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今日は、ユネスコが設定した「国際太極拳の日」

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今日は国際太極拳の日…、という事で、改めて、太極拳の魅力について語ろうと思う。 昔の武術家の残した文献などをみれば、深い哲学的なワードに触れる事ができるので、太極拳はただの運動ではなく、「生物としての生き方そのものを学ぶ学習」とも言える。学んでいく事に、大いに楽しめる要素がある。 実際に相手と組んでいない場合でも、例えば理論を学んだり、1人で動く套路の中にも、学びの意義は見出せる。特有の感覚をもって継続する事は楽しく、また奥が深く、学びの底なし沼にはまって抜け出せなくなる。 夢中になって動いていれば、日常の嫌な事をかなり忘れる。理論を学べば、それが古代の哲学や、伝統医学、道教などの分野について少しばかり知る事に繋がり、興味は薄れる事が無い。 そういうところ、全てひっくるめて、すべてが太極拳の魅力。推手には推手で得られる感覚があり、套路には套路で感じられる心と体の安定や感覚があり、そして理論の勉強には、ヒトの感性を磨く要素がいっぱいだ。 中医学や哲学のような、独特の古来からの教えが太極拳理論には内包されているので、そこを、「どうやって理解していくのか?」、「言葉の解釈はどうやったら良いか?」、「自分の動きと、それが、どうリンクするか?」、そんな事を考えれば、やはり難しい事もあるので、果てしなく自分が小さく見える。そこがまた深くて面白い。 様々な武術理論には、そういう諸々の中身、教えが表現されている。ちょっとした生きるヒントにも繋がるから面白い。理論を味わう事で、太極拳そのものの事だけではなく、自分の日常生活や、体の中を意識する事に対し、いろんな気づきがある。 日常生活の中で、 ・自分は「緊張し、こわばった状態」で生活していないだろうか? ・人間関係を築くときに、過剰に気を張って、常に目をギラつかせて異様な戦闘態勢に入っていないだろうか? ・心に余裕が無くなり、ストレスを溜め、最適なパフォーマンスを発揮できていないのではないか? ・できる事を勝手に「できない判定」して、日々の積み重ねをサボってないか? …等々。太極拳の理論を学ぶと、そういう事にも気づかせてもらえる。 相手のみならず、自分自身を知る為に必要な事は、動きの訓練だけでは無い。太極拳の背景にある理論を学び、読み解き、知る事も重要だと思っている。太極拳は、中国の悠久の歴史の中から育まれたもの。 太極拳の動きを継続...

站樁功

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姿勢を繊細に整えていく 太極拳の初心者の方が、もし指導者の動きを見るのみ、みようみまねだけで套路の順番を覚えてしまえば、細やかな姿勢の要領などは掴めず、沈勢なども意識されず、妙な踊りみたいな誤った動きになりがち。やはり、指導者から詳しい説明と手ほどきを受け、動きを整えていく方が良い。勿論、動画やリモートではなく、そばで指導を受ける方が断然良い。 どんな分野でも、始めはまずシンプルな基礎訓練をやって、その後、長年の経験を経て、年月が経過してから、自然にその人の持ち味が滲み出てくる。まずは個性を消す。地味に基礎訓練に集中した方が良い。 書道なら、最初は、縦線、横線、はらい、止めなどを何度も、そればかり練習する。ピアノも、簡単で単調な曲や、指の基礎練習から始め、年数が経って慣れてきたら、徐々に難しい曲にチャレンジする。 太極拳の場合、まず大切なのは、地味に立つだけの訓練を続ける事。こういった分野を学んでいる人には必須であり、また周知の基礎訓練で、「站樁功」、または「立禅」とも言う。ちなみに 樁の 漢字は間違いやすい 。(椿ではない。) 「站樁功」、または「立禅」。両者の要領は似ているけれど、厳密には違う。立禅は和製の感が強く、站樁功と同様のものと見なすケースもあるけど、全くイコールでは無い。類似点をあげるとすれば、いずれも正しい姿勢と精神状態で続ける事ができれば、心が澄み、やや入静状態となり、己の心身を深く理解する手立てになる。 滅茶苦茶ダラけた姿勢で行っては無意味であり、繊細に姿勢を整えてから行うもの。関節の緩め加減や、骨盤の据え方、胴体や両手足の配置なども、整えてから行う。 なかには、「何も細かい事を調整せず、ただ単に立ち続ける」というやり方もある。しかし、行う各武術などに適した心の状態や姿勢をつくる、という意味では、整えるべき箇所は複数に及ぶ。繊細さも求められる。 もし不自然な姿勢で、ぞんざいに姿勢を整えずに立てば、無駄な力みが出て、自分の内外の調整には繋がらない。 稽古開始から間もない慣れない人は、この「杭のように立ち続ける姿勢」に、しんどさを感じてしまう。でも要領をきちんと学び、姿勢を整え、何度も取り組んで慣れていけば、疲れなくなるし、立ち続ける時間が心地良くなってくる。 初心者の方は、やはり指導者に細かい姿勢の要領を見てもらう方が良い。慣れてくると、 心身とも...

