站樁功
姿勢を繊細に整えていく
太極拳の初心者の方が、もし指導者の動きを見るのみ、みようみまねだけで套路の順番を覚えてしまえば、細やかな姿勢の要領などは掴めず、沈勢なども意識されず、妙な踊りみたいな誤った動きになりがち。やはり、指導者から詳しい説明と手ほどきを受け、動きを整えていく方が良い。勿論、動画やリモートではなく、そばで指導を受ける方が断然良い。
どんな分野でも、始めはまずシンプルな基礎訓練をやって、その後、長年の経験を経て、年月が経過してから、自然にその人の持ち味が滲み出てくる。まずは個性を消す。地味に基礎訓練に集中した方が良い。
書道なら、最初は、縦線、横線、はらい、止めなどを何度も、そればかり練習する。ピアノも、簡単で単調な曲や、指の基礎練習から始め、年数が経って慣れてきたら、徐々に難しい曲にチャレンジする。
太極拳の場合、まず大切なのは、地味に立つだけの訓練を続ける事。こういった分野を学んでいる人には必須であり、また周知の基礎訓練で、「站樁功」、または「立禅」とも言う。ちなみに樁の漢字は間違いやすい。(椿ではない。)
「站樁功」、または「立禅」。両者の要領は似ているけれど、厳密には違う。立禅は和製の感が強く、站樁功と同様のものと見なすケースもあるけど、全くイコールでは無い。類似点をあげるとすれば、いずれも正しい姿勢と精神状態で続ける事ができれば、心が澄み、やや入静状態となり、己の心身を深く理解する手立てになる。
滅茶苦茶ダラけた姿勢で行っては無意味であり、繊細に姿勢を整えてから行うもの。関節の緩め加減や、骨盤の据え方、胴体や両手足の配置なども、整えてから行う。
なかには、「何も細かい事を調整せず、ただ単に立ち続ける」というやり方もある。しかし、行う各武術などに適した心の状態や姿勢をつくる、という意味では、整えるべき箇所は複数に及ぶ。繊細さも求められる。もし不自然な姿勢で、ぞんざいに姿勢を整えずに立てば、無駄な力みが出て、自分の内外の調整には繋がらない。
稽古開始から間もない慣れない人は、この「杭のように立ち続ける姿勢」に、しんどさを感じてしまう。でも要領をきちんと学び、姿勢を整え、何度も取り組んで慣れていけば、疲れなくなるし、立ち続ける時間が心地良くなってくる。初心者の方は、やはり指導者に細かい姿勢の要領を見てもらう方が良い。慣れてくると、心身とも自然な、特有の豊かな感覚で立てるようになる。
私は修行が足りない身なので、感覚がもっと完成されるまで、あと何十年もかかるかもしれない。それでも、初期には分からなかった感覚を、今、少しは得られている。おそらく外面的には人から見たら変わってないのかもしれない。でも自分で得られる感覚としては、言葉で表すのは難しいけれど、初期とは全然違う。
站樁功と言っても、その方法は複数あるし、中国武術の種類や流派によっても違うし、同じ流派内でも、指導者ごとに指導方法が異なる場合はある。おおかたの共通点といえば、体中の筋肉を硬直させない事、呼吸を粗くせず、体中の関節に無駄な力を入れて不自然に引き伸ばさない事、体を柔軟にし、骨盤をしなやかに立ててバランスを保つ、等々。注意点というか、いろいろと必要な要領がある。
最も避けたいのは、硬直。特有の張りがある感覚は良い。それは硬直する事とは、全く違う。これも年数を経て、ちょっとずつ感覚的に分かってくるもの。
骨盤の安定感はやはり重要で、百会や会陰も意識し、軸をブレさせない事。お尻を突き出さない事。下半身は円襠、踏実。爪先の向きや、脚の関節の緩め具合も、繊細に整える。
太極拳の場合、この「全身すみずみまで良い状態で立つだけの訓練」を続ける事で、数年後の自分の動きが変わってくる。鍛錬を続ければ、関節や筋肉の緩み具合、関節の在り方、足裏の感覚などを、体に覚えさせていく事になる。そうすると太極拳套路の際などに動くとき、硬直せず、良いバランスを保てるし、心さえも整っていく。
姿勢を整えるとき、慣れない人は、肩が上りやすい。それと、仙骨のまわりに力が入りやすい。頭が下を向きやすい人もいる。全身くまなく繊細に整えるべき。目付きに至るまで…。
