、今年、何年かぶりに眼科に行った。 久々の眼科受診だったので、一通り、検査を受けた。眼圧検査もしてもらった。空気をふぁっと吹きかけられ、一瞬で終わる検査。一瞬でよく検査できるなぁ、と拍子抜けする感じだった。病院では、「視力もそう悪くなっていないし、問題ないです」と言われた。 気になる飛蚊症の悪化について、医師によく相談したところ、瞳孔を開くための目薬をした後、私の眼をよく診てくださった。先生が私の眼に光を当てて、何やら覗き込んでいた。診察結果は、「大丈夫。全く問題ないですよ。飛蚊症が気になるかもしれないけど、これは年齢的なものです。」で終わった。 重大な病気が無く、緑内障でも無く、とりあえず良かった!と思いつつ、「年齢的なもの」という言葉が心に残った。40歳を過ぎたあたりから、健康診断などで言われるようになった言葉だ。 以前、乳がん検診を受けたときも言われた。「加齢と共に、こういう画像になるんですよ」と。乳腺組織の密度が年齢とともに変わっていくらしいので、乳腺の画像診断では、若い世代と中年以上とで見え方が変わるらしい。 私は今、中年世代で、未だ高齢者に達していないので、「加齢のせい」と言われる事に抵抗感がある。心の中で、「いや~、まだ加齢と言われるほどの年齢では~…」と、ささやかな抵抗を感じる。でも、現実に若くはない。健康診断などの際に、「はぁ、そうですか。大きな病気は無く、年のせいなんですね…」と大人しく納得して帰るしかない。やはり、そういう年齢になったんだなぁ、と思う。 中途半端な世代と...
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