”推し”は李亦畲(心に残る先人のエピソード)

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私みたいな、何においても大成してない人間であっても、李亦畲の武術研究への姿勢には大いに共感する。また、大いに感銘を受ける。李亦畲は、昔々の武術家であり、探求心が強くて有能な武術研究者でもあった人。 彼は、武禹襄の弟子だ。武禹襄は、太極拳愛好者ならよく耳にする名前で、太極拳理論の大家とも言える人。その武禹襄の弟子(甥でもある)が李亦畲だ。現代の太極拳の分野では、あまりにも武禹襄がメジャーなので、武禹襄の名声の陰に隠れて李亦畲の名は霞んでしまいがち。太極拳愛好者でも、この人物を知らない人がいるかもしれない。太極拳に縁のない人なら、なおのこと聞いた事も無い名だろう。 現在の太極拳理論の分野で有名な武禹襄の影には必ず李亦畲がおり、彼がいなければ武禹襄の功績が明るみになる事はなかったと言える。今現在の太極拳の分野では、王宗岳と武禹襄は理論の権威とも言える目立つ存在で、論述においては二大巨頭みたいなもの。しかし、やはり武禹襄の存在だけでは成し得なかった事を李亦畲はやっていたと思う。彼がいなければ、彼の残した記録がなければ、有名な王宗岳太極拳論も、武禹襄太極拳論も、私達の目に触れる事はなかったかもしれない。 だから、この李亦畲という人こそが、私達のような太極拳愛好者が学ぶ理論のベースを築いてくれたと言っても過言ではない、私はそう思う。彼は、師匠の武禹襄と並んで、太極拳理論を語る上では欠かせない重要人物だ。 武禹襄も李亦畲も、功績を残そうとして技の研究を行っていたわけではない。純粋に好きな武術の技を突き詰めながら過ごし、また王宗岳の理論に影響を受け、理論と実践をひたすら追求してきた人達だ。 ネットなんかで、王宗岳が自分で太極拳論を公開し、王宗岳が太極拳を普及させた、という記述を見た事があるけど、そうではない。太極拳普及の裏には、過去、様々な人がいて、その中の一人が楊露禅であったり、彼の息子達であったり、それから武禹襄、李亦畲、李亦畲から学んだ郝為真など武式門派から出た人々の存在も大きい。 過去の武禹襄や李亦畲の理論を記録したものは、もともと弟子や親族に託されたものであり、武禹襄と李亦畲が世間に向けて公開した事などない。二人とも、後世の太極拳の分野に名を残そうとか、偉くなろうとか、大きな功績を残そうとなどと考えていたわけではない。 ただ一緒に、武術の技の研究に邁進していた。純粋に好き...

「分かるようで分からない」が延々と続く

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難しいから飽きる事なく学べる 太極拳套路も、推手も、それぞれの面白味があり、どちらも真剣に学べば難しい。だから飽きる事なく、その気があれば一生続けていける。 套路も、推手も、皮膚感覚や脳内の感覚など、体中のすべてを総動員し、繊細に機能させて動く。套路における独特の丸みをおびた動きの中にも一線の流れがある。套路の中の攻防の原理を直接、相手に触れて体感できるのが推手訓練で、これまた難しく、学びは延々と尽きない。また、推手と言っても、私は経験ないけれど競技用や表演向けのものもある。愛好する人によって、その方法はいろいろだ。 套路については、健康法として行う高齢者の方は多い。その人達も難しさを感じておられる。最初はまったく自分の動きが制御できないからだ。それでも1年以上経つと、徐々に良い変化が表れる。高年齢でスタートした方も、動きに慣れていけば、しなやかな良い動きへと徐々に変化していく。 太極拳は中国武術なので、当然、攻防の原理がそこに存在していて、相手と接触している中で攻防が展開される。やはり特徴的なのは、まろやかな円の動き。相手に貼りつく感覚と、互いの円の動きの中で動作は展開する。 攻撃と防御の「直線的な境界線」が分かりづらく、相手が体勢を崩せば自分の攻撃が成された事となる。推手では、ヒヨッコの私には、ただ動くこと自体も難しい。本当にレベルが高い先輩達の中には、計算づくで、感覚的に、思いのままに動く事ができる人もいる。ヒヨッコレベルの私などは、はるかに高いレベルの先輩方の自在なコントロールを見れば、素直に、おぉ~凄い!と思う。 対錬の場合、相手が押してきたときは自分の防御のときだけど、そんな単純な図式ばかりでは無く、防御と攻撃がほぼ混在して展開するような瞬間もあるわけで…。結局「いつ」が「何の瞬間」なのか分かりづらい。接触して動いていく中で、「ここが起点」、「ここが終着点」「どこまでが攻撃」、「どこまでが防御」という、線や点のクッキリした境目が見えない。 円動作で連なり、相手に延々と粘着して動いていくのが太極拳の動き。まろやかな円の動きの中に、いつのまにか線状の流れが現れたりする。そのような単純明快過ぎないところが奥深くて興味深い。 当たり前だけど、相手がいれば自分本位で動けず、体のコントロールが難しい。套路は良くも悪くも、自分本位で動こうと思えば、どんなふうにでも動け...