体の表面の皮膚にも、無駄な力は入れない。皮膚やインナーマッスルは、やや緩め、柔軟に保ちながら立つ。柔らかいけれど、グタッと萎えてもいけない。体の表面を緩めているのに、一定の張りはちゃんと感じる状態が良い。力を抜いていても、ちょっとした独特の弾力感は存在する。
この立ち続ける事が、自分の内部までを感じ取る訓練になる。鍛錬を続けていくと、徐々に、「今、自分の体のどの辺りの筋肉では、どの程度の張りや緩みがあるか」を、少しずつ敏感に感じ取る事ができるようになる。
また、続ける事で、重力を味方につけ、自然に地球の中心に向かって立ったまま動くコツが身につく。これは太極拳の稽古に有効だし、それから普段の生活でも、自分の動きが、何をするにも安定してくる。
関節は緩めており、体内を巡るものは滞らない。体のあらゆる部分の筋骨には芯のような確かな感覚があり、この事が、動くときの転倒防止にも繋がる。柔軟性を備えた体で、雑念を払い、ひたすら真っすぐ立つと、無理のない良い姿勢を長く、自然にキープできる。
心がより穏やかに
姿勢など外面の在り方も大切だけど、心理面での効果もかなり大きい。姿勢を整え、無駄な思考も無く、呼吸を整え、それで立つ事を継続する事によって、感覚は研ぎ澄まされていく。
座禅ならば、仏の教えに近づく為の修行として、煩悩に振り回されない精神統一の側面がある。站樁功、または立禅にも、禅のような心理的効果がある。心静かに立っていると、(室内外どこに居ようと)大自然の中での自分の存在を認識する。自分の呼吸、自分の内臓、自分の精神状態も、繊細に自然に感じられる。
体を外側から見たとき、特に何も動いていない状態でも、体内では目まぐるしく内容物が流動的に動いている。人体を巡る血液、リンパ液、髄液、それから伝令が伝わる神経伝達経路。すべての流れが調和して人体を形成しており、ただ立っているだけでも、すべての体中の機能が滔々と巡る。
よく「気沈丹田」というけれど、丹田に気を押し込めてガッチリと固めるイメージではない。体中の滞りが無く、筋肉や腱に突っかかった硬直した感じが無く、エネルギーの流れが止まらない状態で、ただ立ち続ける。「めぐり巡っている中での鬆静」の状態。硬直して突っ立っているのとは違い、生命体としての機能が十分に流動的に働いている状態。
活発に動き回る事なく立っているだけなのに、自分は確かに生きているという息吹を感じるから不思議。体内で動く気血を感じ、深い呼吸による骨や筋肉のしなやかな連携も感じる。十分な巡りのある状態での静の感覚こそ、生物として生きていると実感できる。
このように立つ事を日々励行していると心まで整うから、生活の質を上げる事にも繋がる。静止している中にも、体内の巡り、つまり「動」がある。内面から湧き出るもの、内面を巡るもの、自分の中にあるものを大切にし、ゆったりと安定して立てば、頭に血がのぼらない、カッとならない、穏やかな心を養う事にもなる。
武術の鍛錬方法という側面から考えると、戦いに備えるには、心身を整えてからが良いに決まっている。逆上して判断力もなく、直観も働かない様な状態はよろしくない。立つとき、その姿が悠然と落ち着いており、まるで泰山のごとく動じない心身を養っていければ良い。
ただ静かに立てば、耳を澄ます感じになる。雑多なものは心から無くなり、心が澄んでくる。マインドフルネスのような感覚。脳はリラックスして血流も促される。静かな感覚を総動員して、普段聞こえない音や、しなやかな体内の流れを感じる。無念無想に近づきながらも、完全なる無にはならず、落ち着いている状態で、ひたすら立ち続ける。
何度も、何年も続けていくと、心の動揺は減り、揺らがない自信にも繋がる。雑多な世間の物事に振り回されない心を養う事もできる。ストレス耐性もちょっと上がるのではないかと思っている。
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| エジプト展でみた像 |
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