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隙間時間を使う

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忙しい人の中には、業務で多忙な人、それ以外の生活面、例えば親の介護、子育て中の人、遠方に親がいて頻繁に様子を見に行っている人…等々、いろいろな方がいらっしゃる。太極拳仲間の中で、会社員生活を送っている方などは、稽古に十分な時間が取れない人も多い。 本来、太極拳などは、対面でジックリ指導者と向き合って稽古を重ねる事が望ましい。しかし業務多忙などの事情がある場合は、稽古を隙間時間に行う事もできる。 ヘビーな仕事を抱えている人がいたとして、仕事の合間のちょっとした時間にできる稽古メニューは結構ある。立つ訓練もできる。長い時間をかけて頻繁に深く学べたら、それが一番良い。だけど、忙しい日常の、忙しい仕事の合間に、一回あたりは短時間でも、隙間時間を使っての鍛錬を怠らないようにする。その姿勢があれば、その人は積み重ねていけるし、それこそ功夫だと思う。 どんな分野でも、誰もが発展途上であり、人によって到達点が深いか、浅いかの違いはある。自分の学びの過程を決めるのは、その人自身だ。他人が強く指図したり講釈する類のものではない。人には、それぞれの生活がある。みんな暇じゃない。日々、その人ができる事を、その人が選択するレベルで続けていくしかない。 私の知人の中にも、昼間は毎日フルタイムで仕事を頑張って、夜は家族の為に時間を費やし、週末のちょっとした時間にやっと武術の稽古ができる、そんな人がいらっしゃる。大事な自分の時間を、いろんな事にバランス良く調整し、頑張っておられる。 スケジュール管理は大変だろう。そんな人に対して、「週末に少しばかり稽古したって無駄さ」なんて厳しい事を言う人がもしいたら、それはどうなのだろう。相手の立場や家庭環境を熟知していない人からそんな事を言われたら、社会で忙しく活躍している人などは続けられなくなってしまう。 「自分は時間が取れない。限界だ。やめるしかない…」、なんて事になり、時間的にも気分的にも追い詰められる。 忙しい中でも、時間を少しずつ捻出して対応する、そんな人達がたくさんいて、好きな事の稽古を頑張る。日によっては短時間でも、時間を調整し、稽古の時間を捻出する事は、本当に素晴らしい事だ。 人それぞれ抱えているものがあり、日々の多忙な中での暮らしがある。そんななかで、好きな事ならば、忙しくても継続できる。時間ができたとき、集中して頑張る事ができる。隙間時間を...

若いからできる!?

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自分に制限をかけてしまう「〇〇だからできない」の心 もうずっと前から、私が稽古を初めた頃から今に至るまで、御高齢の人生の先輩方から何度も言われてきた言葉がある。「あなたは若いからできるのよ」、「若いからいいよね…」「若いから…、若いから…」。 世間的には、私はどっぷり中年世代に浸かっていて、ぜんぜん若くはない。それでも高齢者層の年上の人からみると、私は親子ほど年の差があるので若いと言われる。 後期高齢者の方などは、確かに体力的な限界はある。私自身は、年齢的に高齢者の仲間に入ってはいない。でも年々、疲れが溜まりやすくなり、たまに関節が痛い~という時もある。 日々、適度な運動を励行しているけど、自分の5年前~10年前と比べれば、体の状態はまるで違っていて衰えを感じる。 だから、人生の先輩方が、年下の私を見て、「若いから良いよね」、「若いからできるんだよね」と言いたくなるのも、半分は理解できる。しかし、半分は納得できない。 納得できない理由は2つある。 1つは、「若いからできる」、「高齢だとできない」という決めつけが、何ともむなしい気がしてしまうから。決めつける事で、ネガティブな方向に生きる姿勢を向けてしまっていると思える。年を追うごとに衰えるのは確かだけど、私は過去に、高齢でも向上心の塊だった自分の太極拳の先生をみてきた。ほかにも80代、90代で絶えまなく、いろんな分野で向上している人達をみてきた。だから、単純に「若いから」「年だから」とくくって、年齢を言い訳にしてしまう事は、何となく残念に思える。 「年だからできない。」、「〇〇だからできない。」、この言葉は、自分に制限をかけてしまう。 年齢を重ねるほど疲労が取れにくく、頭の整理も難しくなるけど、だからといって、「若いから、できる」、「年を取っているから、できない」という決めつけ方はむなしい。人生一度きり。駄目だ、駄目だ、と思い込み、最初から自分の道を閉ざしてしまっては、もったいない。 太極拳なんかは、高齢からのスタートでも、熱心な方は必ず成長できる。その人ができるところまで継続し、向上し続ける事が可能な分野だ。 新たなチャレンジを続ける後期高齢者の方は、たくさんいらっしゃる。80代から新しい事にチャレンジして、前進し続ける人は多い。逆に50~60代でも、「もう年だから…」と、自分の成長を諦めてしまう人もいる。誰しも体...

ニセモノは無いが、正しくない事はある

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悪い癖と良い癖 太極拳の動作について言うと、それぞれの指導者の癖が出る事はある。また、理論内容の受け止め方にも、指導者によって解釈に微妙な違いはある。指導者の習熟レベルによっても、いろんな解釈、受け取り方に差異が出る。 こういうのは太極拳に限った事ではなく、きっと、どんな分野にも言える事だろう。 太極拳では、どう動くか、どう手足を配置するかといった事の中に、隠れた理屈がある。もし動作に人の個性が表れた場合、その個性が滅茶苦茶で粗っぽいものなら、他人にとって参考にならない。 もし個性ある動きの中に、きちんと裏付けとなる教えが隠されているなら、その場合は参考になる。癖があるようでも、実は理にかなった動きであれば良い。少しばかりその人の持ち味が出てしまっても、理屈に叶った教えを踏襲している動きなら、他者からみて見習うべき面は多いだろう。 単に荒々しく、理屈や教えを完全に無視している場合、それはただの悪い癖となる。大切な要素を無視した変な癖は、容認せずに正しい方向へ修正しなければならない。 遥かにレベルが高いベテランの指導者がおられる場合、その人の動作に出る個性には、積み重ねた経験から来る独特の風格、重厚さが見て取れる。それは、長年の稽古と苦学の末に醸し出されるものだ。自分勝手に動く変な癖とは全然違う。 「足をこっちに向けますよ」、「手はこの形にして、こっちへ出しますよ」というのは、初心者の方が学ぶときは重要な事。しかし、既に専門性をそこそこ身に着け、指導者の域に足を突っ込んだ人の場合、当然それだけでは足りない。 「なぜ、そうなるのだろう」、「なぜこういう動きをするのか」、それを少しずつでも理解していきたいもの。丁寧に人に説明できるよう、勉強を重ねていく。そうすることで、指導する側にも、指導を受ける側にも、信頼感や安心感が生まれ、稽古内容は充実する。 指導者側は、アウトプットによって頭の整理が徐々にできるようになる。指導を受ける側は、頻繁に、そういうことか!と閃きを感じ、充実した中身に触れる事ができるようになる。 指導者の場合、当たり前に、考えや根拠を丁寧に説明できる事が理想だと思う。しかし、それは大変難しいので、その為の努力を怠ってはならない。 難しい分野なら迷いはゼロにならないけど、よく学べば迷いは徐々に減っていく。理解する努力を続ければ、だんだん適切な判断や解釈を導く...
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