言葉を発する場合

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学び続ける理由 野球選手では無いのでプロもアマも無いけれど、意識の上では、太極拳を教える側は、”プロ意識”を持っておいた方が良いと思っている。プロ意識が持てなくても、せめてセミプロ意識くらいは、指導者ならば持っておきたい。 高いレベルにはない私なんかでも、稽古の場では、太極拳の指導者として、専門知識を持つ者として、皆様の前に立っている。だから、その分野について、常に勉強を続ける。 もし自分が曖昧な知識しか持たず、人に対し、学ぶべき内容をしっかり伝える事ができないなら、教える立場を継続する事なんてできない。勉強を継続せず、現状維持のまま、他人に貴重な時間を費やしてもらう事はできない。 稽古に来てくださる皆様も、年数が経てば上達していく。もし指導者が怠慢だったら、説明する言葉に説得力は無くなっていくので、レベルが上がった参加者の人達は満足できなくなる。指導者は、延々と学び、自分のレベルを上げていかなければならない。学びには終わりがなく、決して立ち止まる事はできない。 これまで私は、太極拳の分野に関わらず、 様々なジャンルに属する有能な方々の話を聞く機会に恵まれた 。仕事でも、何においても、膨大な量の学びを継続し、あらゆる経験を積んできた人生の先輩方から出る言葉は、やはり説得力がある。経験豊かな上に、幅広く得てきた知識を、いろんな言い回しで、ときには難題を解決してきた苦労話などを交えながら、バランス良く語る事ができる人。そういう人は、人間性においても魅力に溢れ、精神も落ち着いている。 誰かが他人に対して、何か特定の分野について語るとき、一度に話す「言葉の量」が多いか?、少ないか?、は、その人の持つ説得力には何の関係もない。現に世の中には、中身の無い事を、ただひたすらペラペラと喋り続ける人だっている。 学びが無ければ説得力のある発言はできず、薄い内容を延々と垂れ流す事になる。そういう人は、話を聞いている相手に対し、無駄な時間を過ごさせてしまい、かつ混乱させてしまい、気づかぬうちに相手に苦痛を与えてしまうが、自分ではそこに気づきにくい。 それから、たとえ何かの分野で優秀な人でも、他人の批判ばかり繰り返す人の言葉は、一瞬なら耳を傾けたとしても、だんだん聞くに堪えなくなってくる。他人の批判ばかり繰り返す人は、大体、険しくて意地悪な表情をしている。他人の批判ばかりの内容だと、聞かさ...

体が楽になり、心もこだわりが無くなっていく

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年度末が近づいてきた。やはり3月は、抱えている事がますます忙しくなる。しかし…、やる事がいろいろあるというのに、こんなふうにブログを書いている自分。実は、忙しくなるほど、ブログを書きたくなる事がある。 いろいろ書いていく事で、心を落ち着ける効果があるので、必要な時間に思える。忙しいのに緊急性の無いブログ記事を書くのは、まるで受験生が勉強よりも掃除をしたくなるのと似ているかも? でも忙しい時こそ、自分が好きな事を考える時間を持ちたい。頭を切り替えて、没頭できたら良いと思う 。 勿論、ブログを書く事と同様、体を動かす太極拳の稽古も、繁忙な日々には特に必要だと思っている。心身をリセットする癒しの時間だ。 自分の体を支えるのが楽になっていく 太極拳の良さや面白味を感じ、良い意味で、動く事に対して一種の中毒になっている感じが、もう何年も続いている。良さ、面白味をどこに感じるかは、人それぞれだと思う。 太極拳の中身には、いろんな要素がある。ひとつの良さといえば、静寂の中で動く心地良さというのがある。昔、初心者の域にある頃は、なかなか感じられなかった感覚。長く稽古を継続しなければ、動いているとき特有の「水中散歩」、はたまた「空中遊泳」のようなフワリとした感覚は味わえない。 初心者の場合、誰でも無駄な力が入ってしまう。長く稽古を重ね、苦手な動作を何度も反復し、精神の乱れ無くし、力まずに動ける段階になったら遊泳の感覚がやってくる。 入静状態とでも言うような、何とも言えない心の落ち着きの中へ入り込む。やはり座禅を経験したときの感覚と似ている。 何年も継続していくと、本当に自分の体が浮いたような感覚になる。勿論、わざと上に飛び上るのでは無い。心を静め、自分の重さを静かに床に落とし、無理なく地面に沈むような感覚で立つ。そうすると必死に立たなくても安定する。 地面側が、自分をしっかり支えてくれているのを感じる。地面から力を受け取る感覚になると、自分の足で体重を支える事が、すごく楽になってくる。 そうして、心と体の両方が、とても軽くなる。雑念がますます遠のく。 まるで、起きているときと寝ているときの中間のような感覚。雲の中で動いているようで、静かな心になる。軽やかに、無心に体を動かす遊泳の感覚は、年々深まる。 水中散歩の感覚になるとき、決して重心が安定してないわけでは無く、軸がブレているわけで...
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