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「神」(shen)とは、何なのか

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前回、「神」について書いた。今の自分の中途半端な解釈でどこまで述べられるか分からないけど、もう少し考えてみたい。 中医学や気功について学ぶとき、また太極拳の理論を学んでいく際、よく「神」という言葉が出てくる。中医学や太極拳、気功などの分野で「神」という言葉が出てくる場合、前回述べた通り、日本人が言う神様の事をさしているのではない。 では、神とは何だろう。この神という文字には複数の意味があり、その中の一部を、かいつまんで言うと以下のようなものがある。 ・自分の体内の生命活動の状態が、外側に表面化した様子。 ・意識下、深層心理にあるものが、体外へ表面化した状態の事。 神は、ちょっとイメージが掴みにくい言葉だけど、とにかく「人間としての活動すべてが体外へ表面化したときの様相」 だと思えばいい。 私にとって、この「様相」という言葉が一番、イメージが伝わりやすいように思うので、あえてこの言葉を使っている。「顕在化した様相」とでも言うべきか。様子、表情、有様という言葉でも説明できる。中国語では、神態とか神色という熟語もある。 それから神は、もう少し意味を狭めて言うと、ヒトの感情や思考そのものをさす事もあるという。そして、その神は、心に由来する。心は、五臓でもあり、そして思想を司るもの。心の在り方が、神の様相を醸成すると考えれば良いだろう。 内面、内側が、外側に表れるケースは、いろいろあると思う。例えば、怒りに満ちている人は、カーッと赤くなって、周囲の人が近寄りがたい気配をまとう。また、 心の中で何かに怯えている人は、オドオドして青ざめ、精神不安定なのが外面に表れる。 風邪で発熱した人は、体の中に病原体が侵入している。本人にも、周囲の人にも、その病原体の実物は見えないけれど、体の外側では明らかな体調不良が表面化する。熱で頬が赤らんだり、涙目になったり、目付きがポーッとして、足元はふらつく。 また、風邪を引いてなくても、内臓が悪くなくても、もし過度のストレスで精神面が不安定になれば、神経伝達物質の影響で目や顔の表情まで変わる。神経伝達物質というものは、決して目に見えるものでは無い。でも表面化してくる症状はある。強いストレスによって不眠気味になったり、見るからに不健康な目付きになってしまう人もいる。 ヒトの体は、内側も、外側も、すべて連携して機能している。骨や筋肉が連携しているのは勿...

顔に現れる様相

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表情や肌の状態で分かる体調 過去のブログ記事にも書いたエピソードだと思う。かなり前、ある方から聞いた話。ある日、その人の趣味仲間の顔色が、普段より良くなかったそうだ。それで、その趣味仲間の人へ、「なんだか顔色悪いみたい。病院に行ってみたら?」と勧めたそうだ。その趣味仲間の人が病院へに行き、検査をしてみたら、結果、重大な病気が見つかったそうだ。このエピソードを聞かせて下さった方いわく、「やはり顔は、健康状態をうつす鏡なのだ」という事だった。 ところで私の知己の人の中に、去年、体調を崩した人がいて、その人も顔の表情が良くなかった。その人は、ずっと黒まなこの表情が冴えなかった。そして生気が無かった。面と向かって会話しているにも関わらず、何だか、ちゃんと目が合わないというか、その人の目の焦点が微妙に合っていない感じがした(目の疾患ではない)。 その人は、ずっと持病の治療を続けている。今も病気は完治していないけれど、病院に通院し、治療を続けた甲斐あって、徐々に回復してきている。少しずつ、瞳の表情の豊かさを取り戻しつつある。 やはり、目つき、顔つき、肌質に現れる好不調というのは、体調管理の面では注視すべき点かもしれないと、その知人の状態を見て、改めてそう思った。 私には、もう大きくなって成長した子供がいる。昔、子供が幼少期の頃を思い起こすと、当時は分かりやすかったというか、子供の顔色からの健康観察はしやすかった。だいたい冬場になると、子供は保育所などで風邪をもらってくる。そういう場合、特に発熱した時などは、やはり健康な時とは、まるで子供の顔色が違っていたものだった。目の下にクマができ、体調不良だと一発で分かる顔色だった。 小さい子供は皮膚も薄く、もともと血色が良いので、体調の変化が顔に出やすいのかなと思う。大人だと、顔の皮膚には長年のシミがあったり、くすんだりしているし、化粧をしている事もある。 大人の場合、過去の自分の経験から、体調不良の原因や経過について、自己判断で決めつけてしまう事もある。「以前もこんな不調あったな~。その時は、数日したら良くなったから、今回も大丈夫だろう」などと、安易に決めつけてしまう事はある。 具体的にピンポイントで、体のどこか特定の部位が痛むとか、体の一部に明らかな不調が出たとき、ヒトは病院に行き、「○○が痛いです」などと医師に告げ、診察や検査をして...

ゼロになること

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2024年。年上の親族の病気や死があり、改めて、死とは、老いとは…について考えた。昔、 キューブラーロスの「死ぬ瞬間」 という本を読んだ事がある。 臨死体験を単に紹介するという内容に限ったものではなく、ヒトの自然な死についても触れてあり、深く考えさせられる内容だ。 実際には、死ぬ瞬間の状態は、絶対に生きている人間には分からないはず。 臨死体験という言葉があるけど、本当にその人が死んでしまったわけではないので、やはり死ぬ瞬間がどうなのかを知っているのは、すでに亡くなった人だけだ。亡くなった人に、「死んだ瞬間、どんな感じでしたか?」とは永遠に聞けない。 死ぬ瞬間というのは、誰であっても、いつか自分の寿命が来た時にしか分からない。今年、亡くなった高齢の親族は、1年間、持病で体調が安定せず亡くなった。しかし死因は老衰という診断で、最期の日は安らかで、苦しみや痛みに悶えて最期を迎えたのではない。 今、ガザなどで子供が空爆や飢餓で苦しんだり、乳児が寒さで亡くなったりしている事を思えば、日本に居て、90近くまで生 きて、温かい蒲団で、自然に目を閉じで死を迎えられるのは良い事なのかもしれない、そう思える。 中医学では、先天の気と、後天の気があると考えられている( 過去記事参照 )。 気(气・氣 ・qi) は、気功や太極拳の分野においても、上手く活用すべき重要なも の。 先天の気に関して言うと、生まれたとき潤沢にあったものが、亡くなるときにはゼロになるのだと私は思っている。ゼロになる体…という歌詞の歌があったのを思い出す( https://amzn.asia/d/8wUYZEt / https://amzn.asia/d/brJmUE8 )。 後天の気は、生きて行くうえで、体を維持するために、体外から取り入れて補うもの。呼吸で酸素を取り込んだり、水穀、つまり食べ物や水分から、自分の生きるエネルギーを得る。それが気血となって人間活動のベースとなる。 高齢になって死が近づくと、生きるためのエネルギーの補給は、徐々に必要とされなくなっていく。そうしてゼロの状態へ近づく。 衰弱している人でも、死の前日、または当日まで、少しの食べ物を口にする事が可能な人もいる。それでも、高齢であるほど消化器官の機能は衰えてしまっており、死の直前に、数口でも食物を口から取り込んだとして、その食べた分の栄養を...
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